228話
――ゾーリア商業区東部、ルード街。
無法者に溢れる商業区の中でも特に荒れている街。
行き交う人々は自由を謳歌し、犯罪を楽しんでいる。
悪党以外は住み着けない。
物件の契約だけでも詐欺に塗れており、ようやく居住空間を得たとしても外で働くことすらままならないだろう。
自らも倫理観を捨てなければ溶け込むことはできない。
そんな街で暮らす無法者たちも、手出しすべきではない相手は心得ている。
――"銃使いの魔女"には逆らうな。
「……何か用?」
クロガネの前方を少女が遮っている。
どうやら流れの無法魔女のようで、この街では見かけたことのない相手だ。
相手はこちらを視認するや否や殺気を放ってきた。
その手にはナイフもあり、今すぐにでも飛び掛かってきそうなほど。
刺客であることを隠すつもりはないらしい。
そんな剣呑な空気を無法者たちは好む。
目の前で喧嘩が始まれば勝敗に金を賭けるような者たちにとって、本気の殺し合いはこれ以上とない娯楽だ。
ましてそれが魔女同士となれば、足を止めずにはいられない。
クロガネは銃を構えて敵を見据える。
裏社会での活動歴も長い――眼光は鋭く、漂う殺気は熟練者のそれだ。
「まあいいけど」
十中八九デンズファミリーからの刺客だろう。
想像していたよりも金を掛けて無法魔女を用意したようだ。
魔女としての格は愚者級か、大罪級に辛うじて掠めるくらいだろう。
だが、ラプラスシステムによる煌学監視を欺くにはその等級の出力までが限度だ。
いかにゾーリア商業区内とはいえ、あまり痕跡を残したくなかった。
Neef-4によって偽装可能な範囲で『能力向上』を発動させる。
武器はマクガレーノ特製の改造銃を取り出し、敵の出方を窺う。
相手は魔力を体に纏わせている。
体内で循環させるクロガネとは違った系統の身体強化魔法のようだ。
自身に発動させるタイプの魔法は反魔力の影響を受けにくい。
Neef-4による制限下において最も優秀な能力と言えるだろう。
純粋な能力強化の持ち主ならば、自身より等級が高い魔女が相手だとしても渡り合える。
そのはずだったが――。
「ちょいと失礼」
刺客の無法魔女は唐突に背後から接近してきた男によって背中を刺されてしまう。
刃物に何を仕込んでいたのか、刺し傷から溢れる血の量は異様に多い。
「順番を待つのも惜しくてな。この場は譲ってもらおう」
そう言って刃物を引き抜く。
崩れ落ちた無法魔女には興味が無いらしく、ずっとこちらを見据えていた。
ボロボロの服に身を包んでいるが、目元にはギラついた殺気を帯びている。
老齢の男だが、その技量は素人のものではない。
手練れの無法魔女に気取られずに背中を刺すなど、一般人が簡単にこなせるような芸当ではない。
本人は涼しげな顔をしているあたり手慣れている。
「禍つ黒鉄だな?」
不自然なほど敵意が感じられない。
それは友好的というわけではなく、むしろ"自然体のままで人を殺められる"という危険さを示している。
「……」
クロガネは言葉を返さずに銃口を向ける。
相手は眉一つ動かさずにこちらを見つめていた。
「あぁ、警戒しないでくれ。今回は単なる下見に過ぎないからな」
そう言って、懐から手帳型の身分証を取り出す。
魔法省特務部・特殊組織犯罪対策課主任カラギ・シキシマ――平然と自らの素性を明かして、彼は無理矢理話を進めようとする。
だが、魔法省の人間がこの街にいて歓迎されるはずがない。
野次馬たちは皆が何かしらの犯罪行為に走るような無法者で、ゾーリア商業区という無法地帯に法の手が伸びることを嫌う。
そんな彼らが殺意を向けた瞬間――。
「――酷い街だ」
カラギが棒状の得物を取り出して一閃する。
襲い掛かろうとしていた無法者たちは、その直後に胴体を断ち切られて崩れ落ちた。
「悪いがこれは殺人許可証でもある。迂闊な行動は控えるべきだ」
執行官手帳を揺らしながら改めて周囲に念を押す。
もう片方の手だけで、一瞬の内に五人の命を奪ったのだ。
周囲を黙らせるための実力行使。
孤立無援の状況で、一撃だけで場を掌握してみせた。
他人の命を躊躇せず奪える強者――この街において畏怖されるような存在が、魔法省上層部にもいるらしい。
「ゴロツキ共も強さに対しては敬意を払う、か……前言撤回しよう」
カラギは感心したように周囲を見回していた。
この街に少し興味を抱いたらしい。
「要件があるなら早くしてくれる?」
クロガネが面倒そうに尋ねる。
有象無象の相手をするつもりはない。
だが、これほどの実力者が相手なら話を聞くくらいはしてもいいだろう。
「なに、下見に来ただけのことだ。魔法省に新設される部隊の特殊任務……その執行対象の中でも上位に名前が挙がっていたからな」
情報を隠すつもりがないのか、それとも明かした上で容易に対処できると考えているのか。
彼が実力者であることは確かだ。
手に持っている武器もかなり性能が高いらしい。
「TWLMが気になるか?」
カラギは見せびらかすように起動する。
身の丈ほどの金属棒の先端から、何か魔物の一部のような生体パーツがうねっている。
ここまでの戦闘を見る限り、用途としては槍のようだ。
穂先部分が生体パーツとなっており、使用者の意思に応じて刺突用に尖らせたり斬撃用に刃を付けたりするらしい。
この形状であれば素材となったのは魔女ではなく魔物だろう。
「魔女や魔物の能力を活用する技術だ。従来の対魔武器とは出力が段違いで、素材となっ――」
「携行型-体組織変異兵器。生かしたまま取り込むことで素材の能力を引き出せる」
以前交戦した捜査官が所持していた……と、クロガネは当時のことを思い出す。
その際に重要な機構が仕込まれている先端部分を奪い、その解析を屍姫に任せていた。
元の魔女や魔物の力を引き出せたとして六割程度。
それでも使用されているものが大罪級以上の素材となれば警戒する必要がある。
執行官には体内にTWLMとパスを繋いでいるコアがあり、それ自体も身体強化などの効果を持っている。
TWLMとコアによって二重で強化されているのだ。
最低でも大罪級相当の力を持っていると想定すべきだろう。
「知っているなら話は早いな」
今度は明確な殺意を持って、カラギはこちらに穂先を向けて構える。
執行官の身分であれば力を抑える必要はない。
ラプラスシステムが咎めるのは反社会的行為のみ。
あのユーガスマの後任として配属された男だ。
実力を見ておいて損はないと、クロガネは銃を構える。
だが、その直後にはカラギが肩を竦めて呟く。
「あー、止めだ。お前のが強い」
構えを解いて、TWLMも機能を停止させる。
出力を抑えずに戦える彼の方が有利だったというのに、一手すら交えずに降参してしまった。
「等級の高い魔女ほど能力頼りになりがちだが……魔法を抜きにしても一流の技術がある。それも殺しに特化したものだ」
対峙してみてそれを感じ取ったのだとカラギは言う。
装備の性能によって基本的な能力で上回れたとしても、単純な殺し合いとなれば勝ち目は無いと判断したらしい。
「逮捕術には自信があるが、殺しの専門家ではないからな。どうも分が悪い」
そんなカラギの様子にクロガネは嘆息する。
どう見ても嘘を吐いている。
彼は執行官の身分ではあるが、その性質はどちらかといえば悪党寄りだ。
でなければ、先ほどのように自然体のまま息をするように人を殺せるはずがない。
Neef-4による制限下で戦うには厄介な相手だ。
そして、能力を自由に行使できる環境であっても油断はできないだろう。
熟練した執行官の技量は侮れない。
「さて、この辺で御暇するとしよう。邪魔をしてすまなかったな」
カラギは先ほど刺殺した無法魔女を一瞥して、背を向けて去っていく。
この場で無理に手出しする必要はない。
彼が公安側の人間であれば、いずれ殺し合う日も来るはずだ。
新設される特殊部隊についての情報を明かし、調査対象に入っていることまで知らせ、そして自らの手の内まで開示してきた。
――意図が見えない。
要警戒対象として調査すべきだろう。
屍姫にメッセージを送信し、クロガネはその場を後にする。