222話
建物内に突入する。
既に使われていない廃ビルで、手入れもされておらず酷く埃っぽかった。
地面を見れば、新しくできたばかりの足跡が奧まで続いている。
分かりやすく痕跡を残して誘い込む魂胆なのだろう。
不意打ちを狙っているであろう者の殺気が幾つか感じられる。
「周囲に異常は?」
『全て問題なし。魔法省に嗅ぎ付けられた気配はないわね』
周辺はマクガレーノが監視している。
今のところ、特に作戦行動に気付かれた気配はない。
ゾーリア商業区内であれば危険は少ない。
とはいえ、派手に動けばラプラスシステムに感知されかねない。
この世界を常時監視しているのだから、さすがに強力な魔法を行使すれば気付かれてしまうだろう。
だが、そのリスクを低減させるための手段があった。
「Neef-4の性能に問題はないみたい」
クロガネは手首に取り付けた腕時計を見詰める。
簡素なデジタル時計を模しているが、その正体はジャミング装置だった。
ラプラスシステム監視下の世界を歩くには、欺くための装置が必要不可欠だ。
そのために裏社会の技術者たちが集まって作成したものが"煌学監視阻害装置"――ECM-Neef-4だった。
既にラプラスシステムによる煌学スキャンを解析した者がいるらしい。
妨害波によってスキャンを掻き消し、また同時に偽装データを紛れ込ませることで情報に空白を作らない。
これによって自身を察知させない、もしくは正常な一般人と同じ反応に改竄することが可能となる。
ディープタウンにはそれを可能とするほどの天才が潜んでいるのだろうか。
あるいは外部の人間によるものか。
とはいえ、性能も完璧というわけではない。
強力な魔法を使うと出力不足で隠蔽しきれなくなってしまう。
そうなれば煌学スキャンに感知され、魔法省の捜査官たちが押し寄せることになる。
これによって無法魔女の持っていた優位性が薄れ、より殺しの技術に長けた者たちが台頭し始めた。
裏社会における力関係にも影響が出ることだろう。
今はまだ、動乱の序章に過ぎない。
「――ッ」
クロガネは嫌な気配を感じ、その方向に銃を向ける。
誰もいない。
暗い廃ビルの中で、敵が影に身を潜めているわけでもない。
だというのに違和感が残る。
『あら、どうしたの?』
「……なんでもない」
魔女でなければ感知できないだろう。
周囲を取り巻くエーテルに、ほんの一瞬だけノイズが走ったのだ。
これまで見たことのない現象だったが、だからといって何が起きるというわけでもない。
「……」
警戒しすぎて足を止めてしまうと売人に逃げられてしまう。
ひとまず意識の片隅に置いて、周囲を探り――。
「見つけた」
「ひぃッ――」
銃を突きつけると、売人の男は悲鳴を小さく漏らす。
なぜだか異様に焦っているように見えた。
「デンズファミリーの下請け……使い捨てられる浮浪者のフリをしている構成員」
ゾーリア商業区を狙う敵対シンジケートの一つ。
以前アラバ・カルテルの縄張りを吸収しようと企んでいた組織だ。
クロガネがアラバ・カルテルとマクガレーノ商会を傘下に収めたことで、ゾーリア商業区の勢力図は大きく変わった。
それでもこの街は魅力的なようで、内外のシンジケートが虎視眈々と機を窺っている。
「あんたの首を晒せば、いい見せしめになるかもね」
予想していたような用心棒はいない。
手練れとの交戦に備えていたが、どうやら杞憂のようだった。
絶望的な状況に、男は抵抗するわけでも命乞いをするわけでもなく立ち竦んでいる。
先ほどまでの慣れた様子とは全くの別人だ。
よほど不測の事態が起きてしまったのだろう……と、男の視線の先に目を向けると。
少し離れた柱の近くで三人の男女が死んでいる。
一人は無法魔女で、残りの二人は人間だ。
どれも派手に胴体を抉られて絶命していた。
「……あれは何」
「は、張っていた仲間なんだ。カラミティの連中を罠に誘い込めって、ロシオの旦那から指示されて」
男は混乱しつつも情報を素直に吐く。
この状況では隠す意味もない。
「それが、目の前で変なバケモンに殺されちまって……」
魔物だろうか。
近辺のエーテル値はあまり高くないはずだ……と、クロガネは訝しげに男を見詰める。
「う、嘘は吐かねえよ。この命を賭けてもいい……だから、なぁ」
男は縋るように振り返る。
銃を突きつけられているというのに躊躇う素振りも見せない。
「逃げねえから、とにかく建物の外に出してくれ。じゃないとまたバケモンが――」
言い切る前に、男の頭部が弾ける。
確認するまでもなく即死だった。
だが、クロガネが撃ったわけではない。
File:ECM-Neef-4
政府の"一望監視制管理社会"施行に先手を打つ形で流通し始めた小型装置。
開発者の名前は明かされていない。
煌学監視に対する偽装データの混入は、あまりにも自然するため検出されることはない。