218話
夜空で繰り広げられる常軌を逸した戦い。
その光景を見て、アグニがあれだけ自信を持つのも当然だと納得する。
召魔律の魔法は空間そのものを捻じ曲げる。
どれだけ頑丈な障壁を張っていたとしても意味がない。
ラプラスシステムによる補助を無視して、そのままアグニを殺そうとしている。
だが、捻じ曲げられ崩壊した空間そのものをラプラスシステムが修復している。
恐らく相応の痛みを伴っているはずだが、有利な状況だと確信しているアグニは余裕の笑みさえ浮かべていた。
先ほどまで行使していた堕落星屑も、戦闘支援によって威力を増幅させている。
効果そのものは変わらない。
根本となる出力に干渉し、より威力の高い攻撃手段として昇華させていた。
結果として、召魔律は成す術無く体を抉られている。
無数の魔法陣に守られたコア部分は頑丈なようだったが、それもいつまで持つか分からない。
とてもだが、自分が介入する余地は無い。
クロガネはそう判断して、しかし、この場を放棄するつもりもなかった。
二者が対立し争っている。
そして自分は、意識の外という安全な場所にいる。
苛烈な戦闘を繰り広げるバケモノ達の矛先が、地上に佇むだけの矮小な魔女に向けられるはずもない。
狡猾な手段で構わない。
自分は無法魔女――悪党なのだから、利益のために小賢しい選択をしたところで咎めようもない。
今この場で最も欲するものを見据え、
「機式――"シュテトスコープ・ヴィレ"」
呼び出した狙撃銃で、いずれ訪れるであろう好機を窺う。
◆◇◆◇◆
「遥か昔に存在したという魔法生命体"召魔律"……なぜこの時代に蘇ることを望んだのか分からないけれど」
無数の光弾を放ち、中心部分のコアを狙う。
戦闘支援を受けているとはいえ、さすがに易々と弱点を撃ち抜かれるようなこともなく。
無数の魔法陣が光弾を退ける。
氷翠たちが集めた七十二の悪魔式が、一つの魔法となってコア部分を守っていた。
「何も成せず、防戦一方……あはっ、哀れだね」
遺物から蘇ったことで召魔律は一つの生命として存在している。
何かを遺すことを許さずに殺めたならば、
「このままだとキミは、今度こそ完全に消滅することになるね?」
クスクスと嗤う。
永き時を経て蘇った大災禍級の魔物でさえ、アグニにとっては小動物程度の認識でしかない。
『――灰滅、其ハ大罪』
玩具のように弄ばれていることを理解しているのだろう。
通常の攻撃手段は魔法障壁によって阻まれ、空間ごと捩じ切ろうとしても修復されてしまう。
現代の魔法工学技術の粋を尽くしたラプラスシステム。
それは管理装置であり、知識の集積であり、そしてまた秩序の番人を補佐するための兵器でもある。
過去に記録が存在するものが相手なら対処は容易い。
召魔律の全てが解明されている。
勝利に至るまで変数は存在せず、ただ確定された運命をなぞるだけでいい。
根本となる魔力量こそ同等のものだったが、それ以外の全てでこちらが上回っていた。
「過去の遺物なんて、もう型落ちなんだよ」
アグニは手を翳し上げ、
「さあ、仕上げといこうか」
手加減なしの全力の魔法。
立てた人差し指の先に生きを集中させ、巨大な光球を生み出す。
「――堕落恒星」
質量が増加しようと、発射から着弾までの時間は変わらない。
因果を限り無くゼロ距離に縮め、中央部のコアを守る悪魔式を凄まじい熱量によって焼き尽くしていく。
『障、異、回路ノ――』
召魔律を魔力光が呑み込む――その刹那に。
「――『疑似・限定解除』」
地上から莫大な魔力の反応が膨れ上がる。
狙撃体制で上空を見据え構えていたクロガネが、好機を逃さずトリガーに指をかける。
ほんの数秒のためだけに、保有する全ての魔力を注ぎ込んで『破壊』の力に変換する。
後先を考えることもなく、この一瞬に全てを賭けていた。
《警告、退避推奨――全リソースを障壁に変換します》
危険性を即座に察知して魔法障壁が強化される。
それだけ地上から発せられるエネルギーは凄まじいものだった。
『観測――亡域逃レ、破壊ノ主』
召魔律の意識が地上に向けられる。
今から迎撃体制に入ったところで対処は不可能だ。
タキオンによって生成された強化弾薬を装填。
それ単体でも凶悪な威力を誇るというのに、ありったけの『破壊』を上乗せして――。
「――ッ!」
撃ち出された弾丸は、消耗しきった召魔律のコアを穿つ。
大災禍級の魔物を喰らうことが、この場において最もクロガネの利益となる。
そのはずだったが――。
「あはっ――」
弾丸が魔法障壁と衝突して激しく明滅する。
何を思ったのか、アグニが身を挺して召魔律を守っていた。
ラプラスシステムの障壁はクロガネの全力さえ受け止めてしまった。
「そこで大人しく見てるようにって、言ったはずだ」
アグニが嗤う。
企みを阻止したことで口元が緩んでいた。
「キミは命を奪うことで成長するらしいね? この魔物を食わせるわけないじゃないか」
成長率がどの程度のものかは不明だ。
だが、初めて会った時と比べて明らかに魔力量が増加している。
既に戦慄級の力を持つクロガネを、これ以上成長させるのはアグニにとってもリスクが高すぎる。
それでも完全に無事とまではいかない。
弾丸に込められた『破壊』の力によって、魔法障壁は一時的に消滅した。
「ラプラス、魔法障壁を」
《エラー。修復作業に時間を要します》
魔法障壁が失われている。
今のアグニを守るものは何もない。
「戦闘支援を……は、早くッ!」
《エラー。修復作業に時間を――》
直後、召魔律から熱線が発せられ――。
「ッ……ぁああああッ!?」
アグニの脇腹を大きく抉る。
痛みに悶絶つつ、泣き喚くように声を上げる。
召魔律は何を言うでもなく次の攻撃を準備している。
生身でバケモノの前に晒されている状況では、さすがのアグニも焦っていた。
「何をやってるんだよ、早く――」
《メインシステムに『反動』による影響を検出しました》
障壁を壊したことでラプラスシステム本体にダメージを与えられたらしい。
それ自体は軽微なもので、何分とかからずに修復されてしまうだろう。
それでもこの場においては致命的な隙となってしまう。
続く攻撃はアグニ自身の力のみで辛うじて躱す。
だが出血が酷く、このまま留まっていると命の危険があった。
「何でもいいから、ボクを助けろよッ」
《戦闘支援の継続不可。転送収容します――》
現代において上位の実力を持つ彼女でも、戦闘支援抜きで大災禍級の魔物を相手取ることは不可能だ。
致命傷を負ってしまっては撤退する他ない。