206話
拘束されて二日ほど経過した。
冷たい廃墟の一室に閉じ込められ、最小限の水分補給しか許されず、啓崇は消耗しきった状態で座り込んでいる。
断食のみで拷問と呼ぶには手緩いものだったが、この年頃の少女には敵に監禁されているという事実だけで十分すぎるくらいだ。
力を封じられて死の恐怖に怯えることしかできない。
「……氷翠様っ」
か細い声で呟く。
待っていたところで助けに来てくれるわけではない。
この場所に囚われているということさえ、今の氷翠達には把握不可能な状況だ。
組織が壊滅して、各地で逃げ回っている者たちも次々に命を落としているはずだ。
それでもまだ希望を捨てずにいられるのは、こうした事態を想定して合流座標を設定していたからだ。
組織を立て直すためには時間が必要だ。
どの程度が逃げ延びているのか想像もできなかったが、まだ全てが終わったとも思えない。
予知能力を失った自分などいてもいなくても大差ないだろう。
氷翠さえいれば、後はどうにでもなると考えていた。
「悪魔式は、きっと……」
想いに応えてくれるはず。
原初の魔女も、その点に関して"失敗する"という指摘はしなかった。
まだ全てが終わったわけではない。
もう完成間近まで来ているのだ。
いざとなれば自分の身を捧げる覚悟でいたが、それさえも許されない現状に耐え難い悲痛を感じてしまう。
体力を温存しつつ脱走の機会を窺っていたが、監視は極めて厳重だ。
下手な動きをすれば見張りのアンデッドが反応するため、ただ無力感による失望に打ち拉がれることしかできない。
アンデッドは命じられた最小限の行動しか取れないらしく、一定時間おきに交代しながら見張りを継続しているだけ。
人間とは違って疲労を知らず、不気味なほどにじっとこちらを見詰めて静止している。
会話も通用しない相手では情けを乞うこともできない。
突破しようにも啓崇には直接的な戦闘能力がない。
幸いなことに拘束は手枷のみで、足は自由なまま。
隙を突けば逃げ出せる状況だ。
監視されている状態では身動きが取れないため、交代のタイミングを狙おうと考えていた。
疲労から正確な時間や回数を数える余裕はなかった。
その瞬間を逃してはならないという緊張感だけが、辛うじて啓崇の精神を現実に繋ぎ止めていた。
そして、何度目かになる交代の時が訪れる。
「……えっ?」
思わず情けない声を漏らしてしまう。
見張りのアンデッドが引き上げたというのに、交代が来なかったからだ。
外は静まり返っていて、救援が来たというわけではないらしい。
何らかの問題が発生して交代役が用意されず、それを見落としたことで監視が途絶えてしまった。
単純行動しか取れないアンデッドがエラーを報告できなかったのだとすれば――。
「ッ……!」
今しかない。
そう判断して、啓崇は立ち上がって部屋を出る。
ドアの外にも見張りは立っていない。
廃墟自体は広いものではないためすぐに逃げ出せそうだった。
その後は事前に指定していた座標を目指すのみだ。
氷翠達と合流できたなら、きっと黎明の杜も立て直せることだろう。
見せかけの好機に高揚して、この期に及んでもまだ仕組まれた悪意に気付くことができない。
そんな彼女の様子に、遠くから監視していたロウは嘆息する。
「哀れむ余地すら感じられないな。考え無しにもほどがある」
自身の行動が黎明の杜を窮地に陥れるとは考えていないのだろう。
監禁されて心が擦り減ってしまった彼女は、何よりも"仲間に会いたい"という感情に囚われてしまっている。
そのせいで、この不自然な状況さえ都合の良いものとして解釈してしまった。
甘さこそが黎明の杜が失敗してしまった最大の要因だというのに。
未だにその事実に気付けず、こちらの思惑通りに道案内役を務めることになってしまった。
「弱みにつけ込むにしても容赦がない。見事なものだ」
どう足掻いたところで手のひらの上だ。
啓崇の人間性を把握した上で、即座にこの筋書きを作り出したクロガネに対して「見事だ」と感心してしまう。
似たような年齢でも、クロガネと啓崇とでは指導者として隔絶された差があった。
「服には超小型の発信機が付いていて、追跡用のドローンが自動追尾して映像を写している……彼女、それすら気付けないわよ」
追手を撒いた経験さえ無いのだろう。
時折後方を振り返ったりしているものの、頭上のドローンさえ見落としている。
静音駆動のもので魔法工学技術を用いない旧式のため、魔力で感知することもできない。
「さぁて、そろそろアタシたちも始めましょう?」
「そうだな」
黎明の杜に恨みがあるわけではない。
クロガネがそれを望むから潰す。
自分たちはただ手駒として最大の成果を目指すのみ。
それこそが、この組織の在り方だ。
まだ名前すら決まっていない悪党たちの集い――その最初の仕事として、絵空事を語る者たちに現実を突き付ける時が来た。