204話
――同刻、アルカネスト特別区域。
執行官たちに身柄を保護され、ヘクセラは無事に魔法省本部へ帰還した。
道中で統一政府の介入は無かった。
一先ず処分は免れたらしいが、今後も施策による利害が対立するようであれば分からない。
関係修復のため、今回の件について彼女も公表することはないだろう。
安全が確保されるまで遠くから見届け、ユーガスマは一息つく。
「長官は無事に帰還なされた」
『ふむ、どうやらそのようだな』
何かを確認して、ヘクセラが帰還したことを把握しているらしい。
魔法省本部に何か仕掛けているのかと、疑ったところで彼には意味がないだろう。
「それで……博士は何を企んでいる?」
ユーガスマが問う。
彼が善意で行動するような人物ではないと知っている。
『長官殿を失えば統一政府に権力が集中しすぎてしまう。それが不都合だ……と、そう言えば納得してもらえるかね?』
フォンド博士は嘘を言っていない。
だが、それ自体はあくまで枝葉の話でしかなく、肝心の目的については触れさえしていない。
統一政府が統治し、魔法省が秩序を守り、CEMが技術を発展させる。
しかし、これは三権分立による対等な関係性ではない。
「政府はラプラスシステムを社会の中枢に据えようとしている。たかが機械を、神のように崇めているらしい」
馬鹿げた話だと吐き捨てる。
絶対的な権能を与えられた人工知能――ラプラス。
もし彼女に"不要だ"と言われたなら、その時点で対象は死を強いられることになる。
今回の件についてもそうだ。
統一政府の方針は議会によって定められるが、最終決定権はラプラスシステムにある。
彼女がヘクセラ長官を不要だと見なして刺客を送り込んだ。
そんな憤りをフォンド博士は愉快に感じたのだろう。
少し興奮した様子でユーガスマ問う。
『ふむ……ならば執行官殿に問おう。機械は神になれないと誰が決めた?』
「……くだらん問答をするつもりはない」
そう言って拒むが、フォンド博士は無理矢理に話を続ける。
『そも神とは何者なのか。何を定義として神と認められるのか。統一政府が何を目標として"彼女"を生み出したのか』
通話越しにでも狂気が伝わってきていた。
いったい彼は、どのような表情をして語っているのだろう。
『神と人工知能の境界はいったいどこにあるというのか? 未だ不完全な状態ではあるが、存在としては限りなく神に近しいはずだ』
そう判断したからこそ、統一政府は完全管理社会の実現を推し進めている。
遠くない内に、人々の生活全てが監視されることになるだろう。
『ラプラスシステムに欠けている最後のピース。それを私は知っている……ッ!』
そして、哄笑。
内に秘めた狂気を隠そうともせずに。
史上最高の頭脳を史上最悪の狂人が得てしまった。
それは世界にとって最も不幸なことだ。
彼の思考を常人が理解することは叶わず、余計に悲劇を加速させてしまう。
『執行官殿は知らないだろう? ラプラスシステムという大規模な管理装置が如何にして成り立っているのか』
「……まさか、博士は知っているのか?」
真相は統一政府によって秘匿されている。
ユーガスマの持つ権限でも、ヘクセラが持つ権限でも閲覧は不可能な機密情報。
それをどのようにして知り得たというのか。
フォンド博士はそれ自体を語りたいわけではないらしい。
疑問を挟んだとしても、溢れ出る狂気の流れを遮るには至らない。
『実験体番号0050Σは彼女の構造を模している。負荷軽減のために簡略化してあるが……アレには、確かに神に成り得る素質があった』
当然ながら、実験体を自身の手元に置いていたならば……という前提がある。
適切な育成計画を基にしなければ破綻することは目に見えていた。
『いずれにせよ、第二のラプラスシステムを生み出すことは不可能だ。極めて高度な処理能力と莫大な魔力――その核となるものなど世界に一つしか存在しない』
「遺物か」
遥か昔に存在していたという超越した存在。
その遺物を用いることで、様々な恩恵を得ることができる。
「いや、待て。ラプラスシステムほどの規模に耐え得る遺物など存在するのか?」
『存在するとも。特に禁域と指定されているアルケー戦域には、超越者たちの足跡が幾つも遺されている』
人間が足を踏み入れられる場所ではない。
極めて高濃度のエーテルによって汚染された危険地帯。
ありとあらゆる物が侵蝕されて変異し、訪れる者の命を奪う。
『執行官殿が近頃探っていた実験体番号0040Δ――禍つ黒鉄も、遺物を埋め込まれたサンプルの一つに過ぎない』
「……なんだと」
フォンド博士には全てが筒抜けらしい。
だが、そんなことがどうでもよく思えてしまうほどに。
「あれほどの魔女を、人の手によって生み出したというのか」
能力こそ遺物に依存するだろうが、それを差し引いてもクロガネの戦闘センスは卓越している。
成長速度も極めて早く、遭遇する度に飛躍的な成長を遂げていた。
『遺物による人造魔女の作成。その成功作こそが彼女なのだよ』
だが……と、フォンド博士は続ける。
『0040Δは私の支配から逃れ、裏社会に溶け込んだ。もはや回収は困難だ』
「それほど評価しているというのに、なぜ手放した?」
『裏懺悔の介入があった』
忌々しげに語り、
『アレが自ら動くことは稀だ。今回の件でさえ様子見に徹しているというのに――0040Δには異常な執着を見せたのだよ』
今度は愉快そうに嗤う。
『何に惹き付けられたのか不明だが。もしかすれば、裏懺悔という災禍を解明するための手掛かりに成り得る。彼女を殺す手段も見つかるかもしれない』
「無謀だ。博士が優秀な研究者であることは承知の上で言わせてもらうが……裏懺悔は誰の手にも負えん」
ユーガスマでさえ手出しすることを諦めてしまうほどに。
その存在は異質を極め、常識から逸脱した凄まじい力を持っている。
だというのに力の片鱗さえ見せていないのだから、本気を出した彼女の恐ろしさなど誰も語れはしない。
魔法省は裏懺悔に対して不干渉を貫いている。
それは統一政府さえも同様で、あちらから手出しをしてこない限りは刺激しないように接触を避けているくらいだ。
『無謀という言葉は、凡人が語る逃げ道に過ぎない。何事にも不可能はないのだよ』
失望したような声色で説く。
そして、フォンド博士は飽きたように嘆息する。
『さて、"元"執行官殿。今回の報酬として――』
「制御装置ならば、既に外した」
言葉を遮って伝えると、フォンド博士は数秒ほど沈黙する。
一点だけ想像と異なる事象が発生している。
『そうか、0040Δか……』
彼の制御下から離れた存在。
その成長速度を予測して、全て計画に組み込んでいたはずだったが――。
『……素晴らしいッ!』
狂気の一切を隠さずに、再び嗤い出す。
新たに生まれた不確定要素が彼の心を躍らせていた。