203話
「な、何ですか、これ……は……」
CEMの実験データには、不完全な適応状態となってしまった実験体について記されていた。
埋め込まれた遺物や保有する能力、身体的特徴。
添付画像は顔写真で、機動試験によって酷く衰弱しているようだったが見間違えるはずもない。
実験体番号0050Σは氷翠だ。
「氷翠様が失敗作って、そんな……」
現実を受け止めきれず、端末の画面から視線を逸らそうとする。
だが、クロガネは啓崇の顔を無理やり端末の方に向けた。
「統一政府が本格的に動き出してる。黎明の杜に、現状を打破できるような手は残ってる?」
あまり期待せずに尋ねる。
もし盤面を覆せるような奥の手があるなら、ここまで啓崇も追い込まれていないはずだ。
「万策尽きた……と、そんな顔をしているな」
ロウが肩を竦める。
不自然に祭り上げられた神輿に、既に彼の興味は消え失せていた。
様々な者たちに利用されるような形で規模を拡大させただけで、本人たちの資質は凡人の域を出ないと。
返答さえできない。
現実に打ちのめされて、ただ絶望に肩を震わせることしかできない。
「クロガネ様、この女の処分はいかがいたしましょう?」
屍姫が尋ねる。
既に情報は引き出せた。
魔法もない啓崇に価値は感じられない。
黎明の杜が壊滅するなら人質としての価値もない。
人材として優れているわけでもない彼女を手元に置いたところで、不要なリスクを抱えるだけだろう。
しかし、クロガネは首を振る。
「まだ利用価値がある」
首元に突き付けたナイフを下ろして、クロガネは席に戻る。
味方に引き入れる価値は感じられないが、唯一残された用途があった。
「屍姫には啓崇を預けるから」
「人質の監視及び尋問を行えばいいんですね?」
「そういうこと」
大雑把に聞きたいことは吐かせたが、より詳細に情報を引き出しておきたかった。
協力者のリストが作れたなら、それを材料に揺することもできるだろう。
相手によっては動向を注視する必要も生じるかもしれない。
屍姫はクロガネの意図を察したようで、ルークを引き連れて啓崇を部屋の外に運んでいった。
彼女なら説明せずとも上手くやってくれることだろう。
「な~るほど……教祖ちゃんをエサにするつもりね?」
「正解」
マクガレーノがその用途に思い至る。
見え透いた罠だとしても、氷翠たちは無視することができない。
多くの敵が待ち構えていたとしても、彼女なら必ず駆け付けてしまうだろう。
仲間同士の絆を利用した狡猾な手段だ。
偶然を装って啓崇を逃がし、逃げ回る彼女の前に氷翠が姿を現せば成功だ。
「だが、それではリスクが釣り合わないのではないか?」
ロウはこの作戦に懐疑的だ。
もし氷翠が姿を表さなければ意味がなく、それどころか別組織に横槍を入れられる危険もある。
黎明の杜は各所から狙われている状況だ。
現状は不確定な要素が多い。
他者の介入によって作戦が崩れる可能性もあったが、クロガネはそもそも啓崇の身柄に興味はなかった。
彼女は原初の魔女に唆されて接触してきた。
味方に引き入れることで作戦が上手くいくとでも言われたのだろう。
もしクロガネが黎明の杜に協力していたとしても、悪魔式自体に問題があるのでは成功も何もない。
必要な情報は引き出せた。
答え合わせは済んだが、未だに各組織の意図が見えないのが問題だ。
統一政府が黎明の杜を泳がせた理由。
フォンド博士が黎明の杜を支援していた理由。
たかがカルト集団一つに対して、それぞれが無駄に時間をかけすぎている。
警戒すべきはこの二点のみ。
暗躍する者たちと比べてしまえば、啓崇一人など大した問題ではない。
「各地で襲撃を受けて、黎明の杜は体勢を立て直す必要がある。その残党が集まる頃合いに仕掛ける」
もし未だに泳がされているのなら、氷翠が生き残った者たちを掻き集めている頃だろう。
他組織が次の段階に移る前にまとめて叩き潰さなければならない。
幸いにも、クロガネは他組織を出し抜ける特上のエサを持っていた。
黒い思惑が絡み合いすぎている。
知らぬ場所で誰かが利益を得て、次の段階で他者を蹴落とそうとしている。
だが、巧妙に隠された悪意を暴くことはできずにいる。
――この手で、全てを壊してしまえばいい。
成すべきことは至極単純。
好き放題に暴れて、黎明の杜ごと思惑を消し飛ばすのだ。
「ロウは追手役の準備、マクガレーノは舞台を整えて」
組織においてクロガネの決定は絶対だ。
異論を挟む余地はなく、ただ盤上の駒として動くことのみを要求されている。
「クロガネちゃ……クロガネ様。舞台というと、もしかして……」
「そう。一騎打ちに相応しい場所を用意して」
相手は『空間転移』を持っているのだから、逃げようと思えば容易に逃げられるだろう。
それを阻むために妨害装置を用意する必要があった。
この作戦によって黎明の杜を叩き潰す。
そうすることで、裏で暗躍している全ての悪意は行き場を失うことになる。
勝手に誘き出されてくれるなら話は早い。
易々と本性を現すほど短慮な相手ではないはずだが、何かしら干渉してくる可能性は考えた方がいいだろう。