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2話

「――はッ」


 目を覚まし、荒々しく空気を吸い込む。

 つい先程まで呼吸が止まっていたのではと思うほど、身体中が強張って弱りきっていた。


 胸元の痛みに喘ぎつつも、四肢の付け根から指先まで動きを確かめる。


――大丈夫、死んでいない。


 見渡せば、物寂しい白い部屋があるのみ。

 家具はほとんど置いておらず、目立つものは自分が寝ている簡素なベッドのみ。

 身を休めるには硬すぎて、体を起こす時に背中が痛んだ。


「ここは、どこなの……?」


 部屋のドアは硬く閉ざされていて、少女の手で押したところでびくともしない。

 この無機質な部屋に監禁されているのだ。


 悪夢は続いている。

 意識を失う直前に味わっていた絶望も、現実のものと知る。


 思い出すのは、己の体を切り開かれ、悍ましい"何か"を埋め込まれた施術。

 慌てて傷跡を手で探るも、特に目立った外傷はなかった。


 だが、何かを埋め込まれたことは間違いない。

 胸元の痛みが、楽観的な思考をさせないように少女を苛み続ける。


 自分は何者か――。

 高校一年生で、両親と三人で暮らし、将来の夢はパティシエ。

 友人の顔も、最近観た映画も、全て鮮明に思い出せる。


「……っ」


――名前だけが思い出せない。


 大切なモノを奪われた。

 血が沸き立つような苛立ちは無く、ただ虚しい絶望のみが心を満たしている。


 首に手を当てると、ヒヤリとした金属質の枷が付けられている。

 まるで家畜だ。


――ここは、生まれ育った幸せな世界ではない。


『その通りだ』


 はっと顔を上げて周囲を見回す。

 声が聞こえたような気がしたが、特に誰かが立っているわけでもない。


『哀れな小娘……だが、名を思い出せぬのは致し方無いこと』


 声の主は確かに存在している。

 頭の中で反響している。


『現代に蔓延る後天的な魔女は、体質の変化に伴って記憶の大半を失う』


 日常とは程遠い荒唐無稽な話。

 しかし、その全てを"現実"として受け入れざるを得ない。


『だが……小娘は運が良い。これが粗悪な遺物などであれば、失うモノは名前だけに留まらなかったであろうに』

「何を言って――」


 遮るように口を開くも、怪しげな声は止まらない。


『――既に人間ではない、ということだ。元の世界への道標を見付けたとして、平穏な生活には二度と戻れぬ』


――下らぬ"絵空事"は棄てるがいい。


 声の主は咎めるように言う。

 この状況下において、甘えた考えを持っているなど許されない。


 部屋で目覚める前に、怪しげな研究者によって体を弄られた。

 その際に何かを埋め込まれたことも確かに覚えている。


「うぁッ――」


 思い出すことを拒むように酷い頭痛が襲う。

 少女の様子を声の主は嗤う。


『くくっ……小娘。まだ音を上げるには尚早ではなかろうか』


 その直後、硬く閉ざされたドアが開け放たれ、武装した男たちが入ってきた。


 この怪しい施設の兵士なのだろう。

 統一された黒い隊服を身に付けていて、目元は黒いゴーグルで覆われており感情は窺えない。


 首枷に鎖を繋ぐと無言で銃口を向け、立ち上がるように促す。

 歯向かう気力など微塵も起きなかった。


『心外だな。あやつらは小娘のことを実験動物モルモット程度にしか思っておらぬようだ』


 不愉快そうに呟き、そして、怯えきった少女の様子にどうしたものかと思案する。

 彼女の脳内を"死への恐怖"が満たしているのだ。


『死の恐怖に囚われてしまうのは、それを受け入れざるを得ない弱者だからだ。であれば、死を与える側になればよい』


 言葉に耳を傾ける余裕など無い。

 それを知っていて、尚も言葉を紡ぐ。


『――クロガネ。異邦人の小娘よ。お主は新たな名を魂に刻み、そして』


――殺戮し、捧げるのだ。


 その名は、気味が悪いほど欠落した記憶の中に溶け込んで馴染んでいた。



   ◆◇◆◇◆



 連行された先は広い部屋だった。

 高校の体育館くらいはあるかな、などと現実逃避するように元の世界を思い浮かべてしまう。


 辺り一面が一切の汚れもない白色で眩しいくらいだ。

 その開けた空間に、首枷の鎖を外されて蹴り入れられる。


「ぐぅっ……!」


 乱暴な扱いに、少女――クロガネは自分の運命を悲観してしまう。

 ここまでの悪夢はただの下準備に過ぎず、これから本格的に悪夢が始まってしまうのだ。


 金属質な床に転倒しただけでも、平凡な日々を過ごしてきた彼女にとっては泣きたくなるほどの痛みを感じる。

 痣になるかも……などという不安を抱けるのは、それだけ元の世界が恵まれていたからだろう。


『――実験体番号0040Δフォーティーデルタ


 スピーカー越しに声が響く。

 その声には聞き覚えがあった。


 0040Δフォーティーデルタという文字列は自分のことを指しているのだろう。

 傲慢な扱いに、ようやく少しばかりの苛立ちを覚える。


 それを咎めたところで男は意に介さないだろう。

 生き延びるため、いつの間にか乱れていた呼吸を整えようとする。


 辺りを警戒しつつ、平常心を保つ。

 死にたくない。

 ただ一つ、それだけの感情が彼女の思考を満たしている。


『日に一度、君にはある試験を行ってもらう。至極単純なものだ、複雑に考える必要は無い』


 入室した反対側にもドアがあった。

 そこから、鎖に繋がれた"得体の知れない何か"が強引に押し込まれる。


 それは浅黒い肌をしていた。

 背中は酷く丸まっており、伸び切った白髪は薄汚い。


 人間のようでいて、身の丈はクロガネの倍はあろうかという巨躯を誇る。

 濁った瞳からは一切の知性も感じられず、その口元は不気味に震え続けている。


「ヴゥゥ……」


 唸るような低い声で、異形の化け物が首元の枷を弄る。


 当然ながら対話は不可能だ。

 声をかけたとして、意志疎通が可能な相手だとは到底思えない。


『検体No.0073。愚者級――悪食鬼あくじき


 こんな化け物を飼っているのだ。

 非人道的な実験や危険な施術だけに留まらず、こうした命を冒涜的に扱う施設に、クロガネもまた囚われている。


 形容し難い。

 先ほど感じた微かな苛立ちも、こうして再び恐怖に捩じ伏せられてしまうのだ。

 理不尽を呪う余裕はなく、視線を右往左往させるも逃げ場は見付けられなかった。


「殺さないで……嫌だよ、こんな……」


 これが見世物などであれば、まだ悪趣味な手合いだと吐き捨てることも出来たかもしれない。

 モニター越しで眺めているのは研究者たちであって、自分は物のように扱われ、言葉を発したところで誰も気にも留めてくれない。


 孤独と、理不尽と、不気味さと。

 あらゆる恐怖がクロガネを苛んで逃がさない。


『同室した全てを殺せ。果たせないのならば……この先を考える必要は無くなるだろう』


 試験の説明はそれだけだった。

 生きるか死ぬか、それ以外のことを考える必要はない。


 化け物――悪食鬼の濁った目が、震えながらクロガネに焦点を合わせた。


『――機動試験開始。存分に健闘してくれたまえ』


 その合図と共に、悍ましい咆哮が部屋に響いた。

File:愚者級『悪食鬼』


CEM子会社の元作業員だったが、『静性メディ・アルミニウム』採掘場におけるエーテル公害によって魔物化。

災害等級は低いが、捕獲までの間に十人を喰らうほどの狂暴性の高さが窺える。

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社員を怪物化とかまさに屑じゃねえか
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