199話
「どうやら間に合ったようで」
ヘクセラに銃を突き付けられていたヴァルマンが胸を撫で下ろす。
事前に聞いていた通りに物事が進んでいるようだ。
もう身の安全は保証されたも同然と言わんばかりに、呆然と立ち尽くしているヘクセラから離れる。
「どういう事ですか、ヴァルマン……っ!?」
啓崇は悲痛を圧し殺しながら問う。
まるでユーガスマが姿を表すことを知っていたかのような物言いだ。
黎明の杜にとって心強い協力者だったはずの彼が、今は嫌な笑みを浮かべて佇んでいる。
「貴様も……何を言っている?」
「あぁ、ヘクセラ長官。誤解なさらず。私はフォンド博士に頼まれて、長官救出の手引きをさせていただいたまで」
そう言って、ヴァルマンはユーガスマに視線を向ける。
「確かに、この施設の座標データを送ってきたのはフォンド博士に間違いない。長官を助けるようにと、わざわざ政府に傍受されないよう対策した上で連絡をしてきた」
ゆえに、彼の言葉に偽りはないと。
ヴァルマンは黎明の杜に潜む内通者として、これまで多くの情報を流してきた。
「そういうことです。ご納得頂けたのであれば、銃口をどうぞあちらに」
啓崇を指差して、ヴァルマンは穏やかな笑みを浮かべて言う。
どうやら彼は敵ではないらしい……と、ヘクセラは困惑しつつ銃口を逸らす。
だが、直後に銃声が響く。
「そんな下衆を野放しにするつもり?」
クロガネが嘆息する。
頭部の中心を見事に撃ち抜いて、一発でヴァルマンを絶命させていた。
彼はフォンド博士の飼い犬だ。
下手に放置して不覚を取られるわけにはいかない。
どれほどの筋書きが用意されているのか、その一端さえも見えていないのだから。
「ユーガスマ執行官、その無法魔女を捕縛……いや、そもそもなぜ君は統一政府を……あぁ! この事態を整理できていないのは私だけか!?」
ヘクセラが苛立ったように声を上げる。
彼女の想定していた事態と、実際に目の前で起きた光景とではあまりにも大きく異なりすぎていた。
「残念だが、政府は私達を処分する心積もりらしい。そこの分隊も味方ではない」
「そんな馬鹿な話が……」
あるわけがない……と、断言することもできなかった。
ヘクセラの掲げる方針は統一政府にとって都合が良いものとは言い難い。
「長官が魔女名簿への登録を推し進めたことで治安は大きく改善した。無法魔女による凶悪犯罪も僅か五年足らずで三割減となったが……代わりに、統一政府が秘密裏に行っていた"魔女狩り"が滞り始めたと聞く」
名簿によって魔女を管理することで犯罪を抑制する。
登録魔女という公的な身分を与えることで、少なくとも金銭に困って犯罪に走る者は激減した。
そして同時に、名簿に登録された魔女には治安維持に対する義務が生まれる。
魔物の発生やエーテル公害などの場において、その特異な体質を活かして任務に当たらなければならない。
「魔女を管理するという施策に、政府の私欲が衝突してきたのだろう」
「……心当たりがないわけではない」
魔法省は独立した権限を持つ組織だ。
犯罪等の取り締まりからエーテル公害の対処まで幅広く管轄しており、外部から干渉を受けるようなこともない。
例外があるとすれば統一政府だろう。
法を遵守する市民たちとは違い、一等市民は何者にも縛られない権利を有する。
発言そのものが法律以上の強制力を持つような存在だ。
そんな彼らが、社会に関する様々な事項を決めていく中で、魔法省の方針に対して口出しをしてきた。
前例のない事態に対して、妥協点を探りつつ魔法省の権力を維持する方向で交渉していた。
「だが……それで無法魔女と手を組む理由にはならないだろう?」
ヘクセラはクロガネに視線を向ける。
戦慄級の魔女で、裏社会で名の通る殺し屋。
幾つものシンジケートと繋がりを持ち、その背後には裏懺悔が付いていると。
魔法省の被害も十人や二十人では済まない。
多くの捜査官たちの命を奪った仇敵を前にして、敵意を露わにしている。
「酷い目をしているな。殺気が渦巻いて……殺しを厭わない冷徹な魔女と聞いていたが、噂以上に危険な存在のようだ」
命を奪うことにまるで躊躇がない。
でなければ、こうも容易くヴァルマンを殺したりはしないだろう。
命を命として見ていない殺戮マシンのようだ……と、そんな感想を抱いてしまう。
「ユーガスマ執行官。君を疑いたくはないが、全てを鵜呑みにすることもできない」
「長官の信用を得るには、何が必要だ?」
事実を全て伝えるには時間が不足している。
統一政府の小隊を排除したことも既に把握しているはずだ。
増援を呼ばれる前にこの場から離脱しなければならないが、半信半疑のままヘクセラを連れ歩くのも厳しいだろう。
「禍つ黒鉄を排除しろ。彼女は危険すぎる。それに、政府への交渉材料としても価値がある」
その言葉に、クロガネはヘクセラに銃を向ける。
もしユーガスマが敵対する意思を見せるなら、彼を狙うよりも彼女を狙った方が牽制になるだろう。
警戒しつつ身構えていると――。
「長官の命令であろうと、それはできない」
ユーガスマが命令を拒んだ。
停戦という言葉に偽りはなく、敵対してまでヘクセラの信用を優先するつもりはないらしい。
「……そうか」
失望したように呟く。
無法魔女の取り締まりにあれほど尽力していたはずの男が捕縛する素振りさえ見せないのだ。
彼女から見て、今のユーガスマは正義を失っている。
「残念だ」
ヘクセラは嘆息して歩き出す。
魔法省長官として次に何をすべきか、彼女は既に答えを出していた。
当然、今後のプランにユーガスマは組み込まれていない。
「ユーガスマ・ヒガ。現時刻を以て貴官の権限を全て剥奪し、魔法省より除名処分とする」
そう言って、以降は口を閉ざして去っていった。
「あのまま放っといていいの?」
「構わん。長官にも立場がある」
無法魔女と手を組んだ時点で予想していたことだった。
魔女名簿への登録を推し進めるヘクセラからすれば、それこそ裏切りと取られてもおかしくないだろう。
この場を中立の状態で保留しただけでも彼女なりの譲歩が感じられた。
「執行官として、最後の責務も果たした」
地上に出れば、特務部の捜査官たちがヘクセラを保護する手筈になっている。
自分が付いていなくとも、彼女ならその後は上手くやってくれるだろうという信頼があった。
「この身は――もはや、魔法省の所属ではなくなった」
腕章に手を伸ばし――力任せに引き千切る。
積み重ねてきた功績も全て失った。
今の彼は、政府に追われる危険因子でしかない。
ユーガスマは静かに瞑目する。
自らを奮い立てるように、閉ざされていた記憶を何度も呼び起こす。
身に纏う気配が変わった……と、クロガネは彼を見詰める。
紳士然とした風貌に、鬼のような怒気を帯びている。
「後の事は好きにするといい。だが、長く留まることは避けるべきだ」
彼でさえ全容を把握できないほどの巨大な悪意が、黎明の杜を中心に蠢いている。
クロガネの力量を知った上で、敢えてユーガスマが忠告する。
表の世界にも裏の世界にも味方がいない。
孤独な戦いに身を投じることになる。
だというのに、彼は一切の躊躇もなく、これまでの人生を投げ捨ててまで仇討ちを望んでいた。
彼にこそ、忠告が必要だろう。
「こんな世界で、誰かを信用しない方がいい」
「留意しよう」
ユーガスマは返事をして、ふと気付いたように呟く。
「……まるで、別の世界でも知っているかのような物言いだな」
僅かに口角を持ち上げて、そして背を向ける。
誰かを信用してもいい世界――彼は物語か何かだと想像しているのだろうが、実際にクロガネは別の世界を知っている。
どうせ話す機会もないだろう……と、その背を見送って。
「ついて来て。拒んだり抵抗するようなら殺すことになる」
未だ状況を理解しきれていない啓崇に、クロガネが銃を突きつける。