198話
まだ終わったわけではない。
この場で啓崇に残された選択肢は三つある。
「っ……」
一つ目は、戦闘員たちと共に抵抗すること。
勝機がない状態で無意味に命を散らすことになるだろうが、上手くいけばヘクセラ一人くらいなら殺せるかもしれない。
そうなれば、残った氷翠や壊廻が少しは行動しやすくなるだろう。
二つ目は、武器を捨てて投降すること。
この場で処分されることはないが、その先で待っている地獄は想像に難くない。
そうして時間を稼げさえすれば氷翠たちの救助を期待できる。
どちらの選択肢も現実的ではない。
これだけ大規模な襲撃を各地で受けているのだから、氷翠たちも逃げるだけで精一杯の状態だろう。
そして、最後の一つ。
彼女が最も忌避する選択肢。
この場における最適解ではあるものの、何よりも抵抗を覚える手段に頼ることになってしまう。
(真実を知ってしまった今、"貴女"の手を借りるのは不愉快ですが……)
心の中で呟いて、ゆっくりと深呼吸をする。
体を脱力させ、全てを受け入れるための器を用意する。
「もう、選択の余地は無いようですね」
偉大なる始祖。
万象の起源。
魔法という現象を生み出した、太古の存在。
啓崇は原初の魔女との繋がりを持つ。
それは神託を賜る『天啓』のための力だ。
都合良く助言を得られるわけではない。
未来予知に等しい高次元の情報も、かの魔女の機嫌によって得られる時と得られない時がある。
「――この矮小な身に、未だ利用価値があるならば」
だが、その身を傀儡として差し出すのであれば。
かの魔女が、道具としての自分が生存することを望むなら――きっと応えてくれるはずだと。
「――どうか、生き長らえるための力を」
道筋を示して欲しい。
原初の魔女ならば、この状況を覆すことだって可能なはずだ。
その力で狂信を集めてきたように。
何でも構わない。
自分にも、心酔してしまうくらいの奇跡を見せてほしいと望んだ。
そんな想いに応えるように、ただ一言だけ。
『――貴様にこれ以上は望まぬ』
突き放すように告げて、それ以降は何も喋らなくなってしまった。
「……っ」
もう原初の魔女との繋がりも感じられない。
接続を断ち切られ、今は使い道のない膨大な魔力が残るのみ。
手に持った銃型対魔武器を使う分には足しになるが、根源となる『天啓』を失えば無能力に等しい。
あらゆる悪意が、この状況を望んでいた。
自分たちは貪られるための生き餌として育てられてきたのか……と、呆然と立ち尽くすことしかできない。
気付いてしまったのだ。
こんなにも上手く行っていた作戦が、たった数時間で壊滅するはずがない。
――この場に至るまで、何者かの筋書き通りに動いていた。
誰が背後で操っていたのか。
すぐに思い浮かぶようであれば、こんな無様を晒すことにはならなかっただろう。
必死になって記憶を辿っても何も手掛かりがない。
「どうして、こんな事に……」
このままでは氷翠たちが捕らえられてしまうのも時間の問題だ。
悪魔式が集まるギリギリまで泳がされていたのだろう。
自分たちが知らない場所で、誰かが首輪に繋いだ紐を握っていたわけだ。
彼女たちに落ち度は無い。
組織の発足から現在に至るまで、最大限の務めを果たしてきた。
黎明の杜に集った信者たちは本物で、ここまで規模を拡大させられたのは彼女たちの功績だろう。
だが、強いて言うのであれば。
彼女たちは、この世界で生き抜くには不相応な"善性"を抱えていた。
疑心より信頼――そんな彼女たちでは、巧妙に隠された悪意に気付けるはずがなかった。
「うっ……」
吐き気を堪えつつ、啓崇は銃を構えたまま警戒を続ける。
きっと氷翠なら大丈夫だ。
自分が信じないでどうするのか――心を落ち着かせるように何度も言い聞かせる。
表情を取り繕うことだけは得意だ。
平然を装って、あたかも余裕があるように構えて。
全てを予期していたかのように振る舞えば、少しは時間稼ぎになるだろうか。
「攻撃準備ッ――」
分隊長が指示を出し、隊員たちがESSブレードを構える。
それに合わせてヘクセラが引き金に指を掛ける。
絶体絶命の危機。
前後を挟まれた状態で、迂闊に動けば隙を晒すことになる。
だが、いつまでもこの状況が続くとも思えない。
心臓が潰れそうなほどに苦しい。
助かる見込みはない。
僅かでも、時間の経過によって状況が好転してくれないかと祈るしかない。
後方から向けられた銃口に警戒して、同時に前方の分隊が動き出さないように牽制する。
この不利な膠着が崩れてしまったなら。
そんな焦燥を抱えつつ、迫り来る死を意識しないようにしていると――。
通路の奥から、カツカツと革靴の音が聞こえてきた。
「――長官、この場は危険だ」
拳を固く握り締め、ゆっくりとユーガスマが歩いてきた。
その姿を見て啓崇は希望を失い、ヘクセラは驚いた様子で目を見開く。
「救出に来てくれたか、丁度良い。分隊と連携して危険因子を捕縛し――」
言い終える前に、ユーガスマが力強く踏み込む。
直後には統一政府の分隊が壊滅して、さらには啓崇の横に立っていた戦闘員たちまで殺めていた。
「手際良いね」
感心したように、後ろから眺めていたクロガネが言う。
身体能力も凄まじいが、それ以上に"場を制圧するため"の動きが洗練され過ぎている。
どれだけ戦闘経験を積んできたのか想像も付かないほどだ。
予想とは異なる光景を見せ付けられ、ヘクセラは戸惑いつつ尋ねる。
「ユーガスマ執行官。君は……いったい何を考えている?」
戦闘員を始末するだけでなく統一政府の正規軍にまで仕掛けたのだ。
彼ならば、装備を見れば詳しい所属まで言い当てられるだろう。
それだけでなく、後方に無法魔女を引き連れている。
こんな事態を即座に呑み込めるはずがなかった。