197話
「――悪いが、これは受け取れん」
ユーガスマが招待状を返す。
これが、彼が熟考の末に出した結論だ。
「追われる身ではあるが、悪党になったつもりもない」
正義の反対が悪とは限らない。
悪の反対が正義とも限らない。
歪な社会の中で、様々な思惑が絡み合って軋んでいる。
たとえ執行官という立場を失って、統一政府に命を狙われようとも。
今一度、自分自身に問い掛けた。
何の為に戦うのか。
何を抱えて抗うのか。
「政府に反旗を翻そうと、悪に堕落するつもりもない。私は――己の正義を貫くのみだ」
これが結論だ。
その意思を示すように、ユーガスマは招待状から視線を外す。
統一政府と戦うためとはいえ、悪党になりたいわけではない。
この招待状を受け取れば己の信念が揺らぎかねない。
一度道を踏み外せば後戻りはできないだろう。
その様子に嘆息しつつ、
「だと思った」
クロガネは肩を竦め、招待状を受け取る。
彼が取引に応じるとは端から思っていなかった。
そして同時に、これまでの彼の言動に嘘偽りがないと判断できた。
招待状には無限の価値が秘められている。
悪党に対しては組織の救済として提示できるが、公安に対しては"秘匿されてきた悪党のコミュニティ"を売り飛ばすこともできるのだ。
ユーガスマが裏切る可能性を危惧していた。
もし全てが魔法省の作戦で、彼が演技をしていたとすれば不意を突かれて殺されかねない。
そうでなくとも、この情報を手土産にして寝返る可能性も有り得る。
相手は絶対的な強者。
幾つか保険を用意してあったが、それでも本気で命を狙われたならクロガネでも逃げられるか分からない。
結果として、ユーガスマが裏切ることはなかった。
気を許すつもりはないが、最低限の信用はしてもいいのかもしれない。
「さて。それでは、互いの目的を果たすとしよう」
彼はヘクセラ長官を救い出して、魔法省が統一政府の傀儡にされないようにする。
クロガネは黎明の杜を叩くことで勢力を削ぎ、さらに指導者である啓崇を連れ去る。
利害が衝突することもない。
――『探知』
「……地下で黎明の杜と統一政府の隊員が睨み合ってる」
ここで待ち構えていた部隊とは別の場所で、黎明の杜を制圧するための作戦も続いていたらしい
数は多くないが、大半の警備を突破した後なら十分な戦力に見える。
黎明の杜側は魔女一名、戦闘員三名。
統一政府側は隊員六名――先ほど潰した小隊の別働隊のようだ。
手早く情報を共有して、二人は地下へ向かう。
◆◇◆◇◆
「これ以上、勝手はさせません」
魔力を立ち昇らせ、啓崇が警告する。
その手には特殊な改造を施した銃型対魔武器が握られている。
小型の拳銃のようだが、その威力は極めて凶悪。
あえて動力源を埋め込まずに外部出力に依存させた代物で、啓崇自身とパスを繋いで魔力を供給している。
警告の直前に行った威嚇射撃では、敵のESSシールドを一発で無効化させていた。
この先は『天啓』よる予知能力だけでは生き残れない。
そう判断した啓崇が、魔法工学の研究者にツテがあるヴァルマンに開発を依頼した特製の対魔武器だった。
啓崇の保有魔力は他の魔女を遥かに凌駕する。
原初の魔女と交信するに相応しい量を持っているからこそ、この対魔武器を最大限に活かすことができる。
――壊廻も無事に逃げられているといいのですが。
地下施設まで暴かれてしまった今、黎明の杜に安全な場所はない。
どこかに逃げ延びて氷翠と合流する必要がある。
瞬く間に本部を制圧した統一政府の小隊。
その本体は何らかの思惑を持って入口部分に陣取っている。
追手として差し向けられたのは六名だけだが、それを幸いと言うには戦力差に開きがあった。
壊廻が使用した脱出ルートは隠しておきたいため、別のルートから逃げなければならない。
だが、それには目の前の敵を排除する必要がある。
啓崇一人だけなら逃げられるかもしれないが、引き連れた三人の戦闘員を見殺しにできるほど倫理観を失ってはいない。
「この場は退きなさい。こちらは、背中を撃つつもりはありません」
でなければ、命を奪うことになる。
少しでも多くの仲間を生かすためには、ここでどうにかして交渉する必要があった。
「……」
隊員たちが互いに顔を見合わせる。
そして、何かを決心したように頷いてESSブレードを展開させた。
「なんて愚かなことを……っ!」
啓崇はトリガーに指を掛け、敵に照準を合わせる。
交渉ができないなら、こちら側の被害を最小限に抑えることに尽力すべきだ。
そう考えていたが――背後から銃声が響く。
啓崇の背後に控えていた戦闘員たちが、呻くように声を漏らして倒れ込む。
後方から敵が侵入する余地は無かったはずだ。
しかし一つの可能性に思い至って、啓崇は背後に視線を向ける。
「随分と長い間、私を閉じ込めてくれたな?」
銃型対魔武器を構え、魔法省長官――ヘクセラ・アーティミスが佇んでいた。
地下施設の深部で監禁していたはずだというのに、どのようにして逃げ出してきたのか。
その傍らには、ヴァルマンが両手を拘束された状態で人質に取られている。
脱走するにしても手際が良すぎた。
「っ……貴女が手引していたのですね」
啓崇は自身の浅はかさを後悔する。
相手は魔法省のトップを任された逸材だ。
あの場で抵抗せずに捕まったことさえ作戦の内だったのかもしれない。
前方には統一政府正規軍の分隊。
後方には魔法省長官。
この挟撃から逃げ出すには、あまりにも戦力が不足しすぎていた。