196話
銃声が響く。
弾丸は『破壊』の力を帯びてユーガスマの胸元――心臓の横に埋め込まれたコアを穿って貫通する。
殺すという選択肢を放棄した。
以前のような敵対関係でないなら、この場で仕留めるより今後のことを考えた方が"利益"になる。
「……そうか」
ユーガスマがぽつりと呟く。
肩を震わせ、忘却された記憶を辿る。
溢れ出した感情は"悲しみ"――彼の記憶は、最愛の妻を失った悲劇から始まる。
病で命を落としたはずだというのに、何故だか"金品目当ての無法魔女に殺された"と思い違いをしていた。
記憶が何者かによって書き換えられいる。
それも、一つや二つで済むような量ではない。
辿ってきた人生の大半が、都合の良いように弄り回されているのだ。
彼の娘は魔法省に所属する臨床心理士だった。
ユーガスマの"不自然な言動の変化"に気付いてしまったばかりに、口封じとして消されてしまった。
その直前に彼女から記憶改竄の話を聞いたことも、記憶の奥底に閉じ込められていたらしい。
そして、孫娘――ユーリ・ヒガ。
同じく魔法省に所属していた彼女も、ユーガスマを従属させるには支障となると判断されたのだろう。
事故に見せかけて命を落とさせる。
そして、原因を無法魔女に押し付けることで職務への意欲を向上させる。
そうすることで優秀な傀儡にするための下準備が整う。
だが、統一政府にとって想定外の事態が発生した。
意図して家族を始末していたことに勘付いて、ユーガスマが制御装置で抑え切れないほどの憎悪を抱えてしまったのだ。
「アグニ・グラ……あの小娘がッ!」
憎悪を拳に込めて壁を殴る。
そうでもしないと正気を保っていられそうになかった。
荒く呼吸をしながら、ユーガスマは崩落した壁を見詰める。
無意味な行為だ。
こんな事をしたところで己の品位を損なうだけ。
「許せんッ――」
もう一度、乱暴に壁を殴る。
怒りの矛先を向ける相手を見付けられず拳を震わせる。
全てを破壊し尽くしたい衝動に駆られていた。
耐え難い屈辱と、抑え切れない憎悪。
声を荒らげて暴れ回りたい気分だったが、ユーガスマは息を震わせながら深呼吸を始める。
殺気を抑えることができない。
先ほどクロガネを「殺気立ちすぎだ」と咎めたばかりだというのに。
それでも無理矢理に呼吸を整えて、平然を取り戻したフリをする。
「……記憶の混濁が激しい。この件について、時間をかけて整理する必要がある」
そう言って、取り戻した記憶について保留する。
制御装置を破壊したことで、刷り込まれていた"無法魔女への嫌悪"にも疑問を抱き始めていた。
「統一政府は私を制御しきれないと判断したようだ。異論を唱えぬ都合の良い駒を欲していたのだろう」
だが、彼は生き延びた。
どういう巡り合わせなのか、黎明の杜本部に偶然訪れたクロガネによって処分を阻止された。
撃たれた胸元を手早く処置してから、ユーガスマがクロガネに向き直る。
「一つ、貴様には借りができたようだ」
この場で制御装置を壊せなければ、いつ再び記憶を弄られてしまうか分からなかった。
就寝して翌朝目が覚めたら今日のことを忘れていた可能性もある。
それほどまでに凶悪な装置を無断で埋め込まれていた。
「無法魔女に借りを作っていいの?」
クロガネはエーゲリッヒ・ブライの召喚を解除する。
むしろ撃って清々したくらいで、これで貸し一つになるのなら悪くない。
「フォンド博士よりは、幾分かマシというだけだ」
ユーガスマはバツが悪そうに答える。
統一政府に対する怒りは本物だが、これまでの正義感を失ったというわけでもない。
「なら、取引しない?」
彼はもう魔法省に戻ることができない。
今回のように刺客を送られてくる可能性も高い。
彼ならば易々と殺されることはないだろうが、監視の目を掻い潜って逃亡生活を続けていると精神を磨り減らすことになる。
この状況を利用しない手は無い。
「……何を企んでいる?」
ユーガスマが警戒した様子で尋ねる。
相手は裏社会で有名な殺し屋だ。
自分を都合良く利用するつもりならば、統一政府と同様に敵と見做す必要もある。
訝しげな様子の彼に、クロガネは一枚のカードを投げ渡す。
「"Invitation card"……これは、何かの招待状か?」
「それがあれば、ディープタウンに自由に出入りできる」
それを聞いてユーガスマが目を見開く。
ディープタウンについて知っているらしい。
「悪党たちの招待制コミュニティか。魔法省でさえ、その実態を掴めずにいたが……」
存在さえ疑わしいくらい手掛かりが無かった。
そんなディープタウンへの招待状を、このタイミングで受け取ることになるとは思ってもいなかったらしい。
「これで統一政府から身を隠せと」
「そういうこと」
ラプラスシステムを用いた完全管理社会の実現。
魔法省の上層部に身を置く彼ならば、その危険性を誰よりも理解している。
制御下から逃れたユーガスマを統一政府が放っておくことは有り得ない。
最優先で排除すべき危険因子として、ひたすら刺客を送り込まれ続ける生活を過ごすことになる。
いずれ、疲弊しきって始末されてしまうかもしれない。
「……」
じっくりと招待状を見詰め、深く考え込む。
一枚のカードにどれだけの価値が秘められているのか想像も付かない。
この借りは高く付きそうだが、それ以上のメリットを感じられる。
提案が破格の条件であることも即座に理解できた。
五分ほど悩んだ末に、ユーガスマはゆっくりと息を吐き出す。
どうやら覚悟を決めたらしい。
招待状を持って、ゆっくりとクロガネに歩み寄る。