195話
「……魔力が戻った」
クロガネはゆっくりと深呼吸をする。
体の感覚を確認して、試しに『能力向上』を発動させる。
以前と同じように効果が現れた。
一欠片の違和感もない。
これで厄介な足枷は外れた。
だが同時に、MER装置の効力が消失した今――。
「それは、挑発のつもりか?」
ユーガスマが嘆息する。
銃口を向けられているというのに、意に介さずに佇んでいる。
「少なくとも、今は殺り合うつもりはない。他に優先すべきことがあるだろう」
その言葉を聞いて、クロガネも肩を竦めて銃をしまった。
どうやら試すまでもないようだ。
「この拠点にはヘクセラ長官が監禁されている。そして、黎明の杜の『教導主』啓崇もいるはずだ」
「その情報源は?」
「CEMの最高顧問、グリムバーツ・アン・ディ・フォンド博士だ」
隠すつもりはないらしい。
彼もまた、フォンド博士の思惑を掴みかねているようだ。
「博士は何らかの意図を以て情報を流している。この件に関しても、内情を探るために工作員を紛れ込ませていたのだろうが……」
「どうせ碌なことを考えてない」
あの歪な精神構造を読み解くことは不可能だ。
人類史上最高とされる研究者。
天才的な頭脳の中に、いったいどれほどの狂気を秘めているのか。
「……それで、そっちは何が目的?」
「ヘクセラ長官を救出するのみだ。それ以外は……貴様の好きにするといい」
黎明の杜が所有する全てを奪っても構わないと。
厳格な彼からは想像できないくらい寛容だ。
「長官は魔法省に欠かせない人材だ。彼女を失えば、次は統一政府に都合のいい人材が据えられることになる」
「殺される危険は?」
「ある……が、彼女の救出を大々的に発表すれば、表立って手を出すことはできなくなるだろう」
だが、急がなければこの騒ぎに乗じて排除されてしまうかもしれない。
そうなれば、この社会は歪に――。
「もう歪んでる」
まだ平和ボケしているユーガスマを咎めるように。
そもそもの社会構造からして、統一政府の存在など関係なく狂っている。
「黎明の杜が存在しなかったとしても、別の誰かが蜂起してる」
「……否定はできんな」
特権と迫害を前提とした市民の三階級制。
生まれた時から常識として刷り込まれていなければ、こんな歪な構造を正常だと思う人間はいないはずだ。
「私は、その者たちを"危険因子"として排除してきた」
ユーガスマは深く考え込むように瞑目する。
己の辿ってきた道筋は、はたして本当に正義に基づいていただろうかと。
「……」
ゆっくりと深呼吸をして、体中に魔力を巡らせる。
だが、やはり自分では何も感じ取れない。
「禍つ黒鉄。一つ聞きたい」
背を向けて、無防備に両腕を広げて佇む。
確認しなければならないことがあった。
「この体に埋め込まれた制御装置を外せるか」
都合の良い駒として動かすために、様々な細工をされている可能性がある。
記憶の一部を封じされているだけで済めばマシなくらいだ。
反魔力を消し去って、一切の敵意も見せずに。
そんな姿にクロガネは警戒しつつ、その背に向けて手を翳す。
――『解析』
執行官は改造手術を受けた強化人間だ。
中でもユーガスマは特別製だと認識していたが――。
「……これが」
外見は人間と変わりない。
だが、その内側は骨格から筋繊維に至るまで全てがエーテルの侵蝕によって強化されていた。
強靭な肉体を支える心臓は激しく脈動し、絶えず全身に魔力を循環させている。
純粋にエーテルに適応した魔女とは違う。
適応するように弄られているだけだ。
人間としての自我を維持させつつも、魔物のように変異しているわけでもない。
「……自分がどれだけ弄られてるのか知ってるの?」
「さて、な。責務を全うするためならば、必要な処置は全て受けるつもりでいた」
適性というべきなのだろうか。
ただの人間をこの水準まで引き上げられるならば、そもそも登録魔女という存在が不要になる。
全ての執行官がユーガスマのように化け物じみた力を手に入れられるとは考え難い。
「……心臓の横に妙なコアがある。エーテルが脳とパスを繋いで、何かを塞き止めてる」
「恐らく、それが制御装置だろう」
ユーガスマは銃で撃てと言わんばかりに、腕を広げたまま待機している。
下手な人間に任せれば死の危険があるような場所だ。
照準が1ミリでも逸れたなら、心臓を損傷して命を落とすことになってしまう。
「……」
天敵を殺す好機だ。
今ここでユーガスマを排除できたなら、自分にとって脅威となる存在が一人減ることになる。
それも、正攻法ではまず勝てないような相手だ。
クロガネはエーゲリッヒ・ブライを呼び出す。
照準は心臓の横に埋め込まれたコア――湧き上がる殺意が、銃口を僅かに逸したがっている。
――殺すべきだ。
溢れ出る殺意がクロガネの魔力を荒れさせる。
彼を殺したら、自分はどれだけ強い力を得られるのだろうか。
殺せば殺すだけ強くなれる。
その仕組みは原初の魔女から逃れた今でも残っている。
有象無象を積み重ねても微々たるものだが、相手がユーガスマとなれば話は変わってくる。
クロガネはこの場を訪れた当初の目的を思い出す。
それは"利益"を得るためだ。
理不尽な社会で生き抜くためには、この動乱期を上手く立ち回る必要がある。
何が最善で、最も利益を生む選択肢なのか。
それを彼女が知らないはずがない。




