193話
魔法省特務部・特殊組織犯罪対策課主任――ユーガスマ・ヒガ。
人類最強と謳われる執行官だ。
危険因子の排除を主な任務とし、社会の治安を乱す悪人たちを捕らえてきた。
冷徹な彼は一切の手心を加えずに無法者を叩き潰す。
その行為に疑問を抱くことなく、今日まで執行官としての責務を果たしてきたはずだった。
――何が気に食わないというのか。
黙したまま、俯いて思考する。
統一政府が自分を狙う理由が分からない。
危険因子と認定されるような行為に手を染めたつもりはない。
ではなぜ……と、答えの出ない思索に溺れる。
記憶を封じられた状態で考えたところで、結論に辿り着くことなど不可能だろう。
それでも解を求め自問自答を繰り返す。
そうしている内に、自らが不自然な感情を抱いていることに気付く。
脈絡のない諦念、憎悪、殺意――そして激昂。
――感情を抑え込めない。
自分の知らない"何か"がこの事態を呼び寄せてしまった。
魂に深く刻み込まれた憎しみが、腑抜けてしまった自分を苛むように膨れ上がっていく。
これが他の誰でもない、自身の感情であることは本能的に理解できていた。
その感情と結びつく記憶がないということは、何者かによって過去の一部を閉ざされてしまったのだろう。
何か細工をされた可能性が高い。
だが統一政府に対して従順な者にさえ、非道な実験を行う必要があるのだろうか。
もしくは、気付かぬ内に危険因子と認識されるような行動を取ってしまったのか。
答えが分からない。
己が何を成すべきなのかさえ、今の彼には見当も付かない。
ただ執行官という肩書が身体を縛り付けている。
「……いつまで黙ってるの?」
咎めるように言葉を投げ掛けられる。
魔法を封じられた状態で、一人で奮戦している無法魔女。
その技量の高さには驚かされるばかりだったが、恐らく長くは持たないだろう。
敵は統一政府正規軍、それも対魔女を想定した特殊戦闘部隊だ。
治安維持部隊と異なり全員が対魔武器をフル装備している。
一個小隊のみで戦慄級の魔女を無力化する。
生け捕りにすることを目的としているようだが、輸送先でどのような用途に使われるのか想像も付かない。
少なくとも公にできない研究内容であることは確かだ。
様々な組織の黒い思惑が蔓延っている。
自分は流れに身を委ねたままでいいのだろうか。
このまま目の前の魔女を見殺しにして。
そして、自分の命をタダで差し出して。
最後に嗤うのは、悪魔のような"あの小娘"――。
「――ッ!?」
気付けば、体が勝手に動いていた。
追い詰められていたクロガネを庇うように前に出て、掌底を敵の腹部に捩じ込む。
「がぁッ――」
魔法封じなど関係ない。
ユーガスマならば、頑丈なプロテクターの上からでも有効打を与えられる。
魔物の外殻さえ無視して内部に衝撃を加える技術。
魔力による強化が無くとも、改造手術によって極限まで引き上げられた身体能力だけで過剰な殺傷力を持っている。
それを生身の人間に向けようというのだ。
攻撃を受けた隊員は口から血を吹き出して倒れる。
内蔵を酷く損傷しているため助かることはない。
その光景を見て、他の隊員たちが息を呑む。
「……停戦だ。手を貸せ、無法魔女」
拳を構える。
迷いを振り切れたわけではない。
何か嫌な記憶を思い出したような気がしたが、ほんの一瞬で暗闇の底に沈んでしまった。
それでも、この選択が正しいのだと裏付けるには十分すぎた。
「殺れるの?」
「問題無い」
最小限の言葉を交わし、敵に視線を戻す。
味方という訳ではないが、この場を切り抜けるには協力せざるを得ない。
互いの実力は嫌というほど目にしてきた。
戦力として不足はない。
これによって戦況が覆り――狩る側と駆られる側の立場が逆転した。
「奴の装備には、試作段階のMER装置が隠されているはずだ」
ユーガスマが隊長を指して言う。
魔法を封じるための装置を携帯しているらしいが、どこに隠し持っているのかは不明だ。
それでも、殺しさえしてしまえば後々いくらでも探す時間は得られるだろう。
「周りの羽虫は?」
「気にする必要は無い」
自分は標的を殺すことだけに集中すればいい。
他の敵はユーガスマに押し付けてしまって構わないらしい。
「……」
クロガネはまだ半信半疑の状態だった。
殺し屋に手を貸すような男ではないと思っていたが、あるいは信念を捻じ曲げてでも生き延びなければならない理由があるのだろうか……と。
「己の意思で、晩節を汚すことになるとは」
そう呟いたが、既に覚悟は決まっているらしい。
研ぎ澄まされた殺気が場を支配していく。
忘却された事象にどれだけの意味があるのかは分からない
だが、これだけ大きな負の感情を抱くとなれば相当な事態なのだろう。
執行官として模範的な行動を心掛けてきたユーガスマでさえ、こうして切り捨てられてしまうほどに。
「いざ――」
固く握り締めた拳に殺意を込めて。
既に危険因子と認定されてしまったのだから、もう遠慮する必要はない。
「――参るッ」
身を縛り付ける鎖を断ち切って、魂の叫びに従うのみだ。