191話
最も遭遇したくない相手だった。
これまで幾度となく敗走を強いられてきた、天敵と呼ぶべき存在。
多くの無法魔女が彼の拳によって沈められてきた。
「――この場を制圧する」
ユーガスマが宣言し――その姿が掻き消える。
踏み込みから拳打を放つまでコンマ一秒とかからない。
それこそ、どれだけ早撃ちに自信のある者でさえ間に合わないほどに。
だが『思考加速』によって歪められた時間内では、眼前に迫る彼の動きを捉えられていた。
突き出された拳を半歩下がって躱す。
そして、続く猛攻に呑まれないようエーゲリッヒ・ブライを突き出す。
「やってみなよ」
挑発して、トリガーを引く。
両手にそれぞれ七発ずつ弾が込められていて、計十四発を全て間近で撃ち込む。
だが、当然のようにユーガスマは全弾を躱す。
凄まじい身のこなしで、彼の姿が視界内で激しくブレていた。
弾切れと同時に距離を取ろうとするが、後方から殺気を感じて左側に飛ぶように避ける。
直後に無数の銃声が響き――銃弾の嵐が微かにクロガネの脇腹を掠める。
「チッ――」
苦痛に顔を顰めつつ、クロガネは銃口をユーガスマと支援部隊の両方に向けようとする。
だがそこで奇妙なことが起きていた。
背後の敵部隊はユーガスマにも攻撃を仕掛けていた。
魔法省とは別口だったと気付いた瞬間、クロガネは即座に機式を持ち替える。
「機式――"フェルス・クラフト"」
大型のアサルトライフルを呼び出し、構える。
マガジン内には計五十発――その全てをたった二秒間で吐き出す、制圧力の高い機式だ。
「まとめて死ねッ――」
薙ぎ払うように掃射する。
敵部隊のESSシールドに激しく損傷を与えつつ、その内の何発かがユーガスマの四肢を掠める。
初めて有効打が入った。
戦闘に支障が生じるほどの怪我ではないが、負傷させたことで無謀な戦闘でないことを確信する。
これならば殺せる……と。
だが、その直後。
「試式MERを起動するッ――」
周囲を得体の知れない"何か"が満たしていく。
格上の魔女を相手にしているかのような圧迫感だ。
クロガネは警戒しつつ、次を『装填』しようとして――。
「――ッ!?」
魔法が発動しない。
MEDのような疑似反魔力装置よりも強力な減衰を感じる。
これでは機式を扱うことができない。
それだけではない。
先程まで発動させていた『能力向上』と『思考加速』さえ解除されて、今のクロガネは"並の人間より身体能力が高いだけ"の状態になっていた。
こんな場所に罠を張っていただけのことはある……と、クロガネは舌打つ。
戦慄級の魔女すら無力化してしまうほどの装置を携帯している部隊。
それほどの装備を持っているとなれば、正体は一つしか思い浮かばない。
「統一政府が仕向けた刺客か」
答えを言うよりも早く、ユーガスマが忌々しげに呟いた。
どうやら魔法省とは関わりのない任務に当たっているらしい。
「……なぜ、彼らはそうまでする」
ユーガスマが困惑するような素振りを見せる。
本来なら連携してクロガネを排除すべきだ。
だというのに、統一政府の部隊はユーガスマさえ排除しようと企んでいる。
執行官としての責務に苛まれ、拳を向けるべき先に迷ってしまう。
「チッ……」
クロガネは腰から通常のハンドガンを二丁取り出す。
市場に流通しているものとは異なる特別製だが、この場を凌ぐには心許ない装備だ。
何より、魔法が封じられてしまったことで圧倒的に不利な状況に立たされてしまった。
この三竦みの中で、魔力を失って最も弱体化するのはクロガネだ。
どれだけ殺しの腕を磨いてきたとしても、ここには技術で埋められないほどの人数差がある。
ユーガスマは何かを呟きながら考え事を始めている。
彼からも魔力の気配が消失していた。
もしかすれば、先程の装置は自分だけを対象にしたものではないのかもしれない。
彼を無視して逃げることは難しいが、今は攻撃の手が止まっているだけでも十分だ。
クロガネは銃を構え、統一政府の部隊と対峙する。
「――魔力反応の消失を確認。標的二名の捕獲作戦に移行する」
隊長が指示を出すと、部隊の半数が近接装備に切り替えた。
魔法が使えなくなったところを数で制圧する。
対魔女を想定するなら理想的な方法だろう。
「……ッ」
あまりにも数が多すぎる。
建物内に潜伏していた敵の数は三十人ほどで、普段なら魔法を使わずとも対処可能な範囲だ。
だが、相手が統一政府の軍となれば話は変わってくる。
通常の弾では意味を成さないようなプロテクターを身に着けて、ESSシールドも装備している。
中にはブレード型に変形させて両腕に装備している隊員もいた。
こうなると、魔法も無しに相手をするなら精々が五人くらいだろう。
先程まで格闘術が通用していたのは魔法があったからだ。
彼らのプロテクターを『能力向上』も『破壊』も無しに砕くことはできない。
想定を上回る事態に焦りを感じていたが、悔いたところで状況は変わらない。
「貴様は……本当にその部隊とは関わりがないのか?」
ユーガスマがクロガネに問う。
神妙な面持ちで、何かを確認するように。
「統一政府なんかと繋がりがあるとでも?」
彼は規則に忠実だ。
魔法省特務部の主任という立場で、犯罪を取り締まる立場にある。
統一政府の部隊が相手では手を出せない。
だが、彼らはユーガスマを殺そうとしている。
たとえ上の判断に異を唱えることがあっても、最終決定には従うのが彼の信条だ。
それ故に、動けない。
構えていた拳を下ろして、深く考え込むように瞑目して黙り込んでしまった。
File:統一政府軍
武力行使を目的とした部隊。
その運用は法による制限を受けず、議員たちの判断によって派遣される。