19話
時は僅かに遡る。
四人の部下を引き連れて、男は廃工場の通路を駆けていた。
「クソッ――どうなってやがるッ!?」
こんなの聞いてねえ――と男は心の中で愚痴る。
ただ"ブツ"を輸送するだけの簡単な仕事。
そこらの同業者と抗争させられるよりはずっと楽なはずだった。
予兆は早い段階から現れ始めていた。
取引相手のマッド・カルテルは何年かの付き合いになる。
密輸ルートの一部分として経由するだけだが、今回はやけに手際が悪かった。
「まさか魔法省に嗅ぎ付けられてるなんて――なぁッ!」
牽制がてら銃を乱射する。
足止めなのだから、サプレッサーは付けていない。
「ブツはしっかり持ってるかッ!」
「はいッ! ここに!」
部下の一人がアタッシュケースを抱えている。
これが今回最も重要な代物で、他のどうでもいいものは置き去りにせざるを得なかった。
「そいつは俺たち全員の命より遥かに価値がある! 腕が千切れても咥えて走れよッ!」
手ぶらで帰れば首が飛ぶ。
良くて労働奴隷落ち、悪くて全身をバラして売り飛ばされる。
それを理解しているからこそ、輸送班を取り纏めるカルロは酷く焦っていた。
「――クソッ!」
魔法省の捜査官と撃ち合いになってしまった。
政府直属の実行部隊を相手にして、全員が無事に帰るのは困難だろう。
練度の差は考えるまでもない。
だが、と気合いを入れ直す。
「数はこっちと大差ねえッ――」
他の四人は組織の下っ端だ。
素人相手ならともかく、捜査官と撃ち合うには明らかに場数が足りていない。
鳴り響く銃声、その間隔と切れ目。
遮蔽物を背に視線だけ交わして仲間と意志疎通をする。
余計なことに気を取られないように……と、意識の全てを戦場に向けなければならない。
他の構成員は未熟すぎる。
装填の隙を突いて仕掛けられるほど流れを感じ取れず、また、その度胸も無い。
「まてよ……」
ふと、本部に救援要請をしたことを思い出す。
そろそろリュエス近辺に来ていてもおかしくはないはずだ、と。
手早く端末を操作して――繋がった瞬間に用件を伝える。
「魔法省の奴らに追い詰められたッ! 例の廃工場で応戦しているッ!」
幸いにも、この場所は"廃工場"と伝えるだけで通じる。
何度も取り引きに使用してきた場所で、ここまで派遣されるような構成員なら間違えようがないはずだ。
後はどれだけの戦力が投入されているか……と、考えたところでカルロは眉間に皺を寄せる。
応答を待たずに早口で伝えたが――反応はない。
ただノイズ音が虚しく流れるだけだった。
「――クソッ!」
せめて断片だけでも伝わっていてくれ、と祈りつつ銃撃戦を再開させる。
救援だけが頼みの綱だ。
「がぁ――う、腕がぁ!?」
後方から声が上がる。
ついに戦線が崩れ始めてしまった。
実力に差がありすぎるのだ。
装備は大して変わらないというのに、こうも違うものなのかとカルロは嘆息する。
一人、右肩と脚を同時に撃ち抜かれてお荷物に。
一人、無警戒に頭を出したところを撃ち抜かれて即死。
一人、離れた場所で、アタッシュケースを抱えたまま地面に踞ってしまう。
「おい、ふざけッ――クソッ!」
チンピラ上がりの素人が、と心の中で毒突く。
とはいえ、彼自身も追い込まれており、打開策も全くといっていいほど思い浮かばない。
絶え間なく銃弾を浴びせられ、抵抗する隙の一つさえ見付からない。
アタッシュケースだけは死んでも回収しなければ――と、カルロは機を窺う。
どうにもならないことは理解している。
だが、どうにかしなければ命は無い。
いっそ離れた場所に逃亡してしまおうか――などと考えていた時。
「……なんだ?」
不意に銃声が鳴り止む。
ピタリと世界が固まったかのように。
「――ッ!?」
続いて激しい物音――甲高い金属音だ。
そして、悲鳴が上がる。
血飛沫が散って、人が崩れ落ちる音。
ゆっくりと余裕に満ちたハイヒールの足音。
再び銃声が何度か響いて、そして何も聞こえなくなった。
――無法魔女だ。
「援護しろッ!」
即座に走り出してアタッシュケースの回収に向かう。
無事な構成員はあと一人。
ここで十分な活躍を見せてくれるならば、上に色々と口利きしてもいいくらいだ。
撃たれたお荷物は二人。
たった一度きりの、絶対に逃せない好機。
せめて死ぬ間際に時間稼ぎでもしてくれ……と、カルロは嘆息する。
File:カルロ-page1
年齢は三十半ばほど。
三等市民で、ガレット・デ・ロワの構成員。
多くの者が何日と持たずに命を落としていく裏社会で五年ほど生き延びてきた強運の持ち主。
咄嗟の判断力には幹部たちからも一目置かれている。