188話
「……助かりたければ手駒になれ、と」
ロウはゆっくりと息を吐き出して、思考に集中する。
提示された条件は破格のものだ。
他のシンジケートより精度の高い情報を得られる上に、ディープタウンへの招待状も手に入る。
アラバ・カルテルの利益を考えれば従うべきだろう。
その手元には確かに本物らしきカードがあった。
少なくとも、偽造したものを差し出すような小細工を仕掛けてくるような相手ではない。
「ただの手駒が欲しいわけじゃない」
クロガネはカードを『倉庫』にしまって殺気を向ける。
鋭利な刃物を首筋に突き付けられているかのような息苦しい緊張感。
これまで育て上げてきた組織を献上し、手駒に落ちるという苦渋の決断――それさえも、まだ考えが甘いと咎められたのだ。
ロウの額に汗が伝う。
言葉の一つを誤るだけで命を落とすような状況。
莫大な価値を持つ招待状と釣り合うものを、今のアラバ・カルテルには用意できそうにない。
だというのに、こうして取引を持ち掛けてきたのだ。
端から可能性がゼロというわけでもないらしい。
「言った通り、依頼内容は指定した施設を襲撃するまで。それ以上のことを要求するつもりはない」
「その取引の中で、我々に利用価値があると示せばいいわけだな」
殺気を浴びながらも、ロウは怯えた素振りを見せずに解答する。
似たような状況を何度も潜り抜けてきたのだろう。
これ以上は試す必要もない……と、クロガネは殺気を収めた。
組織の規模は見劣りするが、彼個人で見れば悪くない人材だ。
それなりに思慮深く、死を突き付けられて取り乱すこともない。
条件となる取引自体はクロガネの都合で成り立っているが、実際に価値を示せたなら手駒にしてもいい。
「招待枠に選ばれるために、最大限の成果を挙げてみせよう」
取引内容を受諾する。
これで、彼は組織の総力を挙げて招待状を狙うことになった。
途中で引き下がることはできない。
必要なやり取りを終えてクロガネが背を向ける。
そのまま出口に向かうと、ロウが「しかし……」と言葉を続ける。
「手駒を選定するために、声を掛けた組織は幾つある?」
微かに焦燥を含んだ質問を投げかけられ、クロガネは肩を竦めて退室した。
◆◇◆◇◆
これまで受けてきた仕事の中で、クロガネは多くの組織と関わってきた。
中でも"マシ"な組織を幾つかピックアップして、招待枠の内の一つを争わせている。
当然ながら、ガレット・デ・ロワのような一流は既にディープタウンに潜っている。
現時点で招待されていない組織となれば、その大半は時世に出遅れているような者たちになってしまう。
それでも、招待されるツテを作らないような稼業――金で雇われるだけの、一時的な関係しか求めないような殺し屋は溢れている。
多方面で恨みを買っていて後ろ盾もないとなれば当然だろう。
ゲーアノート率いるヴィタ・プロージットもそうだが、彼を誘えばアダムとの繋がりが断たれる事になる。
自らの利益を最大限にするにはどうすればいいのか。
入念な調査や試験を行った上で選定しなければならないが――招待枠の一つは既に埋まっている。
面倒な試験を省いてもいいくらいには彼女の才能を評価していた。
「……」
クロガネは大きく息を吸って、瞑目する。
元の世界に戻るために、誰よりも非情にならなければならない。
障害となる全ての存在を排除するには、より強くならなければならない。
罪のない人間すら容赦なく踏み躙る必要がある。
人体実験によって麻痺しきった倫理観に、一般的な道徳観を重ね合わせてみてクロガネは嘆息する。
――元の世界に戻れるのだろうか。
可能性の話ではない。
今の自分が現代日本に戻ったとして、普通の女子高生に戻れるのか。
血に塗れた手で幸福を抱けるのだろうか。
もしこれが酷い悪夢で、次の瞬間には自宅のベッドで目覚めたとして。
この世界に関する記憶全てが幻想だったとしても、きっと強く苛まれることだろう。
だが、それでも――今はこれでいい。
目的のためなら手段を選ばない。
殺しさえも厭わず、他者を思うがままに利用し尽くす。
甘さを捨て、道を阻む者には容赦なく銃弾を撃ち込むのだ。
そのために。
「黎明の杜を叩き潰す――」
氷翠の顔を思い浮かべ、殺気を滾らせる。
彼女は悪人ではない。
だが、この世界で最も大きな罪を背負っている。
それは"弱者"であること。
三等市民たちが容赦なく踏み躙られているのと同様に、力が無いということはそれだけで罪になる。
絵空事を語って信者たちと心中しようとしているのだから尚更だ。
間もなく、世界中が黎明の杜を排除しようと動き出す。
魔法省も統一政府も、裏社会の犯罪組織や無法魔女たちも。
各々が利益を貪るために。
多くの悪意が蠢いている。
誰もが先を見据えて動いている中で、より多くの"取り分"を得ることがクロガネにとって重要だ。
世界の変動に取り残されないため。
それだけの理由で、氷翠たちを殺さなければならない。
File:ロウ・ガルチェ-page2
アラバ・カルテルの会合を取り仕切る男。
同じくゾーリア商業区を縄張りとする犯罪組織との衝突によって組織が疲弊していた。
辛うじて主権を握るも、直後に"統一政府による完全管理社会計画"の情報が流れてきたため八方塞がりになっていた。