186話
はたして、ディープタウンは悪党にとって天国のような場所なのだろうか。
統一政府の監視も無く、魔法省に取り締まられるリスクもない。
悪が蔓延っているコミュニティの中では、誰かに遠慮する必要もない。
誰かを殺したところで咎められるわけでもなく――銃声を響かせるのは何度目だろうか。
「チッ……」
面倒だ……と、クロガネが舌打つ。
裏社会で名前が通るようになったことで、様々な人物に興味を持たれているようだ。
こうして途切れ途切れに刺客が送られて来るのは、きっと自分を試したい者がいるからだ。
使い捨てにするには惜しいような手練さえ仕向けてきている。
全てを相手にしていてはキリがない。
だが、戦いを避けるようなことをすれば舐められてしまう。
一度でも"獲物"と認識されてしまったなら、今後の生活に大きな支障をきたすことになる。
「――ここはそういう場所、なの。そろそろ気付いた?」
唐突に莫大な魔力の反応が"発生"した。
それまで何も『探知』には引っ掛からなかったというのに、クロガネの前方には一人の魔女が立っている。
虚弱そうな見た目の少女。
肌は青白く、触れたら折れてしまいそうなほどに細い――その反面、内包する魔力は常軌を逸している。
これまで対峙してきた相手の中でも屈指の実力者だろう。
そんな彼女が、不思議そうに首を傾げる。
「ん?」
想像し得る限り最も素早い判断だった。
出現を感知してから、クロガネは即座にエーゲリッヒ・ブライを呼び出して構え終えていた。
「先手を奪うつもりだったのに……意外とはやいね」
もしコンマ一秒でも銃を抜くのが遅れていたら、何を仕掛けてこようとしていたのか。
これほどの相手に先手を許してしまうのは命取りだ。
「あんたがディープタウンの主?」
「……の、用心棒。試すように言われて来た」
一歩間違えば命を落としかねないような試し方だ。
ここで失敗するような凡愚なら、死んだところで別に構わないという考えなのだろう。
この試験が"手抜き"だったおかげで無事だった。
もし目の前の魔女が本気で自分を殺しに来ていたなら、負傷や欠損を省みず全力で挑まなければならなかったはずだ。
能力の詳細が分からない魔女を相手にするリスクは計り知れない。
対して、相手はこちらを事前に調べた上で試しに来ている。
不利な状況に置かれたにしては上々の成果だろう。
「合格ってことでいいの?」
「えっと、うーん……いいかも?」
曖昧な返答だった。
最終決定権は彼女にはない。
返答通り"用心棒"という立場のようだが、これほどの魔女を従えられるような人物に護衛など必要なのだろうか。
「えっと……案内、するよ?」
感情の読めない顔をして、少女が歩き出した。
◆◇◆◇◆
ディープタウンの最深部には"煌学式エレベーター"を用いて向かう。
体感時間にすると数秒ほどだが、一体どれだけ地下深くに潜ったのか想像もできない。
「ここ、着いたよ」
少女――虚に促されてエレベーターを降りる。
道中に聞いた話では、彼女はディープタウンの"管理"を手伝っているらしい。
と言っても取り締まりなどをするわけでもなく、いざこざを処理するわけでもない。
悪党が自由を謳歌する街。
そんな場所に平和だ秩序だと声を上げるほうが無粋だろう。
クロガネは周囲を見回す。
この場のエーテル濃度は極めて高く、封鎖区域に指定されていてもおかしくないほどだ。
思い返してみれば、先程までいた場所も表の居住区よりは濃度が少し高かった。
「ここにディープタウンの主が?」
「うん。えっと……気をつけて、ね?」
虚が無表情のまま手をひらひらと振る。
その直後、唐突に視界がぼやけ始めた。
「……ッ」
敵からの攻撃を疑って、即座に反魔力を全開にする。
体を覆うように"破壊"の力を纏って干渉を退け――られない。
「機式――」
戦闘態勢に入ろうと翳した手元に"何か"が絡み付いてきた。
動きを封じるように四肢を固められクロガネは舌打つ。
気づけば見渡す限り一体が闇色に染め上げられ、相手の支配下に置かれている。
どうやら相手は、色差魔の『色錯世界』のように空間に作用させる魔法を扱うようだ。
格上の魔女を相手にするのは久々だった。
反魔力での減衰も望めず、一方的に蹂躙される――それがこの世界の摂理であって、等級の差を覆すことは困難だ。
――『解析』
瞬く間に視界を埋め尽くす"闇"と、自分を拘束している"何か"は同質のものだ。
魔力ではない。
発動者の心に巣食う"悪意"そのものを、魔法によって性質を付与して放出している。
それ故に何よりも黒く、世界を暗闇に閉ざしているのだ。
身動きの取れないクロガネの背後に、何者かが立っている。
「そう暴れるな。一つだけ"気掛かりなこと"を確かめさせてもらうだけだ」
後ろから手を回し、抱き締めるようにして耳元で囁く。
吐息が首筋を擽る。
「……何をするつもり?」
敵意も殺意も感じられない。
ただ純粋な悪意だけが存在していて、自分を弄ぼうとしている。
「ここに興味がある」
服の内側に手を滑り込ませ、腹部を愛でるように撫で回す。
肋骨の下にある手術痕に触れている。
――どうやら"原初の魔女"の遺物が埋め込まれたことを知っているようだ。
「残念だけど、あんたが期待しているようなモノは入ってないよ」
強大な力を宿した『破壊の左腕』を欲しているのだろうか。
或いは、単なる好奇心に過ぎないのかもしれない。
既に遺物は消失している。
破壊の力だけを奪い取って、体内から綺麗に消し去っていた。
裏懺悔の助力がなければ、原初の魔女に言われるがままに殺戮を続けていただろう。
今は自分の意思で殺す相手を選定している。
「確かに……そのようだな」
「っ……分かったなら、離してくれる?」
理解したというのに、腹部を撫でていた手は止まらない。
首筋に感じる吐息は熱を帯びていた。
「お前は不思議な魔力を持っているな。魔女を虜にするほどの魔性を帯びていて、この私ですら目を離せない」
首筋に舌を這わせ、耳を食む。
その度に微かに体を振るわせるのを愉しむように。
好き放題に蹂躙するのは強者の権利だ。
嫌なら力尽くで跳ね除ければいいだけの話であって、それができないなら甘んじて受け入れるしかない。
「遺物の影響だけではない。魂に依存しているのか? 存在そのものが異質で――」
言葉を途中で切って、理性を取り戻したかのように手を離す。
魔法による拘束も解かれていた。
「道理で彼女が目を付けているわけだ」
魔女がクロガネの正面に回って嗤う。
純粋な悪意のみによって作られた、澄み切っていて屈託のない微笑。
妖しげに瞳を光らせてこちらを観察している。
先ほど対峙した虚を更に上回る魔力の持ち主だ。
だが、そんな力量差など考える余裕がないほどに、相手はあらゆる悪意を孕んで佇んでいる。
「私がこのディープタウンの主、妖天元だ。歓迎しよう――禍つ黒鉄」
看守のような装いをした長髪の女性。
目元は愉しげに細められていて、クロガネを舐めるように見つめている。
File:等級測定不能『妖天元』-page1
ディープタウンの主。
全ての悪党の頂点に君臨する存在。
その心に善意は一切無く、たとえ誰かに寄り添ったとしても破滅に導くための下準備でしかない。