174話
――フィルツェ商業区、エルバレーノ四番街。
様々な雑貨屋が並ぶ大通り。
華やかな街並みには、二等市民の中でも比較的裕福な層が集まっている。
たまに一等市民が訪れるようなこともあり、丁度その日もボディーガードを連れて一人の少女が買い物に訪れていた。
特徴的な仮面を身に付けて一等市民は外を出歩く。
素顔で行動する者もいるが稀だ。
なぜなら、その特権を示すために最も都合のいいものだからだ。
その造形を見て、人々は相手が何者であるのかを知る。
蝶を模した白い仮面を付けているのは、一等市民"セレネイア・ゲヘナ"という少女だった。
仮面に気付いた者たちが道を開けていく。
もし不興を買えばその場で殺されかねないからだ。
一等市民が「腹を切れ」と命じたなら、その発言は法的拘束力を伴うことになる。
だが、一等市民に気に入られようと接触を試みる者も少数だが存在する。
「やぁ、素敵なお嬢さん」
一人の男が声をかける。
キラキラと眩しい笑顔で、馴れ馴れしく歩み寄っていく。
ボディーガードたちが行く手を阻むも、気に留めずに言葉を続ける。
「荷物持ちは多いみたいだけれど、腕を組む相手はいないようだね。どうだい、僕と一緒にデートでもしないか?」
「んー、興味ないわね」
セレネイアは素っ気無く返す。
この手の人間は飽きるほど見てきた。
言葉巧みに取り入って、自らも一等市民の肩書きを得ようとするペテン師。
その手段こそ千差万別だが、今回の優男は整った容姿を活かして篭絡するつもりなのだろう。
面倒だ……と、ボディーガードたちに排除させようとした時。
どこかから大きな音が聞こえた。
「爆発……? ここから近いようね」
身構えもせず呑気にいると、続いて複数の銃声が聞こえてきた。
それだけでなく、銃火器とは違う音も幾つか混ざっている。
音の発生源は激しくぶつかり合って、やがて――。
「へえ?」
大通りに魔法省の捜査官が逃げるように駆けてきた。
直後には、何かに弾かれたように軽々と吹っ飛んで地面に転がる。
彼が逃げ出してきた通路からは、今最も世間を騒がせている宗教団体――黎明の杜の信者たちが姿を現した。
数は十人ほど。
全員が武装しており、ただ演説に訪れたようには見えない。
集団の中からリーダーらしき男が歩み出て、捜査官に銃を突きつける。
「我々が自由を掴み取るために、死ね」
「ひっ、やめッ――」
容赦なく射殺。
パニック状態の市民たちを前に、男は銃を翳し上げる。
「見ろ、このザマを。魔法省なんて恐れる必要はねえんだ!」
死体を踏み付けて嘲る。
弱者を散々虐げてきた公安も今では狩られる側なのだと。
乱暴だが、力を示すには最も手っ取り早い。
各地でテロ行為を繰り返すことで、過激な抵抗活動に賛同する者たちも増えてきていた。
そして、男の視線がセレネイアに向けられる。
「おい……お前、一等市民だな?」
ボディーガードなど気にも留めず、彼女のみを見据えている。
この歪な社会構造で最も利益を得ている存在――何よりも憎むべき一等市民を見つけ、鋭い眼光で銃口を向けた。
多くの命を奪ってきた者の目をしていた。
ただ黎明の杜に所属しているだけではないのだろう。
裏社会で殺しを生業として、過酷な人生を歩んできたことが窺える。
自分が連れているボディーガードもかなりの手練だが、それを凌駕するほどの才覚を感じさせる佇まい。
命の危機に晒されて、セレネイアは特に怯えるわけでもなく先ほどの優男に視線を向ける。
「私、強い人が好きなの」
そう呟いて、テロリストたちを指差す。
「……えっ?」
「聞こえなかったかしら。それとも、意味が理解できない?」
面倒そうに眉を顰めつつ、今度は丁寧に。
「あの人たちを追い払って。そうしたら、貴方の話を聞いてあげてもいいわ」
戦力として頼るわけでも助けてほしいと懇願するわけでもない。
セレネイアが発言した瞬間、その内容は法的拘束力を持つ。
彼は武装集団に立ち向かわなければならなくなった。
「い、いや……ははは、冗談はよしてほしいな」
それ以上に言葉のやり取りをするつもりはない。
無言で見つめていると、優男は顔面蒼白になって視線を前方に向ける。
その様子に、居合わせた皆が憐れみの視線を向けていた。
迂闊に手を出すべき相手ではない。
一等市民は自分たちでは理解し難い存在なのだと、初めから分かっていたはずだというのに。
体中が震える。
理不尽な死を前にして、泣き喚かないだけ彼も立派なのだろう。
あるいはリスクを理解していた上で、軽薄なフリをしてチャンスを掴み取ろうとしていたのか。
竦んだ足で、無理矢理に一歩踏み出す。
磨き上げた話術が通用する相手でもない。
殺し合いなんて縁の無かった彼も、今この瞬間に危険に身を投じることとなってしまった。
「くそ、やってや――」
銃声が響いて、優男が崩れ落ちる。
当然の結果だった。
「……ヘドが出る」
リーダーの男が呟いて、死体から視線を外した。
悪趣味な一等市民に玩具にされて命さえ捨てさせられてしまう……そんなことが常識として根付いている。
この光景こそ、黎明の杜が変えたいと願う社会そのものだった。
苛立ちを言葉にして彼女にぶつける暇は無い。
唐突に装甲車両がセレネイアと男たちの間に割って入り――中から魔法省の捜査官たちが出撃する。
「武器を捨てろッ! さもなくば撃つ!」
「あぁ!? やってみろよぉッ!」
啖呵を切って、市街地での銃撃戦が始まる。
捜査官たちが市民の避難誘導を行いつつ、ESSシールドを展開させて遮蔽物を作り出した。
対する黎明の杜側は建物や乗用車の影に身を潜めて撃ち合いに応じる。
先に駆け付けていた都市警備課の捜査官とは違い、相手は特務部の執行官が率いていた。
どうやら黎明の杜を壊滅させるための専用部隊を編成したらしい。
裏社会で培ってきた経験と勘が、引き際を見極めろと警告していた。
装備は劣り、頭数も負けている。
さらに言えば、人員の質でも差が感じられる。
「――クソ野郎がぁッ!」
退くつもりはない。
この戦いを死に場所と定めてしまえば、恐怖などすぐに吹き飛んでしまう。
あとは己の役割を果たすだけだ。
「お前らは命を捨てる覚悟ができてるか!? 飼い主の機嫌ばっかり気にして、首輪に繋がれた畜生共がよぉッ!」
自分は違う。
命を投げ捨ててでも成し遂げたい夢がある。
生きる意味も死ぬ意味も得られずに彷徨っていた日々。
三等市民として生まれ、何かに期待することもないと思っていた。
そんな彼――否、彼ら彼女らに道筋を示した者こそ、黎明の杜を率いる戦慄級の魔女"氷翠"だった。
自分の事ばかり気にしている二等市民や、自由を支配する一等市民に屈するつもりはない。
そう吠えて、男は死力を尽くして奮戦する。
魔法省側は膠着状態が長引いたことで焦れたのだろう。
本部に応援を要請し、ヘリコプター三機がその場に駆け付け――。
「――羽音が煩い」
その内の一機が、地上から放たれたミサイルによって撃墜された。
File:セレネイア・ゲヘナ
一等市民の少女。
言動に違わず、気に入らない人間には容赦なく一等市民特権を振り翳す残忍な性格。
彼女の父親はCEMの支部責任者を務めている。