170話
――統一政府、■■■■中枢領域。
「相変わらず酷い場所だ」
凍てついた魔力が一帯を支配している。
エーテル値は馬鹿げた数字を示しており、生身の人間では一秒さえ耐えられないほどの環境。
「情報漏洩のリスクを考えれば、この場所しか有り得ないだろう」
「それはそうだが……まあいい」
この施設に立ち入ることが可能な者は統一政府内部でも限られており、普段は無人状態であることがほとんどだ。
そんな場所の一室に、今夜は七人も議員が集まっていた。
『――"管理者"権限を確認。システムを起動します』
無感情な少女の声が聞こえ、室内に無数のホログラムが浮かび上がる。
それら全てが、今回のC-5区画におけるエーテル公害のデータを映し出していた。
「……してやられたね」
画像データに映し出された人影を眺めながら、アグニは不愉快そうに呟く。
この世界において唯一、絶対的な自由を得た危険因子。
「彼女が好奇心で首を突っ込んでくるなんて想定外だった。現行の観測システムでさえ予測不可能だったということは、つまり――」
――裏懺悔は現状の"ラプラスシステム"を上回る反魔力を持っている。
その事実に、この場に集った七人は頭を悩ませる。
「世界全体に監視を行き渡らせるとなると、やはりシステムの枝葉程度では出力が足りないらしい」
「観測不可能だというエラーさえ表示されない。あの無法魔女だけが観測の外側を歩いているようだ」
どのように対処すればいいというのか。
彼女の話題が上がる度、アグニは必ず"とある質問"をしていた。
「ねえ、いい加減さぁ……裏懺悔を大災禍級に指定しない?」
その言葉に他の議員たちは一人も頷かない。
そうすべきだと分かっていても、災害等級の区分けを変更することには抵抗があった。
「大災禍級に指定するとなれば、統一政府の規定に則って即座に対処する必要が生じる。わざわざ虎の尾を踏みに行くような愚行には賛同できない」
議員の一人がそう言うと、他の者たちが頷く。
裏懺悔と事を構えるには準備が足りない……そう理由を付けることで、戦争を先延ばしにしているように見えた。
「臆病者どもめ」
アグニはつまらなさそうに呟いて、
「けど、同化実験における唯一の成功例――ラプラスシステムの力を自在に操れるボクなら、裏懺悔だって殺せるはずだ」
自身を執行役に推薦する。
C-5区画では戦闘が承認されなかったが、全力を出せるなら必ず勝てると思っていた。
「ならば、ラプラスシステムの考えを聞いてみるとしよう」
『――戦慄級『裏懺悔』について。明確な敵対行為を繰り返さない限り、災害等級の繰り上げは保留が推奨されます』
「はぁ……だろうね。キミもつまらないなぁ」
アグニは大きく嘆息する。
どれほど強大な力を持っていたとしても、最優先事項に"秩序"という言葉が指定されている状態では不自由だ。
「でも、実際のところはどうなのかな」
ふと思い付いたように呟いて、ラプラスシステムに尋ねる。
「統一政府の保有戦力を全てぶつけられる状況になったと仮定して……キミは裏懺悔を倒せるかな?」
シミュレートするだけでいい。
もし不可能でないなら、力を使わざるを得ない状況に持ち込めばいいだけ。
裏懺悔の周囲を襲えば彼女も本気を出してくるだろう……と。
『仮想戦闘システムを実行するにはデータが不足しています。より多くの情報を収集すべきです』
C-5区画で見た光景。
直前に転移したアグニたちは、区画の外部から撮影された黎明の杜による演説映像を後から視聴していた。
そこに映っていたのは、現実のものとは到底思えないような馬鹿げた魔法だった。
これほどの力を持つのであれば、余計に裏懺悔を放置せざるを得ないと判断してしまう。
『魔法――"裏懺悔ちゃんスペシャル"は、現行の観測装置では数値化が困難なほどの出力で放たれています。ですが、今回の魔法が戦慄級『裏懺悔』の全力と断定するには根拠が不足しています』
様々な逸話を持つ無法魔女。
森羅万象に干渉し、時空間さえ自在に操ると言われているほど。
全てが真実とも限らないが、あの魔法を見た後では全てが真実という仮定の下で行動する他ない。
以前にも、僅かだが裏懺悔の戦闘記録を得ることができていた。
東部エデル炭鉱の奥地にある研究施設。
そこで一等市民アモジ・ベクレルを警護していたユーガスマが交戦している。
もっとも、その報告内容は酷いものだった。
魔法を一切使わない裏懺悔に対して、指一本触れることさえ叶わなかったという。
周辺の観測機器も直前に破壊されてしまったため、有用な情報は得られなかった。
シミュレートするには情報が不足しすぎている。
だが、それを引き出すために安易に刺激するべきではない……と、彼女の立場は概ね他の議員たちと同じようだった。
「……ふぅん?」
アグニは興味を失ったように視線を逸らす。
統一政府の掲げる全知全能の観測システムは、どうやら性能が不十分なようだと肩を竦めた。
「それより、火急の問題は魔法省だろう」
議員の一人が話を切り替える。
下らない話題であればともかく、その事に関してはアグニも無関心というわけにはいかない。
「まさかヘクセラ・アーティミスがカルト共に連れ去られるとは」
魔法省長官が誘拐されるという大事件。
C-5区画のエーテル公害を利用して、黎明の杜は効果的な人質を手に入れてしまった。
「黎明の杜は、こちらとは異なる方法で未来予知を行っているようだ」
「原初の魔女から声を賜る……だったか。眉唾だと思っていたが、こうなると一定の評価は与えざるを得ない」
どこまで未来を知っていたのかは不明。
しかし、裏懺悔が引き起こした空間崩壊まで段取りの中に組み込んでいたことは明白だ。
そうでなければ、あの魔法を目眩ましに姿を消すなど考え付かない。
「ユーガスマを起こすにはまだ早いが、指揮系統に問題が生じたとなると……」
そう言って、意見を求めるようにアグニに視線を向ける。
「そうだね。まぁ、ダメそうなら処分すればいいし……でも、さすがに"彼"の手を借りるのは気が進まないかな」
「フォンド博士を警戒しているのか?」
議員の一人が問う。
統一政府内部の人間ではないが、フォンド博士も一等市民という立場にある。
わざわざ特権を手放してまで牙を剥いてくるとは考え難い。
「アレはマッドサイエンティストって言葉がピッタリすぎるんだよ。腹に何を抱えているのか分からない……技術面は高く評価しているんだけれど」
魔法省に配備されている様々な対魔武器。
その大半はフォンド博士の魔法工学理論を基盤として生み出されていて、有用性は至るところで証明され続けている。
それだけでなく、次世代の対魔武器とも言うべきTWLMの導入も進んでいる。
魔法省の戦力が増強されるほど完全管理社会の実現が近付くことになるため、統一政府からすれば重用すべき人物だろう。
「けど、まぁ……ユーガスマに強化施術を行ったのもフォンド博士だったし、彼が適任か」
投薬に十分な効果が見られなかった場合、フォンド博士に"再調整"を任せてもいい。
エルバーム剥薬等の鎮静剤も彼が戯れに生み出したものであり――検体を集めて非人道的な研究を行っていることも知っている。
だが、研究の詳細までは明らかになっていない。
あくまで彼個人の道楽として、プライベートな時間を費やして研究を行っているに過ぎない。
情報は全てオフラインデータベースで管理され、ファイルには極めて高度な暗号化処理が施されている。
仮に外部に漏れたとして解読は不可能。
天才科学者たる彼の頭脳を解き明かすことは叶わない。
とはいえ、彼から提供される研究成果は実用性の高いものばかりだ。
それが私的な研究によって生み出されていて、何か見返りを求めるわけでもない。
一等市民という身分もあるため、統一政府から何か干渉を行うようなことはなかった。
「何よりもまずは、あのカルトどもを潰さないといけないんだけれど……」
利を掠めとるような形で、黎明の杜は世界に自分達の存在を知らしめた。
見事に出し抜かれてしまった形だ。
このまま熱が伝播していけば、統一政府にとって大きな障害にもなり得るかもしれない。
そこまでのリスクがあると知って、アグニは笑みを浮かべる。
「でもまぁ、ちょうど良かったかもしれないね」
社会に仇なす明確な危険因子。
テロ行為によって少なからず無関係の命も失われている。
命を脅かされることに不安を抱いて、市民たちは事件の解決を強く望んでいた。
そんな状況だからこそ、アグニも"ちょうど良かった"という言葉が出てきてしまう。
当然、他の議員たちも考えていることは同じだ。
社会秩序を保つために人々の行動を厳しく取り締まる。
その必要性を示すための理想的なモデルケースが転がってきたのだ。
ラプラスシステムを用いた完全管理社会を実現させる上で、これほど都合のいい口実はないだろう……と。
四章前編終了。
次話から四章後編に入ります。