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禍つ黒鉄の機式魔女  作者: 黒肯倫理教団
4章 氷翠の召魔律《ゴエティア》
159/325

159話

 希望も絶望も抱かずに、虚ろな目をして往来を行く労働者たち。

 己の人生がどうなるかなど気に留めることもなく。

 淀んだ空気にも慣れてしまっていた。


「……ここは居住区指定されていないはずだが」


 エスレペスC-5区画の日常。

 廃墟同然の寝床から起き出してきた三等市民たちが、C-4区画に向かって列を成していた。


 この区画に黎明の杜構成員が潜む施設がある……と、最近の捜査によって明らかになったという。

 立入調査及び制圧のため派遣されたのが、魔法省公安部・都市警備課に所属するジン・ミツルギの班だった。


「PCM値11-16……酷い場所ですね」


 新米の捜査官――ユーリ・ヒガが眉を潜める。

 彼女はジンの補佐を務めており、今回の件でも同行すべきと上層部から指示が降りていた。


「さすがにこんな場所には市民も立ち入らない。ある意味では、彼らにとって快適なんだろう」

「でも、このエーテル濃度は危険です。野犬も凶暴化しますし、魔物だって……」


 奥に進むほどエーテル濃度は高いらしい。

 それでも、他に行き場のない者たちが住処にしている。


 ろくな食事も得られずに痩せ細った体では、野犬に狙われて逃げ延びることは難しいだろう。

 もしかすれば、この場所を絶好の狩り場と見て群れを成しているかもしれない。


「ユーリ、余計な感情は抱くな」


 自分自身にも言い聞かせるように、ジンは命令する。

 捜査中に精神が不安定になっては命取りだ。


 意識を切り替えようと、無線を取り出してスイッチを押す。


「都市警備課捜査一班、これよりC-5区画の捜査を開始する」

『――了解。二班及び三班は指定の座標にて待機中だ』


 危険性を鑑みて六人編成の捜査班を三ヶ所に配置していた。

 各班に一つずつTWLMツウェルムが支給されており、ジンが率いる突入班以外は特務部の執行官が率いているらしい。


 黎明の杜には大罪級以上の魔女も所属している。

 並みの捜査官では歯が立たないだろうが、元特務部のエリートかつTWLMツウェルムを携行したジンならば務まるとの判断が成されていた。


 他の捜査官たちにも上級対魔武器が支給されている。

 無法魔女アウトロー相手に遅れを取ることはないだろう。


「目標座標は……あそこか」


 汚染された区画を進んでいくと、廃墟となった教会が佇んでいた。

 その地下にある拠点の制圧及び物品の押収が任務だ。


 身を隠すにしても、この環境下では地下までエーテル汚染がされているはずだ。

 そうまでして魔法省の捜査から逃れようとしていたのだが、結局は暴かれてしまった。


「……あっ」


 ユーリが教会の横に視線を向ける。

 そこには寂れた墓地があった。


「どうした?」

「いえ、その……」


 弱者は迫害されて当然。

 そんな常識が社会に蔓延っていて、そこに疑問を抱く者はいない。

 三等市民が野垂れ死んでいても哀れむ必要はないと教えられてきた。


 なおさらこんな場所では、誰も弔う者はいない。

 そう思っていたが……。


「なんで、こんなところに……?」


 粗末な墓だが清掃は行き届いている。

 死を悲しみ、弔うために墓地を作っているのだ。

 賎しい存在としか認識されていない彼らに、彼女は初めて"人間らしさ"を感じてしまった。


「仕事に集中しろ。行くぞ」


 ジンは呟いて、教会の方へ歩いていく。

 ボロボロの外壁によって隠されていたようだが、内部には黎明の杜が掲げているシンボルマークが飾られていた。

 宗教施設らしい装飾には程遠い、簡素な集会場がそこにあった。


「……そこで何をしている?」


 男が一人、シンボルの前で跪いて一心に祈りを捧げていた。

 痩せ細って骨張っており、筋肉も衰えて老人のようにも見える。


 恐らくは三十代くらいなのだろう……と、顔を見て推測する。

 働き盛りの年齢だというのに、彼は満足な食事を取れずに衰弱しきっていた。


 男はゆっくりと振り返り、ジンを見つめる。

 微かな狂気を孕んだ眼光――彼の辿ってきた壮絶な人生を、それだけで思い知らされてしまう。


「おれは祈ってるんだ。このクソみてえな世界が壊れますように……ってな」

「世界が壊れて、それでお前の心は満たされるのか?」


 純粋な疑問から出た言葉だった。

 なぜこの男は、幸福を望むより破滅を望んでいるのだろうか。


「満たされはしねえ。何もねえ。だけどな、それで苦しまなくて済むようになる」


 三等市民の生まれでは戸籍さえ持っていないはずだ。

 まともな職に就いて金銭を稼ぐことは許されず、やっとの思いで見つけた場所でも騙され、嘲笑われ、虐げられることになる。


 得られる報酬も微々たるもので、日々の労働を支えられるほどの栄養さえ摂取できない。

 そんな彼が辿り着いた場所こそが黎明の杜――己の人生に意味を持たせてくれる唯一の安息地だった。


「それしか知らないんです、きっと……」


 仕事終わりに仲間たちと酒を飲み騒ぐ時間も。

 寒い日に飲む温かいシチューの味も。

 柔らかなベッドの寝心地さえ知らず、冷えきったアスファルトに寝そべってボロ切れの中で震えるだけ。


「勘違いすんじゃねえ。おれは自分の境遇を嘆いて、それで悲観して祈ってるわけじゃねえんだよ」


 哀れみは弱者を見下ろせるやつだけの特権だ……と、男は威勢良く中指を立てる。

 そして、思い出したように再び手を組んで祈りを捧げる。


「無様だろ? てめえらから見れば、俺なんて掃いて捨てるゴミみたいなもんだ」

「そんなことは……」


 ユーリが慌てて首を左右に振るも、否定の言葉が喉に詰まってしまう。

 事実として、この世界における三等市民の扱いはそんなものだ。


 こうして会話をする気力が残っているだけ、この地区ではマシな方なのだろう。

 虚ろな目をした労働者たちよりは人間味を感じられる。


「事実だろうがよ。この体はエーテルに汚染されきって……もう助からねえって。もう何日も持たねえって言われてんだ」


 単なる栄養不足だけではない。

 基準値を上回るエーテルにさらされ続けたことで、男の体は年齢不相応に衰えている。

 素人目に見ても、長くは持たないだろうとジンは感じていた。


 そんなボロボロの体でも。

 男は瞳に狂気混じりの理性を称え、確かな意思を持って生きている。


「だがな。こんなおれにも、啓崇様は役割をくれたんだ。人生に意味を持たせてくれた」

「……何を言っている?」


 どういうことだと問い詰めようとする。

 その前に、男がヘラヘラと笑みを浮かべて再び振り返った。


「――あの世で会えたら、メシでも食おうぜ」


 直後――捜査官たちが携帯している端末がアラートを鳴らし始めた。

File:都市警備課捜査一班


TWLMツウェルムの試運転目的で設立された班の一つ。

使用適正の高い者を班長とし、五人の捜査官率いる形で行動する。

各班に試作品が一つ配備されており、他の捜査官にも等級の高い対魔武器が支給されている。

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