156話
「――烙鴉が殺された」
氷翠が告げる。
会議室に呼ばれた二人――啓崇と壊廻は、その事実をすぐに受け止められず呆然と立ち竦む。
「まさか、潜伏場所が割れてしまうなんて……」
特に、作戦立案に大きく携わる啓崇にとってはショックが大きかった。
能力を使って最も安全な場所を選んだはずだというのに。
なぜ魔法省に居場所がバレてしまったのか、全く検討も付かなかった。
「ちょっと堅苦しいけど良いヤツだったのに……」
壊廻は顔を逸らして呟く。
あまりにも悲しくて、涙を堪えている顔を仲間たちに見せたくなかった。
だが、悠長に弔っている時間はない。
人員が減った分だけ迅速に、作戦遂行に努めなければならない。
悲しさを押し殺して意識を切り換える。
「魔法省は私たちの行動を上回る観測システムを持っている可能性が高い。じゃないと、あの場にユーガスマが現れたことの説明がつかない」
「私の『天啓』さえ及ばないシステムを……」
全く想像が付かない。
登録魔女に同系統の能力者がいるという情報は、少なくとも彼女が調査した限りではなかった。
これまでの魔法省とのやり取りを考えても不自然だ。
「何か隠してるんじゃないの? 魔法省だけじゃなくて、他にもさ」
「……統一政府ならあり得ますね」
魔法省やCEMでさえ公になっていない施策や研究が多い。
特に秘匿された情報の多い統一政府であれば、何を隠していてもおかしくはない。
「ちょっと危なそうだけど探ってみる?」
「……いや、止めておこう。それより今は、手を止めず攻勢に出るべきだと思う」
ここで失速してしまったなら、その分だけ後の作戦に支障が生じてしまう。
下手に足踏みしていると魔法省に捕まりかねない。
「今、悪魔式はどれくらいだっけ?」
「四十七……まだ、儀式を行うには届かない」
予定よりもずっとペースが遅れている。
標的リストの中に不達成のものが増えてきてしまった。
「それに……敵は魔法省だけじゃない」
氷翠はそう呟いて、拳を固く握り締める。
重要度の高い魔法を回収し損ねてしまった元凶――もはや、敵対していると言ってもいいほどの相手。
もし彼女がいなければ、ユーガスマを相手にもっとやれることがあったはずだ。
必要な魔法を揃えられずに無様な敗走となってしまった。
そのせいで、大切な仲間を失ってしまった。
己の無力さを悔いるのではない。
立ちはだかる障害を払い除けるために、憎しみを持ってその名を呟く。
「禍つ黒鉄……あいつだけは、絶対に許さない」
◆◇◆◇◆
「黎明の杜は潜伏場所がバレて壊滅、魔法省の記者会見は無事しゅーりょー……ってさー、ちょっと不自然すぎるよね~」
街頭の大型ディスプレイに映ったニュースを眺めながら裏懺悔が呟く。
番組では今回のテロ行為を封じ込めた魔法省の手腕が評価されており、以前の同時テロによる汚名を拭い去る形となっていた。
また、執行官ユーガスマが突入してテロリストたちを制圧するまでの映像も流れていた。
たった一人で武装した男たちを制圧する様子は圧巻で、出演者たちも驚いているようだった。
傍らで、クロガネは映像を見て嘆息する。
「ユーガスマは全然本気を出してない」
「だろうね~。戦うときも様子見してることが多いみたいだけど、何か気になることでもあるのかな」
裏懺悔も彼の戦い方には懐疑的だ。
戦闘中だというのに、相手を見ずに熟考しているようにも見える。
「ヘクセラ長官みたいな強硬派じゃないけどさー。それにしたって、ちょっと変だよね~」
まるで行動に意思が伴っていない。
彼ほどの力量の持ち主が、今更になって悩むようなこともないというのに。
裏懺悔が戯れに仕掛けた時とは随分と様子が違った。
当然ながら、そんな奥底まで見通せるのは彼女だけ。
他者が感じ取れるのは事象の表層くらいだ。
「魔法省は現行の体制を崩されたくないから本気を出した?」
「んー、最近のテロもそうだけど……やっぱ違うかなぁ」
裏懺悔はクロガネの腕に絡み付くようにして顔を寄せる。
「……統一政府が本格的に動き始めてるっぽい。統治システムの根幹を作り変える準備が進んでるのかも」
現時点でも壊滅的な倫理観によって社会が構成されている。
市民に等級などという区分が成されており、厳格に法と秩序を以て管理され、それに反発する者は即座に弾圧されてしまう
過去にも黎明の杜と同様に武装蜂起した例はあるはずだ。
そういった情報が出回らないのは、情報統制というよりも魔法省が先手を打って潰すことが多いからだろう。
今回のように潜伏場所を暴いて捜査官たちを送り込めば制圧も容易い。
それをさらに上回るディストピアを作り出すというのだ。
表舞台から危険因子は排除され、裏社会などという言葉さえ消え去ってしまうかもしれない。
変革の兆しを察知して、アダムは"ディープタウンに潜る"と言った。
これまでの稼業全てから手を引くことになっても、統一政府の監視から逃れることを優先すべきなのだと。
「……いつまでくっついてるの?」
「内緒話をするんだから、これくらい近付かないとさ~」
それ以外の意図で溢れているようだったが、このまま振り払うよりは踏み込んだ事を聞いた方がいいかもしれない。
クロガネは尋ねる。
「……結局、ラプラスシステムって何なの?」
至って自然な問いだろう。
統一政府によって秘匿され、社会の様々なシステムに繋がっているという常識外れな存在。
もしかすれば、裏懺悔の目的に絡んでいる可能性もある。
彼女の側に付いている現状、引き出せる限りの情報を知っておくべきだろう。
「んー、やっぱり気になっちゃうよね~」
聞かれることも予想していたのだろう。
そもそも裏懺悔自身が目的も何も明かさずに行動している。
「でも、それを教えてほしいならすっごく高く付くよ~?」
一歩でも踏み込むのであれば、相応の対価を。
興味本位であれば引き返すように。
クロガネの意思を試すように、裏懺悔は口角を持ち上げる。
「キス、してほしいな。恋人みたいな甘くてとろけちゃうような――うわわっ!」
勢いよく手を引かれ、そのまま抱き止められる。
衆目も気にせずにクロガネが顔を寄せると、裏懺悔は慌てて手で顔を覆う。
逃げようと反対側を向くと、背後から抱き締めるように捕まってしまった。
「ちょ、ちょっと待って! えっと、えっと……そう、このまま人前で最後までしてくれるなら……ひゃうっ!」
腕に抱かれたまま、もう片方の手が裏懺悔の脇腹を撫で、そのまますると服の中に潜り込んでいく。
耳元に熱っぽい吐息をかけられて裏懺悔は顔を紅潮させる。
「そんなところ撫でちゃダメだってぇ……なんだか体が火照ってきちゃって……」
わざわざ『能力向上』まで発動して捕まえている。
珍しく強引な様子のクロガネに、裏懺悔も身を委ねるように――。
「……じゃなくて、もー!」
クロガネの拘束から抜け出すと、裏懺悔が抗議するように頬を膨らませる。
世界をピタリと静止させ、道行く人々もマネキンのように固まっていた。
「危ないなぁ。普段の仕返しのつもりなのかな~」
当然ながら、クロガネの時間も止まっている。
この世界で動けるのは裏懺悔だけだった。
「クロガネが本気で知りたいのはわかったけどさー……ん?」
魔力の流れに微かだが揺らぎを感じた。
この出力で発動した魔法に、抗おうとしている者がいる。
「そっか、キミはそんなにも……」
感心したようにクロガネを見つめる。
この展開を想定して反魔力を全開にして構えていたらしい。
それでも逃れることはできなかったが、成長度合いには目を見張るものがあった。
ラプラスシステムについて興味がある。
それだけでなく、裏懺悔の隠し事についても知りたがっている。
普段は理由を付けてはぐらかしていた。
自分に詮索してくるような相手など数が限られているし、大半は断られるとすぐに引き下がる。
裏懺悔と他の存在とでは隔絶された実力差があるからだ。
それでも引き下がるつもりはないらしい。
相応の危険を覚悟した上で、全てを知ることを恐れずにいる。
「でも、なおさら教えられないよ。だって――」
その呟きは、誰も認識していない時間の中に消え去っていった。
File:『天啓』
啓崇の持つ魔法。
超越的存在から声を賜ることで未来を詠む。
対話することも不可能ではないが、通常の未来予知よりも消耗が激しいため月に一度が限度となる。