152話
「――指定の座標に到着した」
ユーガスマが襟元のマイクに向けて呟く。
予定されている記者会見場から五キロほど離れた場所に、ガラス張りの立派なオフィスビルがあった。
「微かにエーテル値の揺らぎを感じる。大罪級が一人紛れ込んでいるな」
『ターゲット以外は一人残らず殺すようにとの指示だ』
通信相手はヘクセラ長官だ。
統一政府から助言を受けたらしい彼女が、そのままユーガスマに伝達して向かわせた形だった。
『……記者会見の支度がある。報告は本部に帰還した後に聞かせてもらおう』
「承知した」
ユーガスマは通信を切ってビルを見据える。
指示通りであれば、襲撃班の主軸となるメンバーがこの場所に集っているらしい。
それを叩けるならヘクセラの身も安全だろう。
しかし、疑問が幾つも残る。
「だが、いったいどうやって……この場所を知り得たというのか」
黎明の杜には予知能力者が存在している。
慎重に調査を進めたところで、追い詰めた先には脱ぎ捨てられた靴が残っているくらいだ。
それを上回る諜報能力を持っているのであれば、統一政府を危険因子と見なすべきだろう。
治安維持に努める魔法省でさえ追い詰められない相手だ。
枠外の視点から世界を支配及び管理する――万が一そのシステムに異常をきたしてしまった場合、止められる者など存在しない。
ユーガスマは瞑目して意識を逸らす。
あまり詮索すべきでない内容だ。
ヘクセラ長官の助言もあって、少なくとも今は嗅ぎ回るつもりはなかった。
彼が今回すべきことは"ターゲットの捕縛"と"組織の戦力を削ぐ"という二点だ。
待機している襲撃班を叩き、救援に来たターゲットを釣り上げる。
そうすることでヘクセラも安全が保証されることになる。
多くの戦力は記者会見場に置いてきた。
TWLMを携行している執行官もいるため、有象無象がどうにかできるような警備にはなっていない。
この場には――執行官ユーガスマただ一人が、黎明の杜を潰すために現れた。
「……勘付いたか」
相手も素人ではない。
民間人とはいえ、襲撃のために訓練を積んでいるテロリストだ。
こちらの一挙一動を窺うように、ビル内で身を潜めて待機していた。
ユーガスマは徐に正面ドアに近付いて――前蹴りで派手に破壊する。
ガラスが砕け、そして革靴の音が緊迫した静寂の中を進む。
照明を落としたエントランスホール。
押し殺したような掠れ震える呼吸が聞こえる。
蹴破られたドアから差し込む光を背に、ユーガスマは堂々と突き進む。
絶対的な恐怖が支配する中で。
徐に足を止め。
「統一法規、治安維持条項テロ防止規定に基づき――」
誰かが息を呑んだ。
視界に映る柱やカウンターの影に、銃を構えて震えている。
ほんの一瞬の間が、永遠の恐怖を伴っている。
ユーガスマが言葉を区切るコンマ数秒の時間さえ、拷問のように精神を苛んでいる。
「――この場を制圧する」
張り詰めていた空気が弾け、至るところから銃声が鳴り響く。
降り注ぐ銃弾の雨――その全てを見切って、必要最小限の動きで躱す。
「馬鹿げてるだろ……くそッ!」
常識の通用しないユーガスマを見て、誰かが苛立ちから声を荒らげた。
魔女や魔物ならばともかく、相手はただの人間だ。
一人だけなら撃退できると考えていたらしい。
それだけではない。
この一瞬で、銃声を頼りにどこに何人が潜んでいるのかを完璧に把握していた。
「馬鹿げているのは貴様の思想だ」
最初の標的には丁度いい。
名指しするように言葉を返し、銃弾を躱しながら距離を詰めていく。
「く、来るなぁッ!」
悲鳴混じりに叫んで、男は必死の形相で銃を乱射する。
精神状態とは裏腹に射撃は正確だ。
それでも、目の前の男には何の意味も成さない。
弾切れによって、虚しくカチカチと音だけが鳴る。
顔を真っ青にしてへたり込んだ男を見下ろし、ユーガスマは呆れたように嘆息する。
「もう装填しなくていいのか?」
「ひぃッ……」
拳を振り下ろして絶命させる。
たった一撃だけで頭部を容易く弾けさせた。
彼にとっては些末な仕事だ。
この程度の輩を制圧するなど日常茶飯事で、例えばこの場に無法魔女が紛れ込んでいたとしても――。
「殺気が走りすぎている」
振り向きながら体を揺らす。
目の前を魔力を帯びた刀が通り過ぎていく。
背後から不意を突こうとしていたのだろう。
近接戦闘に秀でた無法魔女であればそれが最適解だ。
唯一、判断ミスがあるとすれば。
「指示されたターゲットではないようだが――」
ほんの一瞬の事だ。
瞬きをするよりも僅かな時間。
先ずは襲撃者の顔を確認し、殺していい相手だと認識。
刀を振り下ろした直後の無防備な状態。
足元を払って体勢を崩させて腕を捻り上げる。
奇襲してきた勢いを受け流すように持ち上げ、宙に浮いたところで掌で打つ。
十トントラックに轢かれるよりも重い衝撃が一点に集中している。
内蔵を押し潰すように押し込み、奇襲を仕掛けてきた無法魔女――烙鴉の体は容易く吹っ飛ばされた。
「がぁっ――ッ!?」
壁に叩き付けられ、そのまま地面に倒れ込む。
押し潰された肺が呼吸を拒んで、苦悶しつつ、なんとか踠くように酸素を取り入れる。
何が起きたかまるで理解できなかった。
背後を取った――そう確信した直後には壁に叩き付けられていた。
認識の追い付かない速度で返り討ちにされた。
それだけは、飛びそうになった意識の中で辛うじて把握できていた。
「存外に頑丈なものだな」
それだけ鍛練を積んできているのだろう。
これが能力に頼りきった魔女であれば、昏倒して動くこともままならないはずだ。
だが、それだけ。
脅威として認識するわけでもない。
踏み潰した蟻が辛うじて生きていたとして、そこに戦慄くようなことはあり得ない。
「烙鴉様を守れッ!」
その場にいた全員が、ユーガスマの行く手を阻むように銃を構えた。
遮蔽物の影で震えている者は一人もいない。
死を恐れる以上に、彼女が殺されることを恐れているらしい。
「殲滅するようにとの指示だったが……その娘が組織幹部ならば、捕らえた方が都合がいいか」
それ以外は処分する。
ユーガスマが再び動き出し、建物内に無数の断末魔が響き渡った。
File:ユーガスマ・ヒガ-page1
魔法省特務部・特殊組織犯罪対策課主任。
体格の良い老齢の紳士で、執行対象には鬼の如き形相を見せる。
武術に秀でており、近接戦闘において他の追随を許さない。