140話
――レーデンハイト二番街、ベリル駅東口。
ビジネス街である大通りと繋がる場所。
駅西側には三番街――貧困層向けの居住区があり、分断する形で線路が走っている。
階段を降りると駅前広場に出る。
時刻は午後七時。
本来であれば帰宅途中のビジネスマンたちを見かけるはずだったが、今夜は人の気配が無い。
東口側には巨大なバスターミナルが存在するが、現在では、その全域が封鎖されていた。
魔法省による厳しい警備が行われている。
駅出口も利用できないため、周辺に用のある者は隣駅からタクシーを捕まえて遠回りをしていた。
「……あぁ、そういうこと」
他の現場に比べて明らかに厳重な警備態勢が敷かれている。
その事に疑問を抱いていたが、その中に侵入すると理由が分かった。
凍てついた魔力――底冷えするような月夜を、丸ごと呑み込むかのように存在感を放っている。
氷翠によって生み出された"メッセージ"が、夜空に向かって突き立てられていた。
大樹を模した氷像。
空高く聳え立ち、幹の部分は直径五メートルほど。
枝葉が月光を受けて煌めいていたが、そこに興味は抱かない。
クロガネは幹の部分に手を触れる。
魔法によって生み出された氷樹。
膨大な魔力を込められているようで、数日で溶けるようなものではないらしい。
その幹の中心には徒花の姿があった。
入念に調べるも『探知』に生命反応は無い。
殺されたのは事実で、氷翠が彼女の力を強奪したのも本当らしい。
周囲に残された戦闘の痕。
よほど激しい死闘を繰り広げたのだろう。
バスターミナルは災害にでも見舞われたかのような惨状になっている。
残された痕跡を細かく『解析』しつつ、必要な情報をメモ帳に書き記す。
前回の現場と合わせれば氷翠の能力も見えてくるはずだ。
「――ふむ、このような場所で再会するとは」
不意に聞こえた男の声に、クロガネは即座に飛び退く。
最も遭遇したくない相手と出会ってしまった。
「……ユーガスマ」
柱の影から姿を現す。
月光に照らされた彼の面持ちは極めて剣呑なものだった。
魔法省の最大戦力。
その常軌を逸した強さは、クロガネの行く手を何度も阻んできた。
気配を全く感じ取れなかった。
どうやって『探知』を掻い潜ってきたのか不明だったが、彼に常識は通用しないだろう。
交戦は避けられない。
「魔法省は、こんな不法行為を放置してるの?」
嘲るように氷樹を指差して挑発する。
この光景は魔法省の威信に関わる重大な事件だ。
「こんなものが見られてしまったならば、現行の体制に疑いの目が向けられかねないな」
他人事のようにユーガスマが言う。
既に魔法省も対処しているはずだろう。
場合によっては、目撃者を口封じのために消しかねない。
「それで……貴様は何を知って、この場所に忍び込んだ?」
鋭い眼光。
険しく眉を寄せ、こちらを睨むように見据えている。
事件への関与を疑われているらしい。
無実だとしても、クロガネが無法魔女である以上、何を言ったところで執行対象であることに変わりない。
まだ不十分だが、手掛かりになり得る範囲での『解析』は終えている。
現場の情報を持ち帰るだけだというのに、これほど厄介な状況はないだろう。
「黙するか。それも構わないが――」
ユーガスマが構える。
突き出すように持ち上げられた拳は、微かな揺れも無くこちらに向けられていた。
クロガネ自身も戦闘経験を積んで来たが、未だに彼を打ち倒すビジョンが思い描けずにいた。
隙を見て逃げ出すことさえ困難だろう。
「――全て白状するまで、この拳が止まることはないだろうッ」
空気が爆ぜる。
比喩でも何でもない。
彼の力強い踏み込みによって地面が抉れ、直後の加速によって激しい音が鳴ったのだ。
視認することも困難な速度。
下手をすれば銃弾なんかよりも速い――そんな馬鹿げた脚力で距離を詰め、ユーガスマが拳を振るう。
「――『能力向上』『思考加速』」
魔法によって己を強化させ、クロガネは拳打を避ける。
強烈な一撃は、その余波だけでアスファルトを陥没させていた。
直感を頼りに応戦するが、ユーガスマの一撃は砲撃よりも遥かに重い。
下手に受ければ骨を粉砕されてしまうだろう。
受け流せるほど格闘技術で追い縋れることもなく、クロガネは防戦一方になっていた。
「命が惜しければ――」
「うるさいッ!」
感情を剥き出しにしてユーガスマの胴体を蹴り付ける。
防がれてしまうが、その蹴りを起点としてクロガネは距離を取った。
ユーガスマの追撃より先に腰のホルスターからハンドガンを引き抜き――即座に全弾を吐き出させる。
四肢と心臓、頭部をそれぞれ狙い打つように弾をばら蒔いたが、その全てが素手で叩き落とされてしまう。
射撃の腕には自信があったが、やはり並みの銃火器では時間稼ぎにもならない。
「チッ……」
さらに距離を取って、両手を突き出すように構える。
この場を耐え凌ぐには強力な武器が必要だ。
「機式――"ペルレ・シュトライト"」
呼び出したのは、大口径のライフルだ。
貫通力に特化された弾丸であれば、さすがに素手で防ぐようなことはできないはずだ。
「――これも防げる?」
至近距離まで来ていた彼の胴体を狙ってトリガーを引く。
先ほどと同様に叩き落とそうとして、危険を察知したのか回避行動に移った。
弾は微かに脇腹を掠めて通り過ぎていったが、それ自体は問題ではない。
「侮っていたわけではないが……」
鋭い眼光でユーガスマが呟く。
未だに彼の方が圧倒的な強者だ。
手札のほとんどを隠していて、その上であらゆる面でクロガネを上回っている。
もし彼が本気を出したら戦闘にさえならないかもしれない。
だが、僅かだが……ほんの少し、指先だけでも掠めるようになった。
その成長が彼の心に警戒を生んでいた。
「やはり、以前より魔力が高まっている。貴様はいったい――」
ただの無法魔女ではない。
成長しているのは戦闘技術だけでなく、その根本となる魔力量も向上している。
これほどの差であれば見誤ることはない。
ただの勘違いだと思い込むには、さすがにクロガネの力量が高まりすぎている。
他の魔女と明らかに異なる性質の持ち主だ。
「気になるなら、CEMのお偉いさんにでも聞けば?」
内部に蔓延している非道な人体実験の数々。
それを認知しているかは不明だが、統一政府から黙認されていることは確かな事実だ。
何か心当たりがあるのだろうか。
その言葉に、ユーガスマは疑心を強めていた。
「悪いけど――いつまでも付き合ってる暇はないから」
その逡巡を見逃さない。
即座に『倉庫』から大量の閃光手榴弾を呼び出し――全てをユーガスマに向かって蹴り飛ばす。
視界を塞ぐ閃光。
耳を割くような甲高い音。
その全てが収まる頃には、クロガネの姿は消えていた。
File:大樹を模した氷像
黎明の杜が掲げるシンボルのように枝葉が大きく広がっている樹。
巨大な幹に徒花を呑み込んで聳え立つ"宣戦布告"の象徴。