139話
――アルカネスト特別区域。
世界でも随一の発展を遂げている地域。
あらゆる分野の最先端が集約されたこの場所は、魔法省の本部が置かれていることでも知られている。
近未来的な街並みの中には、魔法工学による様々な技術が用いられている。
一目でもこの場所を見てしまったなら、他の場所は全てスラム街にしか見えなくなってしまうことだろう。
至るところに魔法省による監視網が張り巡らされている。
技術協力として大手IT企業のTECセキュリティが加わっており、一帯は完全に魔法省の管理下にあるといっても過言ではない。
魔力感知システムによる対魔女・対魔物対策は完璧とされており、魔女名簿に記載のない魔力周波を感知した際に警報が鳴り響く。
現場には魔法省の捜査官だけでなく、TECセキュリティ開発の警備ドローン等も投入されるため、それを掻い潜って忍び込むようなことは不可能だ。
「――統一政府から警告が来た」
天高く聳え立つ魔法省本部、その最上階の窓から街並みを見下ろしてため息を吐く。
理知的な顔立ちをした女性の名は――ヘクセラ・アーティミス。
公安を司る最上位の権限を与えられた魔法省の長官だ。
彼女はデスクにタブレット端末を放り投げ、面倒そうに眉間を押さえる。
その様子からして、極めて厄介な話なのは確かだ。
「何でも、世界が壊滅しかねない一大事だそうだ。実力者である君にも手を貸してもらいたい」
「無論、そのつもりだが」
返答したのは老齢の紳士――ユーガスマ・ヒガ。
魔法省特務部・特殊組織犯罪対策課主任の肩書きを持つ執行官だ。
「だが、先に聞かせ願いたい。徒花が討たれたという噂は事実か?」
その問いにヘクセラは無言で頷く。
戦慄級の魔女が殺されたなど到底信じ難い話だったが、彼女の様子を見て受け入れざるを得ない。
「つい一昨日の事だ。エスレペス近辺に不穏な動きがある……と、彼女から連絡が来た」
ジェスチャーでディスプレイを起動させ、文書ファイルを表示させる。
そこには『黎明の杜』という名と共に大樹のようなモチーフが描かれていた。
「新興宗教……カルトの類いか?」
「その認識で間違いない。エスレペスの三等市民共を中心に広がりつつある、魔女崇拝の宗教だ」
弱者の蔓延る地域に目を付け、勢力を拡大させる。
組織を成長させ、後は"教祖"が思い描くままに行動するのだ。
「"原初の魔女による啓示"を謳い文句にしていると聞く。教祖は声を聞くことができる……と、それを根拠に人を集めている」
「眉唾だ」
ユーガスマは呆れたように肩を竦める。
既に"死を迎えた"魔女の声など聞こえるはずがない。
「そうだな、確かに眉唾だ。しかし詐欺師と断定するには時期尚早だろう?」
「……教祖は魔女ということか」
保有する能力によって、啓示と形容するに値するような情報を得ている可能性がある。
魔法省が把握している範囲でも似たような能力が何件か観測されていた。
先を見通す『未来視』や、全能の知識を得る『神託』など様々だ。
個人が所有するには過ぎた力だが、いずれも相応の魔力が要求されることが多い。
低等級の魔女では「予感がする」程度の漠然とした感覚しか得られない。
「とはいえ、彼女が警告するほどの事態とは考え難い。より大きな"何か"が蠢いていて、その手先として黎明の杜が動いている可能性がある」
「一連の事件に関与している、と」
「でなければ、深刻なシステムエラーを疑うことになるな」
ただのカルト宗教であれば、ユーガスマが部下を引き連れて鎮圧に向かえば解決するだろう。
それで済まないからこそヘクセラにメッセージが届いたのだ。
「長官はどれほどの事態を想定している?」
「そうだな……少なくとも統一政府の存続には関わるのではと考えている」
疑うべき無法魔女の候補は膨大だ。
調査を進めるには、まず黎明の杜に強引にでも切り込んでいくしかない。
「……敵は裏懺悔か?」
「どうだろうな。可能性は否定できないが……アレが本気で動くなら、こんなまどろっこしい真似は不要だろう」
木っ端をかき集めたところで彼女には足しにならない。
魔法省の総力を挙げても勝ち目があるかわからないくらいだ。
目的は不明だが、現状の裏懺悔は傍観に徹している。
決して己の手で事を進めず、かといって中立というわけでもない。
わざわざ無法魔女に仕事を斡旋していることも不可解だが、探りを入れるのは虎の尾を踏むようなものだ。
故に放置せざるを得ない。
あちらから仕掛けてこない限り、手を出すべきではないとヘクセラは考えていた。
魔法省からすれば、これほど恐ろしい爆弾は無いだろう。
「そうか」
ユーガスマは頷いて……僅かでも安堵してしまった己を認識してしまう。
執行官として恥ずべき事だったが、任務の危険度が大幅に変わってくるのも事実だ。
「話を戻すが……執行官ユーガスマ・ヒガ。君には一連の事件について調査をしてもらう」
「黒幕を見付けた場合はどうする」
「捕縛して連行せよ。多少の欠損は問わないが、決して殺すなと統一政府からのお達しだ」
極めて困難な任務だ。
もし黎明の杜を操る者が戦慄級の魔女だったなら、殺さずに連行するなど馬鹿げた話だろう。
統一政府が動くほどの事態でありながら、わざわざ"決して殺すな"と指示を出すことには疑問が残る。
一連の事件ではなく、その人物自体が目的であるように感じてしまう。
訝しげなユーガスマの様子に、ヘクセラは再び眉間を押さえつつ返答する。
「これまでに類を見ない危険因子が生まれたと聞く。その人物をサンプルとして欲しているんだろう」
実態まではわからない……と、それ以上のことは語ろうとしなかった。
統一政府が何を目的として動いているのか、魔法省の長官でさえ把握しきれていない。
「……承知した」
いずれにせよ拒む権利は無い。
魔法省に所属しているからには、下された命令に従う義務がある。
相手が統一政府であれば尚更だろう。
「後で関連事件の座標を送る。大半は調査が終わっているが……まだ、ここだけは手付かずの状態だ」
ディスプレイに映し出されたのは、水晶のように透き通った巨大な塊。
それは巨大な樹を象っていて、幹の中心には徒花の姿があった。
File:ヘクセラ・アーティミス-page1
魔法省長官の肩書きを持つ女性。
治安維持における事実上のトップであり、魔女名簿の"充実化"や危険因子の排除に力を入れている。
統一政府から面倒事を度々押し付けられているため常に疲弊気味。