135話
――エルバレーノ四番街、喫茶店『タンティ・バーチ』
甘い洋菓子と風味豊かなコーヒーの香りに満たされた空間。
店主はスイーツ作りに熱心なようで、訪れる度に心踊るような新メニューのポスターが貼り出されている。
やや肌寒くなってきた季節にぴったりな、さつまいもをメインに据えた創作ケーキだ。
クリームチーズと合わせて焼き上げた生地に、和風テイストに飴状の砂糖醤油でコーティング。
その上から黒ごまを振りかければ"大学芋風チーズケーキ"の完成だ。
フォークを入れると飴部分がパリパリと軽快な音を立てた。
そのまま小さく切り分けて口元に運ぶ。
「あむ……」
舌触りの滑らかなベイクドチーズケーキと、大学芋の組み合わせ。
その味は彼女の想像以上だったようで――。
「ん~! これすっごい!」
「……用があるんじゃなかったの?」
人目を憚らず楽しんでいる裏懺悔にクロガネが嘆息する。
確かにケーキの味は良かったが、それよりも仕事内容の方が気になっていた。
「はむっ……ん、甘いものを食べないと頭が働かないからね~」
「なら食べ終わったら呼んで」
クロガネは自分の分を手早く食べ終えると席を立つ。
馴れ合いに時間を取られるのも面倒だ。
「ちょっと~!」
抗議するように頬を膨らませて声を上げる。
この場で仕事の話をするわけではないようで、本当に食事を楽しみたいだけのようだった。
渋々といった様子でケーキを口の中に放り込み、急いで会計を済ませて裏懺悔も退店する。
「ちぇー、せっかくのデートだったのに~」
口を尖らせながら呟く。
そして「なかなかいい思いはさせてくれないなー」と独り言ちる。
仕事の話をするため、人のいない路地裏に移動する。
始めからこの場所でいいのでは……と、思いつつも言葉にはしない。
「色差魔から聞いたよ~。殺されそうになってるところを助けてあげたんだって?」
「別に、偶然通りがかっただけ」
死なれて不利益があるのなら介入せざるを得ない。
だが、襲撃者がクロガネよりも殺しの技術に長けていたなら見捨てていたかもしれない。
何よりも大切なのは自分自身の命だ。
それを違えることはない。
「だろうねー。でも、その偶然がなければ"情報"も手に入らなかったんだ」
裏懺悔はにまにまと笑みを浮かべつつ壁に寄り掛かる。
掛けてもいない眼鏡を指先で持ち上げて、重大なことを話すように大袈裟に手を広げた。
「この近辺で魔女の不審死が相次いでいるんだ。今週だけで五件……関連がありそうな事件を遡ると三十件近くになるね~」
「血気盛んな殺し屋でも流れてきたんじゃない?」
力を誇示するかのように魔女狩りを専門に行う集団もいる。
ヴィタ・プロージットもそうだ。
そういった組織が数多くあるとは考え難いが、彼らだけが特別とも限らない。
「狙われてるのは無法魔女だけじゃないみたいなんだ」
「登録魔女にも?」
「うんうん。びっくりだよね~」
登録魔女――魔法省の魔女名簿によって管理されている魔女。
その能力全てを魔法省の治安維持活動に捧げ、代わりに最低限の権利と自由を保証された者たちだ。
捜査官や執行官に並んで保有戦力として扱われている。
普段から任務を与えられているわけではないが、招集された際に拒むことは認められていない。
「よっぽど自信があるんだろうね~」
裏懺悔が感心した様子で言う。
煩雑とした世界の秩序を守る魔法省、その人員に手を出したというのだ。
徹底的に追い詰められて捕縛されることだろう。
対抗し得る戦力を集められたなら話は別だが、それも不可能に近いだろう。
「魔法省の被害は?」
「戦慄級『徒花』が殺された――って、噂がすこーしだけ流れてきたんだよね~」
「なっ――」
クロガネは絶句してしまう。
以前、徒花とは二回ほど対峙したことがあった。
一度はアルケミー製薬株式会社ネペリ支部のビルで、もう一度は魔法工学研究所ゲハルト支部で。
その魔法こそ戦闘向きのものではないが、戦闘技術と統率能力は極めて高い。
空間転移を自在に操る近接格闘術は未だに対応しきれないくらいだ。
「……その魔女は、魔法省に戦争を仕掛けるつもり?」
「さあね~。絶賛調査中なんだけど、情報統制が敷かれてるみたいでさー」
魔法省の抑止力、ひいては統一政府による管理体制にも疑問を抱かれかねない。
それを嫌って情報を握り潰しているのだと。
「けど、今回のことで無法魔女の名前と能力が割れた。間違いなく大きな一歩だよ」
主犯格と思われるのは、氷翠という名の魔女。
また、壊廻の存在によって単独ではなく複数で動いていることも分かった。
そして、最も重要なことがある。
「その魔女――氷翠は殺した相手の"能力"を奪ってるみたいなんだ」
撤退時に見せた『空間転移』は徒花から奪ったものだった。
もし裏懺悔が調べ上げた類似事件が彼女によるものであれば――。
「単独で三十以上の魔法を持つ無法魔女……なんて、さすがに放ってはおけないよね~」
裏懺悔が肩を竦める。
もし敵に回るのであれば極めて厄介な相手だ。
空間転移を得た時点で簡単には捕まえられないだろう。
クロガネにとっては好機でもある。
体制側に刃を向けるとなれば、その分だけ彼女たちに監視の目が向けられることになる。
そうなればかえって動きやすくなるかもしれない。
だが、色差魔の殺害を阻んだ時点で敵対関係になってしまった。
友好的に接することはないだろう。
「で、何を頼みたいの?」
まだ話の意図が見えない。
どこかの組織から殺しの依頼が来たわけでもない。
現状は進んで関わるべき相手ではないはずだ。
疑問を抱きつつ尋ねると、裏懺悔は人差し指をビシッと立てて笑みを浮かべた。
「他者の能力を奪う魔女……その能力の正体と背後関係を暴いてほしいんだ」
単なる好奇心だけではないようだが、全てを話してくれるわけでもないらしい。
尋ねたところで笑顔ではぐらかされるだけだろう。
「なんか変なのが関わってそうな雰囲気だから気になっちゃってさ~。裏懺悔ちゃんからの指名依頼ってことで!」
直感がそう告げているんだ――と、裏懺悔が言う。
ただのテロ組織にしては大胆な行動が目立つ。
特異な能力にも引っ掛かりを感じる。
様々な依頼を斡旋してきた彼女だからこそ、不自然に思う部分があるのだろう。
「人員補充もクロガネに任せるよ~。報酬も人数分用意するから安心してねー」
けれど、と裏懺悔は続ける。
「今回は調査依頼だから、危なそうな時は迷わず撤退してねー」
何時になく真剣な顔をしていた。
少なくとも、戦慄級と大罪級が一人ずついることが確定している。
単独行動はリスクが高いと判断したのだろう。
安請け合いするべきではない内容だ。
とはいえ、現状は他にやることもないため、渋ったところで暇を持て余すだけになってしまう。
クロガネは嘆息しつつ頷く。
「……分かった。引き受ける」
「助かるよ~」
了承した直後、ポケットの通信端末がメッセージを受信する。
添付ファイルを確認すると、そこには類似事件に関する詳細な位地座標が記されていた。
File:喫茶店『タンティ・バーチ』
裏懺悔の通い詰めるスイーツ専門店。
店内カフェを併設している。
月替わりで創作スイーツを発表しているため、その度に訪れるという。