134話
甲高い音が響く。
容赦なく振るわれたナイフを阻むように、透き通った氷の刃が現れた。
装飾が施されているわけでもないのに、どんなガラス細工や彫像などよりも美しく感じた。
殺すことに特化された薄氷の刃。
夜の闇に紛れてしまえば、透き通ったそれを目で追うことは難しいだろう。
淡雪のように、ふわりと艶やかな髪が慣性に追い付いこうと揺れる。
力比べは拮抗していて、睨みあって静止する。
――なんて冷たい瞳をしているのだろう。
偶然か必然か、互いに同じ感想を抱いていた。
どれほどの悪夢を経験してきたら、こんなにも心の温度を失ってしまうのだろう……と。
視線が交差したまま、殺気を向けながら数秒ほど見詰め合う。
「――『能力向上』」
魔法によって身体能力を高め、襲撃者を強引に押し返す。
だが、追撃は仕掛けずに色差魔を庇うように後方に下がった。
勝算がないわけではない。
魔力はほとんど消耗していない状態で、手の内を明かしたわけでもない。
とはいえ、相手は消耗していない魔女が二人。
手傷を負った状態の色差魔を庇いながら戦うとなれば話は変わってくるだろう。
当然、相手が続ける気であれば全力で対処するつもりだ。
鋭い殺気を放ちながら敵に向き直り――。
「なっ――」
思わず絶句してしまう。
目の前で敵の二人が濃厚なキスを交わしていたからだ。
「あ、あわわ……」
色差魔が顔を真っ赤にして困惑していた。
突然のことに気が動転しているようだ。
「んぅっ……"氷翠"ぃ……」
あの凍てついた殺気を纏った魔女の名前だろう。
恍惚と舌を絡ませながら、色差魔を追っていた魔女がそう口にする。
「……壊廻が無事でよかった」
氷翠と呼ばれた魔女が甘い声で囁く。
仲間……或いは恋人同士のように見えるが、何故だか互いの表情には違和感が残る。
色差魔を追い回していた壊廻と、彼女を助けるために現れた氷翠。
同時刻同場所に現れたことを偶然とは言い難い。
何か目的を持って行動していることは明白だ。
「色差魔に何の用?」
クロガネは銃を構えて問う。
返答次第では、先ほどの続きをせざるを得ないだろう。
すると、氷翠は穏やかな笑みを浮かべて見せる。
「大罪級『色差魔』……周囲の空間を歪ませて、五感を狂わせる魔法の所有者だ」
だから、と彼女は続ける。
「私の"糧"になってもらうつもりだった。その能力には価値がある」
殺すのか、或いは別の手段があるのか。
どちらにせよ、クロガネが居合わせなければ無事では済まなかっただろう。
その言葉を平然と聞き流している様子を見て、氷翠が首を傾げる。
「……意外だ。咎めたりしないなんて」
「なにを今さら」
呆れたように嘆息する。
弱者は淘汰されるだけであって、自分を守りきれないのであればそこまでの人生だ。
クロガネ自身も魔力を高めるために命を奪っているのだから、似たような能力を持つ氷翠を咎められるはずもない。
そして何より。
誰かの生死に感情的になるほど、この世界に愛着は無い。
「……」
以降は無言で敵を見据える。
敵の能力は謎に包まれたままだ。
警戒を怠れば命を落としかねない。
「殺し合うのも魅力的だけど……なぜだろう。今はその時じゃない気がする」
氷翠は壊廻を抱き寄せる。
そうして魔力を放出し始めると"見覚えのある魔法"を行使する。
「いずれ、また会った時は――」
そして、二人の姿が消失する。
周囲を『探知』するも気配は感じられなかった。
「た、助かったぁ……」
色差魔がその場にへたり込む。
辛うじて生き延びたものの、もしクロガネが現れなければ確実に死んでいたはずだ。
「あの魔女に心当たりは?」
「それが全くないんだよね。あたしを知ってるなら、裏社会との繋がりもあると思うんだけれど……」
少なくとも、あの二人は色差魔を今回の標的として定めていた。
事前に何かしらの手段で情報を得ていることは確かだ。
不可解な事が多すぎる……と、クロガネは思案する。
あれほどの能力を持つ無法魔女であれば、既に情報が出回っていてもおかしくはない。
裏懺悔から受け取った要注意リストにも"氷翠"の名は記されていなかった。
それに何より。
氷の刃を生み出した能力と空間転移の能力は別系統のものだ。
魔女が複数の能力を持つことなど有り得ない。
例外があるとすれば、CEMの研究施設によって人体実験を受けていたクロガネ自身だけ。
フォンド博士が生み出した実験体の一人なのだろうか……と、疑問を抱いていると。
「あ、あのさ……」
色差魔がおずおずと声を掛けてきた。
酷く魔力を消耗しているようだが、目立つ外傷は見当たらない。
いずれにしても、まずは彼女を帰すべきだろう。
「なに?」
「お礼ってわけじゃないんだけどさ。あたしたちも……しとく?」
先ほどの光景を見て色差魔が感じたこと。
氷翠に窮地を救われた壊廻は、心酔した様子で行為を受け入れていた。
「その、えっと……キスを……」
瞳を潤ませて、誘い受けるように目を瞑る。
そして、色差魔はそのまま頭部を殴られて意識を失った。
File:氷翠-page1
要警戒対象。
淡雪のような白髪のショートカットと凍てついた目が特徴的な少女。
複数の能力を所持している可能性があり、少なくともクロガネと同等の魔力量がある。