132話
お待たせしました。
本日より4章『氷翠の召魔律』編が開始となります。
併せて4章OP曲が公開されましたので、よろしければ下記リンクからぜひぜひ
https://youtu.be/qysbuNIxwfo
真っ白で何もない無機質な空間。
部屋の前後に電子ロックの掛けられたドアがあるくらいで、他に特筆するようなものはない。
繰り返される地獄の日々。
酸欠になるほど駆け回って死から逃げ惑い、辛うじて繋ぎ止めている意識を殺意に変換する。
気を失ったところで"あの男"は許してくれない。
四肢を失って泣き叫んでも意味を成さない。
この場所で平穏に過ごすには、命を捨てる覚悟で魔物に立ち向かうしかないのだ。
彼は言った。
『肉体の破壊、再生の繰り返し。その度に、魔力が徐々に馴染んでいくことだろう』
「がぁっ――」
巨躯を誇る魔物に腹部を掴まれ、そのまま握り潰される。
致死レベルの痛みだけは何度味わっても慣れない。
『遺物との同化が進んでいるな。それも、過去に類を見ないほどに……異世界から呼び寄せた検体は素晴らしいデータを見せてくれる』
腕を捩じ切られて声を上げても。
彼は実験の経過観察をしているだけで、手を差し伸べるようなことはしない。
『死を恐れるな。何度でも、何度でも……覚醒を迎えるその時まで、繰り返されるのだから』
意識が暗闇に沈んでいく。
今回もまた、ほとんど抵抗出来ずに終わってしまった。
それでも、自分の心までは殺させない。
命を賭して抗うのだ。
幸いにも、今この場所において死は終わりではない。
諦めない限り己を保てるだろう。
『肉体の再生は容易だ。しかし、精神は一度死ねばそこまで――』
意識を失う直前まで殺気を手放さなかったクロガネを。
カメラ越しに眺めながら、フォンド博士は歪に口角を持ち上げて嗤う。
『――この私のために、道半ばで果ててくれるなよ?』
◆◇◆◇◆
「――ッは」
跳ねるような勢いで体を起き上がらせる。
無意識に拳銃を手に取っていたらしく、寝起きの頭を揺さぶるように乾いた音が響いた。
「……っ、はぁ、はぁ……っ」
金属パイプの安ベッドが軋んで音を立てる。
目の前にある冷たいコンクリートの壁には、数え切れない弾痕が刻まれていた。
今日もまた、無意味に弾痕を増やしてしまった。
酷い目覚めだと舌打ちつつ、クロガネは拳銃をベッドに放る。
この世界に来てから毎晩悪夢にうなされていた。
ろくに抵抗する力も無かった実験体時代。
0040Δという文字列で管理されていた屈辱の日々。
睡眠中も『探知』による警戒は怠っていない。
熟睡は出来ずとも、身を休める間くらいは苛まないでほしい……と、その程度の願いさえ聞き届けられないらしい。
寝汗でぴったりと肌に付いたシャツを脱ぎ捨てる。
軽く顔を拭って洗濯機に入れ、下着も手早く外していく。
窓の外は未だ暗いままだった。
カーテンの隙間から差し込む朝日や、鳥の囀りで目を覚ますような気持ちのいい目覚めは、この世界に来てから一度しか味わえていない。
「……チッ」
魔力回復のために裏懺悔に添い寝されていた時のことだ。
心を許すつもりはないが、不思議と彼女の側にいると安心感があった。
圧倒的強者である彼女を前にしては、いかなる選択も意味を成さない。
抵抗も従属も彼女の意のままだ。
未だ底知れない力を持つ魔女を前に、あれこれと悩む必要が無いからだろうか。
部屋の角にある、ガラス張りの簡素なシャワールームに入る。
この隠れ家には最低限のスペースしかない。
足を伸ばせる広いバスルームを望むくらいなら、その分の資金で武器を買った方がいい。
シャワーを浴びていると、ふと目の前の鏡が気になった。
湯気で曇った表面をお湯で洗い流すと、鋭い目付きをした少女の姿が現れる。
「……ッ」
命を命と思わない殺人鬼。
奪った命の数など忘れてしまったが、元の世界であれば極刑は免れない。
見た目はほとんど変わらない。
筋肉が付いて引き締まったくらいだろうか。
だが、その内側は繰り返された人体実験によって大きく作り替えられてしまった。
堪らなく腹立たしい。
そして、人体実験で得た力に縋らなければ生きていけない自分が無様に感じてしまう。
「……はぁ」
そこまで考えて、クロガネは嘆息して鏡から目を逸らす。
何もしていないと悪いことばかり考えてしまう。
ネガティブな思考は無益だ。
気分転換に外に出よう……と、タオルを手に取って体を拭いた。
服は夜に紛れるような黒を基調として、あまり拘らずに側にあったものを身に纏う。
壁掛けのガンラックから最低限の装備を整える。
仕事ではないが、厄介事に巻き込まれる危険も考慮しなければならない。
無法魔女は魔法省から追われる身。
そして、クロガネ自身はCEMからも追われる身だ。
武装を怠って命を落とすことだけは避けたかった。
File:セーフハウス
クロガネの拠点には大量の銃火器が保管されている。
主にガレット・デ・ロワとマクガレーノ商会から買い付けたもので、個人というよりは組織で所有するような量になっている。