128話
救助ヘリがマズロを警戒しながら上空に待機していた。
迂闊に接近すれば撃墜される危険があったが、シェスカの指示の下、確保された救助エリアに近付いていく。
ヴィタ・プロージットの戦闘員たちには船の側面に取り付けた水上バイクがあった。
こちら側の待避を手伝った後に撤収する手筈になっている。
「持ち堪えましょうッ――」
アーベンスが最前線で指揮を取り、構成員たちに指示を出していく。
重役であるはずの幹部構成員は殿を務めるらしい。
ヘリコプターが甲板に接近すると、吹き下ろす風によって僅かに船体が傾く。
辛うじて海面に呑まれずに耐えていた。
船体がギリギリのところで耐えられるようになっている。
シェスカの計算能力は優秀だ。
そのまま着陸し――。
「到着しましたッ!」
ドアを開け、カルロが姿を見せる。
セフィールの足取りを追っていたため、正規構成員の中では彼のみが別行動だった。
下っ端たちを引き連れ、大慌てでヘリコプターを用意したらしい。
「こいつは見覚えのあるヘリだな?」
「レモラ商会に声をかけて、ヘリ三台と操縦者を借りました」
船尾側に大型のヘリコプターが三台着陸した。
構成員たちを全員逃がすには十分な数だ。
「ターミナルに下っ端連中を十人待機させてあります」
「おぉ? 悪くねえな」
咄嗟の判断にしては上出来だ……と、アダムが不思議そうに言う。
彼の想定よりも良い動きができていたらしく、その反応にカルロは安堵する。
『距離が詰まってきてる。これ以上前進させると不味い』
状況を理解しているのか、マズロの攻勢が強まってきていた。
救助エリアが安全圏ではなくなる。
さらに、船体が傾けばヘリコプターそのものが海水に浸かって離陸できなくなってしまうだろう。
だが、ここまで事が進めば心配することは無い。
「先に行って」
アーベンスとハーシュを押し退け、クロガネが最前線で構える。
「よろしいので?」
「巻き添えを喰らいたいなら残っていいけど――」
これ以上の援護は必要ない。
大半がヘリコプターに搭乗しており、後は徐々に戦線を下げればいいだけだ。
「これをアダムに渡して」
起爆装置を預ける。
彼ならば、確実なタイミングで起動してくれるだろうという信用があった。
燃料気化爆弾は限界まで『破壊』の力を込めてある。
間近で起爆すればマズロを仕留められるはずだ。
その状況を作り出すためにも、クロガネは最後まで船に残らなければならない。
そして、その補佐として最も適任な者に爆薬本体を預けてある。
彼が協力するのであれば、一先ずガレット・デ・ロワとヴィタ・プロージットの諍いは無くなるだろう。
「ご武運を」
アーベンスたちが船尾側に向かい――不安事項は全て解消された。
続々と離陸を始めるヘリコプターを背に、クロガネは両手を突き出すように構える。
「機式――"エーゲリッヒ・ブライ"」
取り回しの効きやすい二丁拳銃。
だが、ここから先は船体の負担を気にせずに力を解放できる。
「――『思考加速』『能力向上』『戦闘演算』」
再び燃料気化爆弾を設置する必要がある。
その適任者として甲板に残ったのは、クロガネとゲーアノートの二人だ。
「それ、マズロに括り付けてきて」
「正気か?」
間近に仕掛けなければ十分な威力は期待できない。
中途半端な実力の者を残しておくよりは、彼に仕事を押し付けた方が手っ取り早い。
廃船から脱出する際に彼の水上バイクを借りる必要もある。
爆破の余波から逃れるには操縦者が必要だ。
さすがに離脱しながらマズロの迎撃を同時にこなすのは困難だ。
当然、それだけの理由ではない。
「……ったく、合理的な判断だ」
この状況を作り出した意図に勘付いたのだろう。
ゲーアノートは嘆息しつつも、策に反対するつもりはないらしい。
「で、どうやってヤツと距離を詰める?」
「爆薬を仕掛ける以外の事は考えなくていい」
それ以外の事は自分で事足りる。
作戦を確実に遂行できる駒として彼を選んだにすぎない。
「――『疑似・限定解除』」
まだゲーアノートには見せていない能力。
仕組みは至極単純で、コントロール可能なギリギリの水準まで力を解き放つだけ。
ここまで事が進めば船の状態を気にする必要もない。
「はやく行って」
消耗を省みず戦うならば、機式の性能に留まらない魔法を扱える。
とはいえ、長時間の発動は魔力欠乏を引き起こしかねない。
支配領域内にある全ての事物の動きを予測する『戦闘演算』と、万象を捩じ伏せる暴力的な魔力。
これが組み合わさることで、戦慄級としての本来の能力を引き出すことが可能となる。
「――ッ」
駆け出したゲーアノートにマズロの意識が向けられる。
戦場には他の戦闘員もいない。
無数の触手全てが彼の命を狙っているが――。
「させない――」
エーゲリッヒ・ブライから打ち出された弾丸が、紅く光を帯びて突き抜けていく。
銃声は複数。
ほんの一呼吸の合間に全ての触手を消し飛ばした。
「――『装填』」
空のマガジンを排出し、次を『倉庫』から直接呼び出す。
その時間さえ決して隙にはならない。
驚異的な再生速度を考慮しても、今のクロガネからすれば大きな的以外の何物でもないのだ。
襲い来る全ての脅威を二丁拳銃だけで退ける。
あまりにも非常識な光景だったが、こうして戦慄級と戦場に介してゲーアノートも魔女の力を思い知らされていた。
大胆な策を考案し押し付ける……それが許されるほどの実力を示していた。
余波で船体が激しく損傷したとして、離脱に関する動きはゲーアノートに任せてある。
「設置完了だッ!」
マズロの足元に燃料気化爆弾を設置し、ゲーアノートが待避を始める。
既に甲板は浸水していた。
その上、クロガネが好き放題に銃撃を繰り広げたことで至るところが破損している。
それでも改造手術によって強化された身体能力を活かして船尾側に辿り着いた。
「離脱する。用意して」
水上バイクは廃船から離脱する唯一の手段だ。
操縦は彼に任せ、クロガネは襲い来る触手の迎撃に集中する。
甲板に残るより足場は更に悪い。
激しく揺れる海上で、さすがに全ての攻撃を撃ち落とすには無理があった。
「……やれるのか?」
そんな芸当は俺にも無理だ……と、ゲーアノートが訝しむ。
僅かに銃口が震えるだけでも作戦は失敗に終わってしまうというのに、自信に満ち溢れているクロガネが彼には理解できなかった。
当然ながら、それを可能とするような神業は持ち合わせていない。
エーゲリッヒ・ブライの召喚を解除すると、クロガネは水上バイクに乗り込んで後方に手を突き出す。
「機式――"フェアレーター"」
必要なのは猛攻を耐え凌ぐための防御。
視界全てを焼き尽くすほどの威力は、この状況において絶対的な守りに転ずる。
状況を理解しているのか、マズロの攻撃は更に激しさを増し――。
「発進させて」
水上バイクが最大負荷による爆発的な加速によって飛び出す。
直後、僅か数センチ後方を触手が空振っていった。
そして――。
「――消し飛んでッ!」
フェアレーターの砲口から放たれる破壊の奔流。
魔女としての能力を惜しむことなく注ぎ込んだ最大級の一撃。
途方もない出力の熱線が、間近に迫っていた触手を全て焼き尽くしていく。
その反動で水上バイクは更に加速し――。
『おぉ、もう殺っちまっていいんだな?』
アダムから通信が入る。
返事をするまでもなく、彼は今が好機だと察している。
マズロは今も無尽蔵の再生力によって体積を膨れ上がらせていた。
彼もまた、セフィールの策による犠牲者だ。
欲望に目が眩んだ結果、手を出してはいけない相手に抗争を仕掛けてしまった。
裏社会に留まらず、この世界では、そうして散っていく人間は珍しくない。
そして、起爆装置を起動。
周囲のエーテルごと空気を喰らい尽くすように吸い寄せ、空間が一瞬だけ歪み――爆ぜる。
激しい轟音と共に海面が荒れる。
マズロは組織本拠地である廃船もろとも、船体の数倍はあろうかという巨大な炎に呑み込まれていった。
File:Miige-R38
アダム愛用のリボルバー。
通常の弾薬と対魔弾の両方に対応している高級品。
手動で五発装填する必要があるが、その手間を含め愛着を持っているらしい。