125話
「――なぁお前さん、何かを勘違いしてないか?」
殺気立ったアダムが銃を片手に歩み寄る。
彼ほど残忍な男が、裏切り者を前にして黙っているはずがない。
その銃には特級-9mm対魔弾『死渦』が装填されている。
ゲーアノートも改造手術を受けて強化されているとはいえ、掠めるだけでも致命傷となるだろう。
「この場を収めようってのに、肝心なものを差し出さねえで馬鹿ほざいてんじゃねえよ若造」
何よりも鋭い"恐怖"を突き付ける。
大半の事には笑みを浮かべていた彼が、珍しく怒気を露にしていた。
その様子に、この場に居合わせた皆が硬直してしまう。
指先さえ強張ってしまい僅かに震えるだけ。
その殺気を直接向けられていないというのに、それでも息苦しく感じてしまう。
「取引は成立したはずだ。反故にするつもりか?」
ゲーアノートも戦闘態勢に入る。
もし停戦が成立しなければ、この場でガレット・デ・ロワの総力とクロガネを一人で相手しなければならない。
それでも堂々と言葉を返せるあたり、何かしら手を隠しているのではと疑ってしまう。
個としての戦力で言えば幹部構成員さえ上回っている。
「後始末付けろって言ってんだよ、なぁ?」
銃口はシェスカに向けられていた。
その気になればいつでも殺せる状況だ。
アダムの射撃の腕は極めて高く、非戦闘員の彼女が躱せるはずがない。
身を隠したとして、特級の対魔弾を前にしては遮蔽物も意味を成さない。
「お前さんたちの取り分はわかった。コンテナヤードのブツだけで見逃してやる。それは構わねえ」
だが……と、アダムは続ける。
「そいつの命は別だ。恩を仇で返すような奴には、ここにある対魔弾全てをブチ込んでようやく釣り合いが取れる」
その殺気は本物だ。
報復のために高価な弾薬を惜しみ無く使うつもりらしい。
「四肢が順番に消し飛んで、最後はここだ。こんなに金をかけて殺されるなんて名誉だよなぁ、おい?」
シェスカの顔面を指差して嗤う。
すぐに殺さず、極限まで恐怖を与えようというのだ。
「庇ったところで得はねえぞ? 裏切り者を渡せ」
それは要求ではない。
命令だ。
歯向かった者には惨たらしい死を。
裏切り者には後悔してもしきれないほどの報復を。
全てを"恐怖"によって支配してきた裏社会の大悪党――アダム・ラム・ガレット。
彼を前にしては、交渉の余地など一切存在しないのだ。
こうして勢力を拡大させ、フィルツェ商業区を掌握した。
周辺地区のシンジケートも媚びへつらうような笑みを浮かべてばかり。
決して敵対してはならない者として、彼の名は広く知れ渡っている。
「戦争屋だとかほざいていたよなぁ? オーレアム・トリアの二の舞になりてえか?」
理不尽を押し通すような恫喝。
それが許されるのは、彼という男が裏社会きっての大悪党だからだ。
シェスカを引き渡さなければ組織を挙げて潰しにかかるぞ……と、容赦のない脅しを掛けている。
事実として、それを可能にするだけの戦力を保有している。
さらに言えば、アダムは裏懺悔と旧知の仲だ。
話を聞いた時点では眉唾だったが、実際に戦慄級のクロガネと戦ったことで警戒をより強めていた。
――あれは規格外だ。勝つとか負けるとか、そんな次元の相手じゃない。
同じ戦慄級で語られる魔女の中でも裏懺悔は別格だ。
魔法省が野放しにせざるを得ず、CEMが一方的に要求を飲まされてしまうほどの魔女。
万が一にでも彼女が現れようものなら、ヴィタ・プロージットは壊滅する。
そう不安を抱いていたグスタフの姿を思い出してしまった。
「……リーダー?」
シェスカが不安そうに尋ねる。
せっかく厚待遇での引き抜きを受けたというのに、このままアダムに差し出されては堪らない。
かといって、彼女自身には戦う力もない。
「……アダム、増援が来てる」
マズロに応戦していたクロガネが警告する。
海上を高速で移動する反応――ヴィタ・プロージットのメンバーたちだ。
彼らを迎撃すべきか確認する必要があった。
だが、アダムは手のひらを向けて制止する。
「選べよ、若造。お前さんの一言で全てが決まる」
船上で孤立しているゲーアノートは圧倒的に不利な状況にある。
時間稼ぎを見逃してくれるほど甘い相手でもない。
まるでカウントダウンでもするかのように、アダムが殺気を高めていき――。
「なら、その装填された弾薬を売ってくれ」
「……あ?」
予想外に要求を返され、アダムのこめかみに青筋が浮かぶ。
あまりにも馬鹿げた話だった。
「その対魔弾全部をブチ込んで釣り合いが取れるなら、その使い道を売ってくれって話だ」
時間稼ぎのための戯れ言ではない。
取引をするために本気で提案しているのだ。
「殺されるには惜しい人材だ。"今後"のためにも……シェスカを失うわけにはいかない」
何か重要な理由があって勧誘したのだろう。
アダムの恫喝に言葉を返すほど、差し迫っている事情があるのかもしれない。
「なら、お前さんは何を出す?」
「セフィール・ホロトニスの身柄を渡す。それならどうだ?」
アダムの表情は険しい。
得られる対価としては十分だが、彼らが簡単に差し出せるものではないはずだ。
「事情があってヤツを匿っている。あんたらも分かっているだろ?」
セフィールはCEMから逃亡している身だ。
優れた煌学士を囲うというメリットはあるだろうが、それにしても不自然な話だった。
「お前さんたちがそいつを引き渡せる確証がどこにある?」
「この場には無い。だから、引き渡しまでの間は担保としてシェスカを預ける」
信用を得るには厳しい状況だったが、彼女自身を預けるのであれば話は変わってくる。
ゲーアノートが嘘を吐いた場合はすぐに処分できるのだから。
「お前さんは何を知って、セフィールを匿うことにした?」
「CEMのデータベースに隠された情報……統一政府の重要機密について彼女は知っている」
「おぉ?」
ここに来て、アダムが僅かに興味を示す。
早々手に入るような内容ではない。
「あんたらに繋がりの深い裏懺悔に、良いプレゼントになるんじゃないか?」
何か事情を知っているのだろう。
探りを入れるような様子が気に食わず、アダムは銃口をゲーアノートに向ける。
「なら答えてみろ。お前さんたちは、セフィールからどんな機密を手に入れた?」
「――ラプラスシステムについてだ」
その単語が出た途端、アダムは不愉快そうに銃を下ろした。
「交渉成立でいいな?」
「好きにしろ。担保なんかも要らねえよ」
興味を失ったように視線を外し、半ば自棄になったようにマズロに向けて残弾を全て吐き出させる。
それだけで途方もない価値になるはずだ。
部下たちが顔を真っ青にするも、彼は気にしていないらしい。
「た、助かったぁ……」
シェスカも安堵したようにへたり込む。
よほど怖かったようで脚が震えていた。
さすがに、これほど人生で恐怖を味わった時間はない。
「担保も要らないのか?」
「好きにしろっつってんだよ、聞こえなかったか?」
見逃すことがよほど不服らしい。
彼の矜持を覆してまで、その情報を得ることを優先する必要があるのだと言う。
「だが、もし嘘を吐いてみろ。裏懺悔が直々に始末しに来るぞ?」
それは脅しではなく忠告だ。
裏懺悔にとって極めて重要な情報のようで、偽るようなことがあれば文字通り首が飛ぶことになるだろう。
「……ったく、小賢しい若造が」
作戦が失敗した時のために保険を掛けておいたのだろう。
重要機密を握っていようと、さすがに公安を相手に匿うのはメリットが薄い。
予めガレット・デ・ロワ相手の交渉材料として用意していたのだ。
「あぁ、若造だ。少なくとも、この戦いには負けた」
ゲーアノートも結果には不満が残っていた。
生き延びたとはいえ、殺し屋としては依頼不達成も同然だ。
依頼者は魔物となって暴れており、オーレアム・トリアの構成員たちは全員が船倉内で死んでいる。
部下に死人が出ていないだけ幸いと考えるべきだろう。
「せめてヤツの面を吹っ飛ばさないと気が済まねえ」
厄介事の清算が終わり、後は魔物化したマズロを始末するだけだ。
File:ラプラスシステム-page1
統一政府の最重要機密。
どうやら裏懺悔はそれについて知りたがっているらしい。