117話
――メーアトルテ西部、リュエス港。
港町として活気に栄える地区に隣接した港湾区域。
過酷な労働現場である一方で、仕事を選ばない三等市民にとっては良い稼ぎの場となっている。
海上に建設された人工島には大型船舶専用の停泊所とターミナルがある。
陸地のコンテナヤードと繋ぐように道が整備されているため、人工島に入るには必然とその道を通ることになる。
関係者のみが立ち入りを許された場所だ。
捜査令状を持った魔法省の捜査官ならばともかく、部外者が侵入することはまず不可能と言っていいだろう。
「……到着したよ」
コンテナの影に身を隠しつつ、クロガネが呟く。
遠目に人工島を眺めながら無線の応答を待つ。
『おぉ、そうか。こっちも準備は万端だ』
嬉々とした声が返ってきた。
オーレアム・トリアの本拠地を前にして血が疼いているらしい。
通信士を追跡した結果、逃げ込んだ先がこのリュエス港の停泊所だったという。
以前マッド・カルテルと殺り合ったコンビナートと近い場所だ。
「……で、どうやって人工島に?」
陸地のコンテナヤードまでは侵入も容易だった。
監視カメラ等の設備はあるようだったが、肝心の警備は疎かなのだろう。
常に『探知』で警戒しながら警備の巡回やカメラの回転を避け、高所かつ完全な死角となっている場所を確保した。
『作業員を買収した。奴らより高い金額でな』
人工島の中に拠点をおくことは容易ではない。
身を潜めるにあたって、オーレアム・トリアは港の作業員たちに金を配っていた。
アダムはそれを上回る額を提示して買収したと言う。
以前、彼らがガレット・デ・ロワに対して行った手口をそのまま返しただけのことだ。
関わりのある無法魔女だけでなく、通信士まで買収されたのだ。
生半可な報復では終わらない。
そのために今回は幹部から正規構成員、準構成員に至るまで、全員連れ立ってアダム自らが先頭に立っている。
『組織同士の抗争はこっちでやる。お前さんは部外者の足止めをしてくれ』
即ち、ヴィタ・プロージットを退けろと。
依頼内容としては至極単純。
その難易度こそ極めて高いが――。
「了解」
クロガネは頷く。
純粋に組織同士の抗争で決着を付けたいと言うのであれば、水を差すような真似は出来ない。
何より、これはガレット・デ・ロワの威信に関わる問題だ。
縄張り内を好き放題に踏み荒らされて、中途半端な報復で済ますわけにはいかない。
彼らの流儀に則って、悪逆非道の限りを尽くすつもりらしい。
アダムには裏社会で張り続けるだけの凄みがあった。
クロガネも殺しの腕には自信がある。
だが、彼のように相手が萎縮してしまうほどの"恐怖"を与えられない。
港湾区域全体を探るように広く『探知』を展開させる。
遮蔽物になる物は多いが、これならば敵の動きを把握できる。
「……違う」
首を振り、クロガネは『倉庫』から双眼鏡を取り出す。
相手は殺しを専門とするスペシャリストであって、能力のみに頼っていては足元を掬われかねない。
魔法の使用を封じられた前回は、通信士の機転によって辛うじて命拾いをした。
あの状況を打破する手段が見当たらなかった時点で負けも同然だろう。
肉眼で周囲を見回す。
魔女としての体は生身の人間より遥かに優れていて、それは視力も例外ではない。
構造を把握した上で、もしヴィタ・プロージットがオーレアム・トリアの救援に向かうならどこから現れるのか……と考える。
魔女としての力だけではない。
正しい意味で裏社会に溶け込むには、殺しの"勘"も磨く必要がある。
それがアダムと自分の違いであって、さらに言えば色差魔や屍姫たちとの違いでもあるのだろう。
感性が未だ現代日本に囚われているようでは、自ら危険に身を晒しているようなものだ。
だからこそ、同じ災害等級の敵と対峙して手間取ってしまう。
自身が持つ『破壊』の力は規格外であって、フォンド博士の人体実験によって他の魔女よりも優れた身体能力も得ている。
それを十全に扱うにはクロガネ自身が成長する必要があった。
進行ルートに目星を付けていると、アダムから無線が入る。
『――よぉ、お楽しみの時間だ。ド派手にブチかまそうじゃねえか』
ヘリコプターが三機、プロペラの駆動音を喧しく立てながら現れた。
そして、上空を通過してそのまま人工島へ向かっていく。
彼は宣言通り派手に攻め込むつもりらしい。
停泊所の端にある錆び付いた廃船に向かって一直線だ。
その中から、酷く慌てた様子でオーレアム・トリアの構成員が現れた。
まるで素人だと嗤い、アダムは各機に攻撃準備を指示する。
ドアが大きく開くと、巨大な機銃が顔を覗かせた。
『――蜂の巣にしてやれ!』
三機同時に甲板に向けて掃射する。
用意した弾薬を惜しみなく降り注がせていく。
費用など気にする必要はない。
彼にとっては、この報復さえ気持ち良ければ後のことはどうでもいいのだ。
哄笑が響く。
愉快そうに部下の背中を叩き、アダムは上機嫌で着陸を指示する。
それに合わせ、コンテナヤードから構成員たちを乗せた車両が何台も突入していく。
作業員を買収してあるため、人工島へのゲートは解放されていた。
徹底的に思い知らせるのだろう。
その大胆な作戦にクロガネは肩を竦め――ふと気付く。
眼下に怪しい影が、ほんの一瞬だけチラ付いた。
File:リュエス港『人工島』
メーアトルテ西部の貿易拠点。
西側からの流通を一手に担っている巨大な貿易港。
陸地付近は大型船舶が寄るには水深が浅かったため、流通の利便性を求め十分な深さを確保できる場所に建設された。