116話
裏切り者を炙り出すのであれば、行動を起こす瞬間を捉えればいい。
単純だが度胸がなければ出来ない作戦だった。
アダムは致命的な隙を晒すことで好機を演出した。
殺害を可能とさせる状況を作り出し、このタイミングであれば内通者として動いていることがバレても問題ないと思わせたのだ。
通信士はオーレアム・トリアに情報を流していた。
以前買収された無法魔女たちと同様に、破格の報酬を提示されたことは想像に難くない。
リスクとの釣り合いを考えた上で寝返ることを選んだのだろう。
「……」
それがアダムを敵に回すに足るだけの理由になるのだろうか。
彼の恐ろしさを知っている者が簡単に裏切るとは思えない。
より大きな組織が絡んでいるのか。
あるいは何かしら野望を持って行動を起こしたのか。
マッド・カルテルのレドモンドは、一等市民の肩書きを欲してアグニと取引をしていた。
公安との繋がりを強固にするために、密輸ルートを売り飛ばすことさえ厭わないほどだ。
一等市民居住区に住めるのであれば後先考えずに敵を作っても問題ないのだろう。
事実として、そこにはクロガネでさえ殴り込むのは躊躇ってしまうような警備体勢が敷かれている。
身の安全が保証されるような取引相手だ。
オーレアム・トリアの裏に、より巨大な"何か"が控えているかもしれない。
「おぉ、そうだアーベンス。アレを渡してやってくれ」
「畏まりました」
懐から一枚の資料を取り出す。
そこに記されていたのは、マギ・ブースターを製造しているセフィール・ホロトニスに関する情報だ。
「……これは」
「なぁ、面白い話だろ?」
――CEM研究開発部、煌生物課所属"セフィール・ホロトニス"
書き連ねられた研究成果の数々。
どういった事象を元に何を生み出してきたのか、その全容が記されていた。
「オーレアム・トリアの裏にCEMが……」
「悪どいよなぁ? 裏社会のルールに反する行為だ」
利益のために公安を引き入れる。
もしくは、それ自体を目的として組織が作られたのか。
「汚れた稼業に手を突っ込んでおいて、コソコソと上の顔色を窺ってるなんてありえねえよなぁ。ツラを見せられねえ臆病者共に舐められるってのも気に食わねえ」
そう言って、アダムは皿に盛られていたステーキを頬張る。
行儀だなんだと気にするような者たちは、交戦が始まった時点で店から逃げ出している。
「理由なんざどうでもいいが、ケジメは付けさせねえとなぁ?」
何故だか上機嫌だ。
その先に利益を見出だしているのだろうか。
「ま、お前さんも楽しんでいくといい。心踊るドンパチもあるし、報酬も弾むぞ?」
この先に待っているのは全面抗争だ。
オーレアム・トリアお抱えの戦争屋も出張ってくる。
好き放題に暴れて利益も得られるというのだから、内心ではアダムと似たような高揚を味わっていた。
クロガネは肩を竦め、嘆息しつつ頷く。
そしてふと、
「……カルロは大丈夫?」
思い出したように尋ねる。
CEMの研究者を捕らえに行くのだ。
準構成員を連れていくにしても、そのセキュリティを突破できるかさえ怪しい。
その疑問にアーベンスが首を振る。
「どうやら、セフィール・ホロトニスはCEM外部への技術流出の疑いで逃げ回っている立場のようです。煌性発魔剤も元は別の研究者のものだそうで」
「……それはいつ頃から?」
「ここ数日。少なくとも二日前には手配書が出され、彼女の痕跡を魔法省も追跡しています」
それでマギ・ブースターが絡む場所に捜査官が現れたのかと納得する。
密造していた廃工場も、流通を行っていたアラバ・カルテルもセフィール・ホロトニスが関与していた場所だ。
「そのセフィールって奴は、元からCEMもオーレアム・トリアも無法魔女も全部利用してやる腹積もりだったんだろうよ。大胆なもんだ」
アダムの言葉には称賛の意が込められていた。
そこまでやれるなんて清々しいほどの大悪党だ……と。
「マギ・ブースターの研究にそこまでの価値がある?」
「破格の値を付けてでも、買いたがるような奴がいるならな」
セフィールが単独で動くには危険すぎる。
CEMの技術を利己的な理由で流出させたとなれば、魔法省も総力を挙げて捕らえに来るだろう。
彼女が研究している薬品は特に危険度が高いため尚更だ。
「オーレアム・トリアも利用された側なんだろうが……んなことは関係ねえよなぁ? ウチに銃口を向けた時点で潰すのは決定事項だ」
簡単に騙されるようなバカはどうせ淘汰される運命だ……と、アダムはけらけらと嗤う。
マギ・ブースターと戦争屋を盾にして偉ぶってるだけの雑魚だと。
「とはいえ、研究者の方を放置するわけにもいかねえからな。カルロのヤツにも良い経験になるだろうよ」
カルロには荷が重い内容だ。
それこそ無法魔女を連れていかなければ対処できないような事態も有り得る。
「……そう」
だというのに、アダムたちは欠片も心配していないようだった。
成功するか否かは不明だが、少なくとも可能性の無いことに人員を注ぎ込むような愚行はしないはずだ。
万が一失敗したとして、同様に命を落としていく人間など珍しくもない。
この世界における弱者の扱いなどそんなものだ。
「面倒事があれこれ絡んでるようだが、やるべきことは変わらねえ」
縄張りにしているフィルツェ商業区に侵入した挙げ句、好き放題に暴れている敵対シンジケートを叩き潰す。
クロガネは相手が雇ったヴィタ・プロージットを叩き潰す。
それ以外の事までガレット・デ・ロワが本腰を入れて介入する必要はない。
セフィールの周辺まで手を伸ばすのはCEMや魔法省だけでいい。
そこまで考えてクロガネは納得する。
「カルロを使って嫌がらせするつもり?」
「おぉ、分かってるじゃねえか」
その作戦に実利は無い。
だが、こうして縄張りを掻き回された時点で報復することは確定している。
何より手を出さないで黙っているというのは彼の流儀に反する。
人選に誤りは無い。
彼は臆病だからこそ引き際を弁えている部分もある。
自分が生き残ることを最優先にしつつも、アダムの機嫌を窺うために何かしらの成果を得るかもしれない。
もしセフィールを捕まえられたなら、それはそれで良しとするだけだ。
「お前さんもカチコミの準備をしといてくれ。詳細は追って知らせる」
「了解」
間もなく全面抗争が始まる。
通信士の逃亡先にオーレアム・トリアの本拠地があるならば、場所の特定には大した手間もかからないはずだ。
彼女が不在となれば、ガレット・デ・ロワの作戦遂行を遠隔で支援できる者がいなくなってしまう。
急拵えで体勢を整え直すことも厳しいだろう。
それを差し引いた上でなお、アダムは勝利を確信しているようだった。
味方の死も、裏切りも。
彼にとっては日常の範疇であって、微かな揺さぶりにさえならない。
File:煌性発魔剤-page2
フォンド博士が戯れに作った薬剤の一つ。
一時的に魔女の力を高めることが可能だが、身体への負荷が極めて重いため現状では流通していない。
セフィール・ホロトニスによって再現されたものは成分が希釈されたもので、微弱な負荷は残るが精神作用によって高揚感と誤認させる効果がある。