110話
ゾーリア商業区では苛烈な派閥争いが絶えない。
銃声も血の臭いも飽きてしまうほどに。
殺し合いが行われている傍らを通行人が過ぎ去っていく。
誰かが雑踏の中で刺されても、一瞥するくらいで足を止めることもない。
そんな狂った価値観が形成された街において、最も勢いのある組織こそ"アラバ・カルテル"だった。
偶然にも、その日は中枢を担う幹部達が一堂に会していた。
白いクロスの掛かった円卓を囲んでいる男達は、それぞれが魔法省から指名手配されている極悪人だ。
そんな重苦しい会合の最中に、荒々しくドアが蹴破られた。
「……へぇ」
クロガネは感心した様子で室内を眺める。
それまで会話をしていた男達が、揃って銃を抜き構えている。
肥太った外見とは裏腹に場数を踏んできているらしい。
日頃から常在戦場の心で臨んでいるのだろう。
その中でも、上座で堂々と構えている中年の男は一切動じていない。
だが、その周囲の者達の殺気には、僅かに疑心めいた揺らぎが見え透けていた。
「何用だね、無法魔女」
「聞きたいことがある。質問に答えるなら被害は出ないよ」
事実として、クロガネは武器を構えずに自然体のままだ。
殺し合いをするつもりはないが、無手の状態でも彼らにとっては脅威足り得るだろう。
「ハスカは何をやっているッ」
「侵入者を見逃すなどありえん」
下座にいる二人が引き金に指を掛ける。
真っ先に危険に晒される可能性がある以上、後手を取るわけにはいかないのだろう。
「あの魔女ならエントランスで寝てる」
「嘘を吐くな……ん、なんだ」
部屋の中に構成員たちが慌ただしく入室する。
先ほど街で捕まえた案内役たちのようだ。
彼らはクロガネが殴り込んでハスカと交戦するところを目の当たりにしていた。
その事を小声で耳打ちをする。
すると、声を荒げていた男が銃を下ろして押し黙る。
「状況が理解できた?」
「……十分にな」
全員が銃を下ろす。
マガジンには対魔弾が込められているようだったが、効果が見込めないと判断したらしい。
もし実際に撃ち合いが始まってしまったなら、何秒とかからず制圧できただろう。
「アラバ・カルテルを取り仕切っているロウ・ガルチェだ。そちらは?」
「禍つ黒鉄」
名を告げると、室内が僅かにざわつく。
まさか戦慄級の魔女が殴り込んでくるとは思っていなかったのだろう。
だが、ロウだけは落ち着いた様子で構えていた。
「我々の内の誰かが標的……というわけではないようだが」
「これについて聞きたいだけ」
クロガネは円卓の中心に小箱を放る。
「……開けてみても?」
問いに頷くと、ロウは下座にいる男に目線を送る。
恐る恐る手を伸ばして小箱を開けると、中からマギ・ブースターが出てきた。
「これは最近流通し始めたマギ・ブースターですな、ロウ殿」
「そのようだ。これを何処で?」
「フィルツェ商業区で」
ロウはマギ・ブースターをじっくりと眺める。
魔女の力を一時的に向上させる薬剤。
同時に精神抑制等の副作用を齎すことまで、はたして彼は知っているのだろうか。
「これは、我々の流通ルートとは別口――」
銃声が響き、ロウの右後ろに控えていた用心棒が崩れ落ちる。
血飛沫が白いテーブルクロスを汚し、円卓を囲む男達が冷や汗を垂らす。
その場に居合わせた誰もが、クロガネが銃を構える動作を目で追えていなかったのだ。
「もう一度言う。質問に答えるなら被害は出ないよ」
裏社会で最も偉いのは"強い者"だ。
金も武器も人員も、その全てが地位を確立するための手段に過ぎない。
魔女は恵まれた能力を持っている。
それだけで、犯罪組織の一つを黙らせることができるほどに。
「……MEDを起動しているはずなのだがな」
ロウは険しい顔をして室内を見回す。
凡百の魔女であれば、この室内で魔法を行使することはかなわない。
「残念ですが、この方は戦慄級……抵抗するより耳を傾けた方が」
ドアが開かれ、目を覚ましたらしいハスカが入室する。
その言葉に皆が息を呑んだ。
――戦慄級。
災害等級の中でも、極めて凶悪な存在を指し示す言葉。
名前を出すだけで抵抗を諦める者も多いくらいで、そんな無法魔女の間合いに入ってしまった時点で選択肢など与えられていなかったのだ。
交渉の余地は無い。
口を割るか、皆殺しにされるか。
悠長に考える時間さえも無い。
ハスカも近辺では名の通る用心棒だったが、その彼女が既に戦意を喪失してしまっている。
隠し事をするのは命を捨てることと同義だろう。
「……誰の使いで来たのだね?」
本来なら依頼主の名を明かす必要はない。
だが、裏社会において彼の悪名は広く知れ渡っている。
「アダム・ラム・ガレット」
「フィルツェ商業区の……そうか」
ロウは観念したように脱力する。
敵に回すべきでないと判断したようで、部下に指示を出してデータを取りに向かわせる。
「マギ・ブースターは潜りの煌学士――セフィール・ホロトニスが研究開発しているものだ。技術提供の対価として、こちらからは資金援助や流通補助、使用者の観測データまで送っている」
「随分手厚いね?」
「……それだけ稼げるということだ」
技術者として優秀なのだろう。
開発のためのスポンサーを得ると同時に販売ルートまで確保して、自分は研究に没頭することができる。
ロウが引き受けてしまうくらいに魅力的な話を持ってきたらしい。
「それを手放していいの?」
「あのガレット・デ・ロワを敵に回すほど愚かじゃない」
最も凶悪で残忍な報復を行う男。
恐怖で全てを捩じ伏せてきた大悪党。
組織としての規模だけではない。
万が一にでも彼の恨みを買ってしまったならば、全ての稼業を手放して逃亡する他に無い。
全面抗争など以ての外だ。
たかが情報の一つを聞き出すために戦慄級の魔女を送り込んでくるような輩だ……と、ロウは警戒していた。
その場凌ぎの嘘を吐くよりも、敵対する意思がないことを示す方が被害は少ない。
何より、従順な姿勢を見せなければ目の前の無法魔女に皆殺しにされかねない。
「……もう十分に稼いだ。好きにしてくれ」
部下が持ってきた取引情報を移したUSBを投げ渡す。
厄介な同業者に目を付けられてしまった以上、アラバ・カルテルも手を引かざるを得なかった。
「ちなみに聞くけど、他のシンジケートに流したりは?」
「していない。独占契約を結んだ……つもりだった」
自身の観察眼を恥じつつ、ロウは嘆息する。
他所の揉め事に強く関与している人物と繋がっていたのだ。
独占契約という話自体も偽りで、他に本命がいたのだ。
データサンプル回収のために利用されていただけらしい。
結果として厄介事を招いてしまったため、組織を率いる者として反省しているようだった。
「その用心棒だけど」
「……構わない。部下に片付けさせる」
円卓を取り囲む者達が抱く僅かな疑心。
組織内部で派閥争いか、それに近しい裏切りの兆候があったのだろう。
クロガネが殴り込んだ際に、その用心棒だけ反応に差異があった。
ほんの僅かなズレから黒い思惑を感じ取り、恩を売る形で始末したのだ。
幹部の中にも混ざっている可能性はあるが、巧妙に本心を隠蔽して紛れ込んでいるのだろう。
とはいえ、これ以上踏み込むような野暮な真似はしない。
会話のやり取りには出さなかったが、ロウもこちらの意図を察しているらしい。
情報の対価はこれで十分だろう。
クロガネはUSBを『倉庫』に入れ、その場から立ち去った。
File:アラバ・カルテル
複数の犯罪組織が連合を組んで、ゾーリア商業区の中で最も強い勢力を形成した麻薬カルテル。
その性質のためか組織としての統率はあまり取れていない。