101話
「……ッ」
電源が落とされた工場内は視界が悪い。
周囲から微かな気配を感じるも、居場所まで探り当てることは出来ずにいた。
相手も殺しを生業とする専門家だ。
易々と見つかるような下手は打たないだろう。
目の前の男はナイフを手にしているが、クロガネには武器がない。
両手に握ったエーゲリッヒ・ブライは沈黙させざるを得ない状況だ。
これまでも同様の手口で魔女狩りを行ってきたのだろう。
――ゲーアノート。
ヴィタ・プロージットの頭目の名だ。
三等市民の生まれながら、類稀なる頭脳と殺しのセンスを持って成り上がったと言われている。
「精々、足掻いてみせろ」
呟いて――狩りが始まった。
暗闇から無数の銃声が響き渡る。
普段『探知』に頼っていたせいか、どこの柱に隠れているのかも見当が付かない。
唯一、魔女としての身体能力だけは失われることはない。
致命傷さえ受けなければ、すぐに追い詰められるようなことはないはずだ。
近くに遮蔽物は無い。
始めから撤去されていたのか、不自然なまでにクロガネの周囲のみ空いている。
これは確かに狩りだ……と、心の中で舌打つ。
相手はただの無法者ではない。
本物の殺し屋を相手にしなければならないのだ。
銃声の間を縫うようにゲーアノートが仕掛けてきた。
「あの世で後悔するんだな」
「――ッ」
荒々しい喧嘩キックだった。
咄嗟に腕を交差させて防ぐも、魔力を持たない人間の一撃とは思えない重さを伴っている。
「チッ……」
彼の動きに合わせるように銃声が響く。
魔法が使えずとも魔女の身体能力だけで優位に立てるはずだったが、包囲されてしまえば身動きも自由に取れない。
だが――。
「……邪魔ッ!」
銃弾を躱しながら、僅かな隙を突いて蹴り返す。
それ自体に有効打になるほどの威力はなかったが、ゲーアノートは感心したように「おぉ……」と声を漏らした。
影に潜む僅かな息遣いを聴覚が捉えている。
銃弾の飛び交う空間の中にいて、全てを躱しながら殴り返す程度の余裕が生まれてきている。
死を背負った限界状況の中で、クロガネの神経が研ぎ澄まされていく。
魔法が使えずとも、磨き上げた能力の全てを注ぎ込んで命を繋ぎ止めていた。
生半可な魔女では抵抗出来ないだろう。
ヴィタ・プロージットを明確な脅威として認めると同時に、自分もリスクを背負って攻勢に出なければならないと判断した。
多少の被弾には目を瞑ればいい。
目の前の男を除けば、さすがに残党の質は何段も落ちるはずだ。
と、覚悟を決めた時――。
「――動くな、武器を捨てろッ!」
工場のドアが蹴破られ、武装した男たちが突入してきた。
見覚えのある黒いスーツに青の腕章――魔法省の捜査官だ。
数は十人と、この場にいる殺し屋よりも多い。
入口付近に即座に展開して臨戦態勢に入っている。
その手際の良さに覚えがある……と、クロガネは先頭の男に視線を向ける。
以前、ロムエ開拓区のビル内で交戦した捜査官――ジン・ミツルギ。
魔法省特務部のエリートが、なぜ三等市民居住区に仲間を引き連れて現れたのか。
とはいえ、状況はクロガネに有利に動き始めた。
隙を突いて距離を取り、柱の影に身を隠す。
『――無事か?』
「当然」
ようやく通信が繋がった。
焦った声色で、通信士は早口で指示を出す。
『回収班と合流してくれ。座標を送る』
九時の方向に約三百メートル。
クロガネの身体能力であれば大した距離ではない。
ヴィタ・プロージットも手練れだが、少なくとも捜査官側の方が数は明らかに多い。
そして何より――。
「機式――"ペルレ・シュトライト"」
入口が破られたことによって、密閉空間を満たしていたガスが流出していった。
大型のライフルを呼び出し、さらに『能力向上』『思考加速』を発動する。
「突破するッ――」
撃ち合いが始まると同時にクロガネも飛び出す。
座標位置への最短距離を行くには、両組織の間を潜り抜けるしかない。
神経が極限まで研ぎ澄まされ、魔法を自由に使える今――飛び交う銃弾がスローモーションのように見えた。
その中で、進行方向を阻むようにゲーアノートが銃を乱射しながら接近してきた。
身を低くして躱し――。
「退いてッ」
魔力を込め、引き金を引く。
撃ち出された弾丸はゲーアノートの手に直撃して銃を弾き飛ばす。
「チッ……」
忌々しそうにゲーアノートが舌打つ。
しかし、貫通力に特化させたペルレ・シュトライトでさえ目立った手傷を負っていないらしい。
手元に何かを仕込んでいるのだろう……と警戒するが、今は『解析』よりもこの場から離脱することを優先すべきだ。
全速力で駆け抜け、工場の壁に残弾を叩き込み――外へ飛び出した。
後方から撃ち合いの音が聞こえるが、どうやらゲーアノートも撤退を選んだらしい。
工場内を『探知』が及ばないスモークが満たしていた。
『すまない、電波妨害装置を探し出すのに時間がかかった』
突入した瞬間に通信が遮断されてしまい、補佐すべき対象を完全に見失ってしまったのだ。
通信士は申し訳なさそうに言う。
「あの捜査官たちは?」
『こっちで手配した。シンジケート間の抗争が起きてるって通報すれば、勝手に掻き回してくれるだろうからな』
咄嗟の判断で最低限のリカバリーは出来た。
もしあの場で戦い続けていたなら、ゲーアノートは次の一手を見せてきたかもしれない。
魔法を封じる特殊な気体――もし魔法省の横槍がなかった場合、その効果はどの程度持続していたのか分からない。
窮地に立たされていたことは否定できない事実だった。
用意周到な狩り場に狡猾な立ち回り。
隙を感じさせない振る舞いは、これまで対峙してきた人間とは一線を画する存在に思えた。
File:ゲーアノート-page1
殺し屋集団『ヴィタ・プロージット』の頭目。
切れ長の三白眼が特徴で、魔女たちから"その目を見たら最後"として恐れられている。