10話
通路に戻ると、苛立ったように頬を紅潮させた色差魔が吠える。
「ちょっとー、乙女のお腹を殴るなんて酷くない?」
痛みを噛み殺しつつ、腹部を擦る。
よほど効いたのだろう。
痺れるような痛みを堪えつつ、苦しそうに顔をしかめていた。
だが、やはり十分ではない。
その様子には余裕の色が窺え、さすがに徒手空拳で撲殺するには時間がかかりすぎてしまう。
「……」
ゆっくりと深呼吸をして、クロガネは手を虚空に翳す。
エーゲリッヒ・ブライの召喚は既に解除していた。
「ん、やっと投降する気に――」
「機式――"ペルレ・シュトライト"」
現れたのは、第二の機式。
これまでの機動試験で、命を前にさらし出してでも隠してきた切り札。
大型のライフル――銃身は厚みがあり、手にすると鈍器のように重い。
射出機構には幾重にも術式が重ねられている。
クロガネの体では取り回しにやや難はあるものの、その威力はエーゲリッヒ・ブライの比ではない。
「あ、あたしは殴られる方が好きかな~、なんて」
「――煩い」
容赦なく引き金を引く。
弾丸は――色差魔の傍らを通り過ぎていった。
「……チッ」
威力は期待以上。
通路の壁を容易く撃ち抜いて、どこまで貫通したか分からない。
命中しさえすれば確実に致命傷となる。
反魔力を打ち破るため貫通力に特化しているのだ。
威力を高めるほど消耗は激しくなるが、長期戦に持ち込まれなければ問題ない。
だが、相手は厄介な力を持っている。
「……あたしを殺したいならさー」
空気が変わる。
目付きが鋭くなって、何より"殺意"を露にしていた。
「『色錯世界』――破ってみせてよね?」
見失ってしまわないように、クロガネはじっと色差魔を見詰める。
ほんの数秒でさえ目に疲労が溜まって耐え難い。
先ほどまでとは違う。
クロガネの魔法が彼女にとって脅威足り得ると判断したのだろう。
気合いで打ち破れるほど生易しい技ではない。
だが、未だに視界の中央で捉えて――。
「――もらったっ!」
背後から強烈な衝撃。
魔力を込めた拳で殴り付けるだけの、単純で捻りもないものだ。
それでも、不意を突かれる形で叩き込まれてしまえば危険だ。
「――ッ!」
身を捻るようにして受け身を取り、振り返る。
当然ながら色差魔の姿はない。
相手の術中に嵌まっている。
そう気付いたときには、五感が大きく狂わされて平衡感覚さえ失いかけていた。
視界が滲む、溶ける。
全てが狂っている。
一呼吸するにも、どれほどの時間が掛かっているのか不明なほど。
これは確かに厄介だ――と、クロガネは嘆息する。
「――邪魔」
銃を構え――虚空に撃ち込む。
そもそも、銃弾が当たるかどうかなど関係無い。
弾丸を中心に『色錯世界』にヒビが入っていく。
自身に埋め込まれている遺物は"破壊の左腕"――相手の魔法でさえ、破壊してしまえばいいのだ。
「嘘でしょ!?」
色差魔は驚いたように声を上げ、そしてピタリと体の動きを止めて両手を頭の後ろで組んだ。
そのこめかみには銃口が突き付けられている。
「……降参、あたしの負け」
諦めたように肩を竦める。
切り札をこうも容易く処理されてしまうようでは、ここから戦況を覆すなど不可能だろう。
「あなたなら、反魔力でも跳ね除けられたんじゃない?」
その疑問は正しい部分もあり、間違っている部分もある。
大罪級の魔女が相手だと完全には無効化できない――と、クロガネは感覚的に理解していた。
銃弾そのものに属性を付与する。
遺物を最大限に活かすのであれば、本来持つ性質を利用しない手はない。
原初の魔女が齎した力は『破壊』であって、その対象は物質だけに留まらない。
デメリットを挙げるならば、単純に体の負担が大きいことだろう。
さすがに多用するには消耗が激しい。
それでも、反魔力に頼るより確実性がある。
一度でも、敵対した相手を生かしておく意味はない。
引き金に指を掛けると、色差魔は頬を紅潮させて身震いする。
「えっとぉ……なんというかぁ……」
媚を売るような上目遣いに苛立ち、クロガネが指に力を込めると――。
「はい、そこまで!」
世界が静止する。
意識は保たれているものの、体は一切動かせない。
乱入者に気付けなかった。
戦闘に集中していたのもあるが、それにしても気配を全く感じられなかった。
「……ッ」
「力任せに破るなんてしないでよー? それされると結構反動が酷いからさぁ」
並みの魔女ではない。
今のクロガネでさえ命の危険を感じてしまうほどに。
死そのものが軽快に笑っている。
「遺物を埋め込まれちゃったらしいね。結び付きも強いみたいだし……困ったなあ」
狙いは色差魔と同じ"破壊の左腕"らしい。
これで、一つ疑問が片付いた。
「あの男が何もしないと思えば……」
「"彼"は危険すぎるよねぇ。酷い目に遭ったでしょ?」
共謀者がいたわけだ、と納得する。
これも含めて研究プログラムの一貫……などという悪い冗談は免れたらしい。
「……殺したの?」
「んー、残念ながら。ちょっかいをかけるくらいにしとかないと、色々と面倒だからねー」
相応の身分なのだろう。
下手に手を出して一生付け狙われるようなことは避けたい、と少女は言う。
「――チッ」
使えない、と心の中で吐き捨てて強引に魔法を打ち破る。
再び動き出した世界で――色差魔を即座に蹴り飛ばし、少女に向けて引き金を引く。
「おおっと!」
楽しそうに体を傾けて避ける。
受け止めたりしないあたり、この魔女にも有効打は与えられるはずだ。
「どんな反魔力してるのさ~、いったいなぁ……」
反動――魔法を強引に打ち破られた際の衝撃によって、同期するように脳に負荷がかかっていた。
しかし期待していたほどのダメージは与えられていない。
「でも、キミじゃ殺せないよ?」
「煩い」
再び引き金に指をかけ、警告するように一発。
「怖いなぁ、もう」
何事もなかったかのように平然として、少女は肩を竦めるだけだった。
File:色錯世界
支配者領域に依存した固有世界。
色差魔の展開するこの空間は、あらゆる"感覚"を狂わせてしまう。