First Morning 前編
お待たせしました。
前回に反して、今回は少しラブコメ寄りです。
北方義勇兵団、その本部の敷地面積は思いのほか広い。
設立当初は並の冒険者ギルドより少し大きい程度だったのだが、当時はまだ入団希望者が後を絶たず、食堂や宿舎を始めとした生活用設備の増築がすぐに必要となり、また義勇兵団を直接の商売相手に選んだ商人達が敷地内に店を構えるようになり、彼らが寝泊まりできるような施設を建設する必要にもかられた。そういった理由で拡張を繰り返し続けた結果、いつしかその規模を小さな街並に巨大化させていた。
そして、それらの影響を特に受けたのが食堂と宿舎である。この二つの施設は義勇兵団が管理しているものと、商人達が経営しているものがある。日常的に利用している団員達曰く、前者は義勇兵団が費用を負担してくれるので安いが標準レベル、後者は良くも悪くも値段相応らしい。なので大抵の団員は、新人の頃は安上がりな義勇兵団の施設を、ある程度稼ぎに余裕ができたら商人達の施設を使うようになるそうだ。
しかしベッドにクローゼット、鏡付きの洗面所まであって、照明も冷暖房も完備されている上に冷蔵庫まで付いている。内装が地味なこと以外、義勇兵団の言う標準レベルとは中々充実したものだった。そんな先輩方の 話を参考にした結果、折角なので義勇兵団が管理する宿舎を選んだアリシアは現在そのマイルームにて、ベッドの上で上半身だけ起こし、窓から差し込む朝日を浴びながら身体を伸ばしていた。
「んー、素晴らしきかな、自由の朝…」
『なんてね』と最後につけたし、アリシアは勢いよくベッドから飛び降りると洗面所へ直行した。因みに、この洗面所の水道、なんとお湯が出る。照明や冷暖房、冷蔵庫など、どうやらこの部屋は『魔導式製品』だらけのようだ。
産業革命以来、ルーン文字の実用化によって徐々に普及されつつあるが、如何せん高価になりがちだ。故に、これだけの数の魔導式製品が置いてある部屋なんて、まだ貴族や富裕層の家、あるいは高級ホテルぐらいの筈だった。
(人材不足だなんだと言う割には、結構お金持ってるのね……いや、むしろ人が減ってきたから余り始めたのかしら…)
洗顔を済ませ顔を拭き終えると、今度は寝間着を脱ぎ捨て隊服に着替え始める。ズボンに脚を、シャツを身に付け、その上からコートの袖に腕を通す。そして、コートのボタンを止め終わると、まるでタイミングを計ったかのように部屋のドアが軽やかにノックされる。続けて聴こえてきたのは、最早聞き慣れた幼馴染みの声だ。
「アリシア、入っても平気か?」
「ちょっと待って、今開けるから」
彼女がそう言って部屋の扉を開けると、腕に新聞を挟んで抱え、沸かした湯の入った魔法瓶と茶器一式を両手に抱えたクロノが立っていた。『おはよう』と言われ、『おはよう』と返せば、クロノは部屋に足を踏み入れ、踵を返したアリシアは部屋に備えられた小さなテーブルと椅子を引っ張り出す。そして椅子を窓の正面に、テーブルをその斜め横に置くと、彼女はいそいそと椅子に腰掛けた。対してクロノは茶器一式をテーブルに置き、持ってきた新聞をアリシアに手渡すと、モーニングティーの準備を始めた。
そして、茶を淹れ終えたクロノがヘア用ブラシを取り出した辺りになって、少しだけ気不味そうに…というか、申し訳なさそうにしたアリシアは、彼女の髪を整え始めたクロノに声を掛けた。
「ねぇクロノ、本当にこれからも続けるつもりなの?」
昔からの日課とも言える、クロノによる朝の御世話。彼が淹れた茶で喉を潤すと共に心を落ち着かせ、新聞に目を通してる間に髪をブラッシングして貰う。長い努力と経験によって磨かれていったクロノの腕前は、毎朝アリシアに至福の時間を与えてきた。
しかし、今のアリシアは一人の義勇兵、これからは自分のことぐらい自分でやろうと思っていた。何より、ここまで来てクロノに面倒を見て貰うのは気が引ける。だから昨晩、もう面倒みなくても平気だと彼に言ったのだ。
ところが、予想とは裏腹にやんわりと断られた上、今後も続けさせて欲しいと逆に頼み込まれてしまったのである。
「職業病と言うか、最早生き甲斐になってると言うか、朝にコレやらないと落ち着かないんだよ。まぁ、俺の我儘に付き合うつもりでさ、今後もやらせてくれ」
「うーん、クロノがそう言うなら…」
どこか釈然としないが、彼自身が本当にやりたがってるみたいだし、まぁ良いかと、クロノの優しい手つきでとかされる髪の心地と、喉を潤す紅茶に癒されながら、アリシアは新聞を開いて目を通し始めた。
「あ、クロノ」
「朝食の後にも飲みたいんだろ、ちゃんと食後用に別の茶葉を用意してある」
「……なんで分かるのよ…」
◆
昨晩、彼らも試験の打ち上げで利用した本部の大食堂。名前に『大』と付くだけありとても広く、用意された席と丸テーブルの数は百人分を余裕で超えるとも言われている。そして例によって義勇兵団が管理しているため、メニューは全て新人の懐事情にも優しい価格設定になっており、それでいて安定且つ安心する味付けで提供してくれる。なのでベテランになっても、小金を手にしても利用し続ける者が後を絶たないとか。
因みに、朝食メニューの一番人気は『モーニングプレート』。大皿にバターがたっぷり塗られた厚切りトースト、半熟の目玉焼きにカリカリに焼かれたベーコンとソーセージ、マッシュポテトが盛り付けられ、更に日替わりのサラダとスープがセットで付いてくる。この充実した内容とボリュームで、お値段は相場の半分以下。思わずアリシアとクロノも即決で選んでしまったが、そのお味はと言うと…
「これで標準レベルとか、先輩方ちょっと贅沢が過ぎるだろ。商人共に美味いもの食わされ続けて、上手い具合に舌を肥えさせられた結果か?」
「私達の味覚を基準にしても、普通に美味しいわよね」
二人がそう言ってしまうぐらいには、素直に美味しいと思える味だった。にも関わらず、この食堂を教えてくれた義勇兵達はコレを『標準レベル』と称する。それだけ商人達が管理する店の料理が凄いということなのだろうか、一度そう思うと気になって仕方がない。今度、資金と機会ができた時にでも行ってみよう、そんな会話をしている時だった。
「あ、居た居た」
「おーいクロノ、アリシア、おはよう」
「おう、おはよう」
「おはよう二人とも、昨日は楽しかったわ」
アリシア達に気付いたベンとリックが、片手を振りながらこっちに向かってきた。二人の手には、アリシア達と同じモーニングプレートがしっかりと握られている。クロノ達が詰めてスペースを確保すると、ベン達は軽く礼を言って同じテーブルに着いた。
こういったやり取りが自然に出切る程度には、彼らとは仲が良くなった。あの試験での立ち回りと、その結果のこともあって、やはり同期達には一目置かれているが、昨晩の打ち上げでそれなりに友好を深められたようだ。それに何より…
「あら、そう言えばエリーゼは?」
「アイツなら寝坊したせいで遅れてる」
「ま、流石にそろそろ来る頃だろうと思っ…」
「アリシアさあああぁぁぁんクロノさああああぁぁぁぁん!!」
既に朝食目当ての利用者で溢れていた食堂、そんな中でも良く聴こえるくらいに大きな、元気過ぎる呼び声。試験の時に見せた猛ダッシュで、両手でモーニングプレートを抱えたエリーゼが駆け寄ってくるところだった。
「おはよう、エリーゼ」
「おはようございます、アリシアさん、クロノさん、そしてお隣失礼します!!」
彼女に犬の尻尾が生えていたら、きっと千切れんばかりの勢いで振りまくっていたことだろう。そのぐらいの勢いで駆け寄ってきたエリーゼは一切迷うことなく、そこが自分の定位置であるかのように、アリシアの隣に座った。結果、アリシアはクロノとエリーゼに挟まれた形になった。
「昨日は試験からの打ち上げで疲れてたように見えたが…」
「すっかり元気になったようね」
「はい、お陰様で元気もりもりです!!」
エリーゼは命の恩人である二人に、特にアリシアに懐いていた。試験の時に見せた彼女の勇姿に見惚れ、憧れ、そして昨晩の打ち上げで会話した際、その人柄に絆され、すっかりこの通り。
アリシアの方も満更でも無いようで、むしろエリーゼ自身のことを気に入り、同時に気にかけている。彼女曰く『どこぞの名ばかり義弟よりよっぽど根性あるし、素直で裏表が無くて可愛い』とのこと。そして何より、エリーゼが義勇兵団に来た理由だ。
「ご両親に手紙、ちゃんと送れた?」
「はい、しっかり宛先も確認して、切手もちゃんと貼りました。担当の方によれば、明後日には届くらしいです」
「そう、良かったわね」
「はい!!」
貧困に追い詰められたエリーゼの家族は、彼女を売った。それでもエリーゼは家族のことが今も好きで、再び家族の元で暮らすことを望んでいる。だから買い手に『顔が気に入らない』と捨てられ路頭に迷った際、義勇兵団の存在を知った彼女はこの場所に来た。全ては一攫千金を狙い、大金を手にして故郷に帰り、また家族と一緒に暮らす日々を夢見て。
昨晩、その話を聞かされた同期一同は思わず泣いた。アリシアに至ってはエリーゼに対し、泣きながら謝り始めるものだから余計に場が混乱した。その時に持っていた有り金を全部エリーゼに渡そうともしていたが、多分クロノが止めなかったら本当に渡していたと思う。それぐらいアリシアもエリーゼのことを気に入った、というか放っておけなくなったということなのだろう。
しかし、その事を思い出すと、必然とエリーゼが家族の元に送った手紙のことも思い出す。自身の無事と近況を伝える文面に、微々たる額だか仕送りも付けたらしいが、そう言えば…
「ベンは手紙送ったのか?」
「うぐっ…」
ふとクロノが話を振ると、当の本人は呻きにも似た声を出した。その様子で全員察した、コイツ手紙どころか連絡の一つも出して無ぇ、と。
「エリーゼと違って、ベンは家族と喧嘩して家出してきたんだもんな。でも、流石に安否ぐらい知らせたらどうだ…?」
「う、うるせーやい。どうせ向こうだって、ろくでなしのドラ息子が消えて清々してらぁ」
リックの溜め息混じりの苦言に、ベンは開き直りとも取れる態度を取ると、突き刺さる四人分の視線から逃れるように、目の前の料理に意識を向けるとナイフとフォークを突き立て、一際ガチャガチャと音を出しながら料理を切り分けると乱暴に口に放り込んでいった。
彼、ベンは農家の生まれなのだが、実家を継ぐのが嫌で家族と喧嘩し、家出同然に故郷を飛び出して、畑仕事とは比べ物にならない刺激的な毎日を探し求めた結果、義勇兵団に来た。そして、現実を思い知って心が挫けそうになり、エリーゼの入団理由を聞いて、年下の少女と比べた時の自分の薄っぺらさに恥ずかしくなって再び心が挫けそうになった。
それでも彼は逃げることはせず、義勇兵団に残ることを選んだ。けれど、家族に手紙の一つ送る決意が出来ないでいた。
「だいたい俺はもう毎日毎日、土とキャベツ弄って一日が終わるような生活は嫌なんだよ。ここで成り上がって、いっぱい金稼いで、美味い飯と酒を楽しんで、美人な嫁さんを貰うんだい!!」
そこまで言ってふと黙り混み、手を止めて顔を上げ、視線をフォークを突き刺したソーセージからアリシアに移す。そして、少し何かを考え込むと、こう言った。
「そう言えば、アリシアって美人だよな。もうこの際だ、嫁さんはアリシアで良いや…」
ヒュン、カッ!!
「なん、て…」
ベンの言葉を中断させたのは、天井から降ってきて、彼の鼻先を掠めた何か。恐る恐る視線を下に向けると、皿の上のソーセージに突き刺さってるフォークが、二本に増えていた。
一本は、今まさに自分が手に持っている分。もう一本は、誰の手にも握られていない持ち主不明の謎フォーク。
しかし、誰のものなのかはすぐに分かった。持ち主が、不自然なくらいにニコニコしながら、ベンの肩にポンと手を置いた……クロノである…
「手が滑った、怪我は無いか?」
「え、あ、あぁ、うん大丈夫…」
どこか有無を言わせぬ迫力を持った笑みに、危ないなと文句を言うことすら出来ず、反射的にそう返すしかなかったベン。そして、クロノが何も無かったかのように、手を伸ばして自分のフォークを回収した直後、彼はベンにだけ聴こえる声量で、こう呟いた。
「妥協案で選ぶな」
地の底から聴こえてくるような低い声で言われ、ベンは顔色を青くして壊れた人形のようにコクコクと高速で何度も頷いた。
因みに幸か不幸か隣に座っていたリックは、ベンがアリシアに目を向けた瞬間、彼が何を言おうとしたのか察したクロノが自分のフォークを上に向けて、指だけで弾き飛ばすように投擲していた姿を、そして、そのフォークが落下して先述の軌道を辿っていった光景を、しっかりと目撃していた。
図らずも二人は、クロノにとっての地雷と、それを踏み抜いた時の代償を同時に理解した。
「あんなこと言ってますけど、アリシアさん的にベンはどんな感じですか?」
「ベンがどうなのか以前に、当分は結婚どころか婚約すら考えたくないのよね、嫌な記憶しかないから」
そしてアリシアのその言葉を聴いて、ベン以上に大きな溜め息を至極残念そうに漏らすクロノの姿も、リックはバッチリと目撃してしまうのだった。
北方義勇兵団本部
備考:拡張と増築を繰り返していたら、いつの間にか某夢の国…もとい、小さな街に匹敵する規模にまで巨大化した。本編中に登場した射撃場や兵舎、大食堂の他にも様々な施設があり、住み込み商人達の商店街や大浴場、魔導式温室農園とかも存在する。
片想い歴十年 (クロノ)
備考:あのバカ王子、やっぱ潰しとくべきだった…と、割と本気で思ってる。とは言え、夢が叶って楽しそうにしている彼女に水を差すような真似はしたくないし、昔と違って時間と機会は幾らでもある。彼女が冒険だけでなく、人生にも相棒を求めるようになるまでは、これまで通り根回しと下準備を進めつつ、少しずつ想いを伝え続けるまで。
高嶺の花歴十八年 (アリシア)
備考:例のバカ王子のせいで、結婚と婚約に夢を見れなくなった上、色恋沙汰に対しても興味が薄くなった。そもそも例の婚約のせいで初恋すら未経験で、『恋』の感情がどんなものなのか未だに良く分かっていない。
彼女の中で今のクロノは大切な幼馴染であり、誰よりも信頼している長年の相棒。ずっと一緒に居て欲しいと思っているのは確かだが、そこに男女の関係はまだ含まれていない。
でも最近、クロノの言動にドキドキすることが増えた。
本編にさらっと出た魔導製品や魔道具、魔弾に関する説明はまたいずれ…




