8.「こんな出会い方じゃなければ、きっと私はヒロインになれなかった――――」
誰にも見えない二人。
世界中でたった二人、お互いを見ることができる存在。
倉庫の周りを囲んでいた警察や自警団がいなくなって、この空間には二人しかいない。
戦いは終わった。世界は危機から救われた。
しかし、決戦が終わった後も人生は続く―――
「準稀さぁ……あんな盛大に告白してくれたけど、私の顔どんなだと思ってんの?」
後ろ姿のまま、鴎が言う。
彼女が自身の姿にコンプレックスを持っていることは分かっている。オレも今まで散々言ってきてしまった。「妹がかわいい」とか「男の性欲は視覚から生まれる」とか「ヘプタスロンでは菜々香の顔が好き」だとか。だが、
「顔なんかどうだってイイ! 顔が見えなくても、オマエと一緒に暮らした生活が教えてくれたんだ……恋愛経験のないオレでも分かったんだ。人を好きになるのに、見た目なんて関係がないって!」
だが、今のオレは気付いたんだ。
「美しいものにこそ価値がある」という外見至上主義から脱却したんだ! 人間の価値はっ、そんなものでは決められないっ!
「逆だよ、準稀。」
「なに?」
鴎は、後ろ姿のままオレを否定する。
「そんなことが言えるのは、私の顔を知らないからだよ。知らないから好き勝手に“都合良く”想像して創造できるんだよ。例えば私の“本来の顔”が、目が一つしかなかったり、口が耳まで裂けていたりしても、愛せるの? 思ってたのとちがう、ってならない?」
「……」
オレの中の、オレが想像していた一条鴎の顔―――
確かに、それがないワケじゃない。
「それってさ、“理想の女性”を押しつけられた妹ちゃんとか、“国民の理想”を演じ続けたなぎさちゃんと変わらないよね。見た目で女を選んでいるのと変わらないよね。」
「それは……」
だって、しょうがないじゃないか。
オレ達は顔を知らないまま出会ってしまったんだから。透明人間を好きになってしまったんだから。
「こんな出会い方、私もしたくなかった。最初から顔を見てもらっていたら、こんな思いはしなくて済んだんだよ。でも、」
「でも、こんな出会い方じゃなければ、きっと 私 は ヒ ロ イ ン に な れ な か っ た――――」
ライトノベルのヒロインは美少女じゃなくても成立するのか。
菱川渚や秋由汐乃ではなく、一条鴎がヒロインでいるためには「顔の見えない存在」である必要があったということなのか。
「準稀はさぁ、顔の悪い女に生まれちまった人生がどんなだか分かる?」
「それは……」
「鏡を見るたびに、現実を突きつけられるようでつらくなるんだよ。NRのキャラを鍛えてもSSRにはなれないみたいに、私みたいのが女のコらしく髪を伸ばしたり、かわいい服を着たりしても、ちっとも似合わないんだよ。ブスはブスなりに“みっともないブス”にはならないようにしようとか考えてさ、髪を短くしちゃって、男っぽい服を着ちゃって、どんどん女っぽさがなくなっていく。」
それは、まるで――――
“他人の理想”を実現するために、“自分の意志”を捨ててしまった秋由汐乃のように。
「マンガとかラノベのヒロインってみんなかわいいじゃん。少女マンガだと、“冴えない女のコ”とか“平凡な女のコ”とかが主人公になることも多いけどさ、それは設定だけで実際の絵はむっちゃかわいかったりするじゃん。全然共感できないんだよ、あんなの。」
かつて鴎が吐き捨てるように放った、「少女マンガなんて大嫌いだ」という言葉。
「人は見た目じゃないって描くために“冴えない女のコ”を主人公にしているのに、その主人公をかわいく描いているんじゃ、作者自身は“人は見た目だ”って思ってるってことじゃないの? 少なくとも読者は“見た目で人を選ぶ”って思っているから、かわいく描くんじゃないの?」
しかし、少女マンガの主人公やライトノベルのヒロインの見た目を悪く描いたとして、その本は手に取ってもらえるだろうか。たくさん並んでいる平積みの新刊の中から、敢えて「見た目が悪いヒロイン」の本を選ぶ人がいるだろうか。
「私は、それがずっとコンプレックスだった。あぁ、私の人生ってきっと主人公にもヒロインにもなれずに終わるんだろうなって……誰にも見向きもされずに、誰にも手に取られることなく、ひっそりと終わっていくんだろうなって。」
コンプレックスにまみれた彼女の人生。
「それが、」
「透明人間になった途端、そんなこと思わなくて済むようになったんだ。」
「人の目を気にしなくて良くなって、自分に自信が持てるようになって、ブスな私でも生きてイイんだって思えるようになったんだ。」
そう言えば、出会ったころのコイツからはそんなコンプレックスなんて感じなかった。自信に満ち溢れているヤツだと思っていた。外見至上主義の世界の輪から外れることで、ようやくコイツは“本来の自分”を手に入れることが出来たのか。
「私のせいでお母さんは入院するハメになったのにね……帰る家ももうなくなっちゃったのにね……それと引き換えに、私はこの1ヶ月、コンプレックスから解放されて生きることが出来たんだ。」
「これは、私がかわいく生まれなかったせいの、“呪い”なんだ―――」
「オレはちがうっ!」
黙っていられなかった。
この期に及んで世界を悲観しようとする鴎に、言わなくてはならない。オマエの価値も可能性も決してゼロじゃないって、言い続けなくちゃならない。ウソではなく、魂から出てくる言葉で。
「鴎! オマエがどんな顔をしていようと、最初から顔を知っていたとしても、オレはオマエを放っておかなかった! オレの物語のヒロインは、どうしたってオマエになるんだよ!」
だが、鴎は冷たく言い放った。
冷たく、低く、地を這うような声で。
「準稀は確かに、そうかもね。」
「でもね、私はね。ちがうんだ―――」
「私が最初に準稀に声をかけた理由、分かる?」
オレのことを前から知っていたのかと思っていた。
じゃなかったら、初対面の男の家になんてヒョイヒョイとついてこないだろうと思っていた。
「ただ、顔 が 好 み だ っ た。 それだけなんだ。」
――――――!
どうして彼女がヒョイヒョイとオレについてきたのかの理由。
そして、一条鴎が今も苦しんでいる理由。
「見た目」で人を選ぶ世の中を否定しつつ。
自分は「見た目」で選んでしまった――――
その矛盾こそが、真に彼女を苦しめているものだったんだ。
◇
後ろ姿のまま、彼女は言う。
「準稀……アンタまで透明になって、どうすんのさ。」
「二人で生きてゆけばイイ。」
「ムリだね。私一人ならともかく、アンタにはムリだ。クソマジメなアンタには、人のものを盗んでまで生きることは出来ない。逆に、それが出来るようになっちゃったら、正義感を捨てた秋由準稀なんて、もう準稀じゃないんだよ。」
そうかも知れない……
“普通の大人しい高校生”だった社中也が力を手に入れた途端に豹変してしまったように、オレ達も力を手に入れた途端に変わってしまうかも知れない。
「私は、そんな準稀は、見たくない。」
「準稀……アンタには将来がある。野球をやめたら空っぽだったなんて言っていたけどさ、」
「アンタの周りには人が集まってくる。汐乃ちゃんはもちろん、なぎさちゃんとか、クラスメイトのみんなとか、加鹿さんとか自警団の人達とか、刑事さん達もそうだよ。みんな、アンタを中心にして集まってくるんだよ。」
「その大切さにも気付かずに、こんなことするだなんて大馬鹿野郎だよ。鈍感、マヌケ、脳筋、突撃馬鹿。ホント馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。」
鴎の声は涙声になっていた。
いくら鈍感なオレでも、流石に気づく―――
「待ってくれっ! 鴎!!」
「だから、私は ア ン タ の こ と な ん か 大 キ ラ イ だ。」
鴎は泣いている。
オマエが泣くことがあったらイヤだと思ったから! オレは、オマエを救いたかったのに!
「二度と、会いたくない。」
「だから、秋由準稀。ア ン タ の こ と な ん て い ら な い。」
「“オマエにくれてやる”なんて言われても、突き返してやる。」
オレは駆け出していた。
後ろ姿の彼女に手を伸ばして、届くように。
「鴎! 鴎っ!!」
しかし、その瞬間。
彼女の姿は消えて、ついさっき鴎がいた場所には何もなくなっていた。音も、においも、体温も感じない。まるで、彼女の存在がこの世界から消えてしまったかのように。
「鴎! 返事を! 返事をしてくれ!!」
声だけでも聞こえればと思った。
再び姿が見えなくなっても、また昨日までの二人に戻れると思った。
「オレは、オマエのことがっ……オマエさえいれば、それだけでっ……」
だが、彼女は少しの音も残さずにこの場を去った。
オレは虚空を、暗闇を、何もない場所をひたすらつかむ。
一心不乱に、狂ったかのように、彼女を探して。彼女の音を、彼女のにおいを、彼女の体温を探して、あたり一面を探し続けた。だが、彼女の痕跡はどこにも残っていなかった。
5月30日 土ようび 夜10時
優しいウソを残して、一条鴎は姿を消した。




