【8】待ちぼうけ
駅前通りは相変わらず寂れるいっぽうで、閑散としたシャッターの並びだけが目立っている。
商店街を抜けて国道へ出る角地にあるマクドナルドに、かろうじで人が集まる。
夕方になると昔ながらの八百屋と魚屋がなんとか人混みを作るが、以前の活気には程遠いものだった。
午前11時半まで尚美はジャスコで待っていた。
西口の集合場所が間違いかもしれないから少しだけうろうろしたけれど、やっぱり西口だったりしてみんなと行き違いになると困るから、結局西口周辺で待った。
しかし、彼女たちは来なかった。
小さな不安は的中していた。
真穂は尚美をからかっただけなのだ。
適当なウソの約束に尚美が踊らされる姿を見て、または想像して楽しんでいたに違いない。
それを読み取れなかった自分が尚美は悔しかったけれど、真穂たちを恨む気持ちは何故か沸いてこない。
誰かの都合が悪くなってそのまま中止になったのかもしれない。
そんなはずは無いと自分を自嘲しながら、彼女は広大なショッピングモールを後にした。
尚美は自転車で駅前の商店街まで来ると、駐輪場に自転車を止めてぶらぶらと歩いた。
家に帰ったら母親が何かを悟って声をかけてくる。
それがたまらなく嫌だった。
心配する母の顔は見たくはない。
小学校の特別教室へ通う自分の姿を、母はいつも心配そうに見守っていた。
だから尚美は家では明るい少女を務めた。
それが幸いしたのか、彼女は小柄だけれど笑顔が似合う。
もちろん、朗らかな正確はやっぱり母親似なのだろうけれど。
小さな電気店のショウウインドウに飾られた大きな液晶テレビから、お昼の番組が流れていた。
全てはノイズとなって尚美の中耳には届く。
耳障りではないけれど、何処か虚しい音に感じるのは気持ちが萎えているせいなのだろうか。
どこか空虚な今は、それさえもただ右から左へ流れて消えて行く。
尚美は不意に振り返る。
――あの音。
やさしい音が聞こえた。
「週明けに、また来てみます」
「ああ、そうしてください。きっと入ってるから」
小さなペットショップの間口に、舘内圭吾が立っていた。
間口に鳥篭がいっぱい吊るして在る、昔ながらの小さなペットショップ。
彼は太ったおじさんの店員と何かを話していた。
話終わった圭吾は、道路に振り返ると尚美に視線を止めた。
しかし彼は視線を逸らすとそのまま歩き出して、立ち止まる尚美の前を素知らぬ顔で通り過ぎる。
いや、通り過ぎるところだった。
――覚えてないのかしら……。
声は出せない。
息が声帯を突くのを押さえ込む。
喉が震えた。
尚美は足を前に踏み出して圭吾に手を伸ばす。
「…………」
彼の着たフリースジャケットの肩口で、指先が空を切った。
「何?」
妙な気配に圭吾は立ち止まって
「ああ……また、おまえ」
相変わらずぶっきら棒な話し方。
それでもその声は優しい周波数となって、尚美の中耳に届く。
尚美は口だけを開いて話すマネをする。
「この前は、ありがとう」……声は出なかった。
少し引き攣った笑みを、圭吾に向ける。
彼は眉を潜めて、怪訝に尚美を見つめた。
黒い瞳の虹彩が、午後の陽に小さく揺れている。
「おまえ……もしかして話せないのか?」
尚美は苦笑いを浮かべて、つい『ごめんなさい』と手話がでる。
口は動いていた。
圭吾は自分の耳を指差して「耳か?」
彼の言葉に、尚美は頷いた。
彼女も自分の耳を指差して、再び『ごめんなさい』と手話が出る。
しまったと思って、手を慌てて引っ込めた。
頭上の陽射しが一瞬雲で隠れると、二人の上に大きな影が落ちる。
『いいさ、俺にはわかる』
圭吾の手が動いた。
尚美は一瞬退くほどに驚いて、視線を彼の手に止めた。
彼の手が、確かに話しかけてきた。
『手話が?』
尚美は恐る恐る返す。
意図的に少しゆっくりと、手のひらを動かす。
『普通でいいよ』「普通でいいぜ」
圭吾は手話と同時に声を出した。
やさしい音と会話した気がした。
少しゴツゴツして逞しく、しかししなやかな手のひらと指先は彼の奏でる音と同じく、やさしい動きで彼女に話しかける。
間違いなかった。
不登校の転校生――上級生と掴み合って喧嘩をする、茶髪のぶっきら棒な舘内圭吾。
彼は手話が話せるのだ。
雲のかかった太陽が顔を出して二人を照らした。
暖かな春の日差しがほんのりと桜の甘い香りを含んでいたのは、きっと気のせいかもしれないけれど。