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【7】誘い

「圭ちゃん、今日は学校へ行ったの?」

 ドアの外から、遠慮気味な声が聞こえる。

 圭吾は人気バンドのDVDが流れる液晶テレビを観ながら

「ああ」と短く応える。

「うそ。行ってないんでしょ? さっき、担任の七瀬先生から電話があったのよ」

「知ってるなら、いちいち訊くなよ」

 ドアに向って圭吾は怒鳴る。

 どこかよそよそしく、やっぱり遠慮気味に。

「どうして行かないの?」

「べつに」

 その応えは、本心だった。

 彼にとって学校は行きたいと思うものではなく、ましてや行かなければイケナイ場所とも思っていない。

 圭吾の父親は最近地方へ進出している生命保険会社の店舗開発部長だった。

 部長といっても名ばかりで、あちこちへオフィスを構える度にその立ち上げ係として軌道に乗るまで都合よく使われ、また新しい出店先へ出向く。

 今までは関東が主な展開だった会社は、本格的に地方進出へ乗り出した。

 立派な家は、建売物件を会社が買い取り彼に与えた物で、圭吾の父親の所有になったわけでもない。

 あたかも栄転にカモフラージュする為の、ささやかな景品に過ぎないのだ。

 圭吾は小学校の頃からあちこちの学校を転々としている為、親しい友人など出来なかった。

 今回は中学に入る手続きが済んだ後に転勤が決まった。

 父親は先に転勤を済ませて、母親と彼は小学校の卒業と同時にこの地へやって来た。

 感動とか歓喜とか、そんなものは一切ない。

 卒業した小学校だって、6年生の夏休み前から8ヶ月通っただけだ。

 行きそびれた中学にも、なんの未練も無い。



「今日も、お父さんは帰りが遅いらしいわ」

 遠慮気味に母親がそう言いながら、圭吾のご飯をよそってテーブルに置く。

 天井の嵌め込み照明と間接照明が照らす食卓はやけに明るい。

 この二人の食卓には似合わないほどに。

 彼女は後妻で、圭吾の生みの親ではない。

 本当の母親は圭吾が小学校4年生の時に、耳の不自由な妹を連れて出て行った。

 転校が多かった圭吾は、妹と仲が良かった。

 学校へ行けない妹は何時も家にいた。

 時折ろう学校へ行って手話や言葉の発音を勉強していたが、父親の転勤先によってはろう学校が近くに無い場合もある。

 母親はその事を何時も気に病んでいた。


 圭吾は学校から帰ると、いつも妹の面倒を見ていた。

 それなのに、妹を失った彼は本当の独りぼっちになったような気がした。

 それは母親を失うよりも辛いことだった。

 何が原因で母親が去ったのか……どうして妹だけを連れていったのか、小学生の圭吾には解らない。

 父親とは会話は少なかったから、あるいは夫婦仲が上手く行っていなかったのかもしれない。

 もしかしたら障害を持つ妹を、父親は面倒な子供だと思っていたのかもしれない。

 その事について、圭吾は父に尋ねた事はない。

 それでもその時から彼の心の中には、常に黒いわだかまりのもやが蔭りを作っている。

 それは親を信用せず、大人を信用しない。

 いや、誰も信用しないという真稔にも似た誓いでもある。

 心の傷を埋める為の、ねじれた悲しい誓いだった。

 

「その髪、やっぱり黒くした方がいいんじゃないかしら……」

 義母ははは何時も遠慮がちな眼差しで圭吾を見つめる。

 圭吾はその眼差しに苛立つのだ。

 一生懸命母親を演じているのは解る。

 でも、彼にとって彼女は女性であるだけで、母親ではないのだ。

 食事を作り、住まいの掃除をする女性だ。

「べつに、他にもいるよ」

「そうなの?」

 確かに、上級生には茶髪の生徒もいる。

 圭吾は夕食を食べ終わると、黙ってダイニングを出る。

 何かモノ言いたげに、母親の香奈子は彼の背中を見つめる。

 何時もの事だ。

 この家に「いただきます」や「ごちそうさま」は存在しない。

 そして、夕食時の笑い声もその後の団欒も……。



 ◆ ◆ ◆



 春色の風は相変わらず強く吹いていた。

 蒼く輝くような空には、陽射しに照らされたガラス細工のような雲がゆっくりとクルージングしている。

 クラスの雰囲気は微妙だった。

 恐る恐る尚美の近くに来てはただ通り過ぎる娘もいれば、完全に遠巻きでチラチラ盗み見る娘もいる。

 男子はあまり関心がないようで、別段嫌な視線をくべる者はいない。

 ただ、特に話しかける者もいなかった。

 眼中に無い……尚美はその意味をしみじみと感じる。

 友恵は頻繁に話しかけてくれるが、川本真穂に呼ばれると直ぐにそちらへ行ってしまう。

 真穂はまるで、尚美に唇を読まれまいとしているように彼女に背を向けてみんなと会話する。

 彼女の身体が死角を作り、他の娘の口もよく見えない事も多い。

 友恵に聞いたのか、もしくは他のルートで尚美が他人の言葉を理解する理由を情報収集したのかもしれない。

 友恵が目の前からいなくなると、尚美は独りだった。

 カバンから小説の文庫本を取り出して静かに読み始める。

 活字の中に没頭すれば、退屈な休み時間はあっという間に過ぎていった。


 新学期が始まって一週間が経っても、舘内圭吾は学校へ来なかった。

 担任教師も何度か彼の自宅へ行ってみたらしいが、本人は不在だった。





「ねぇ、明日の土曜日買い物行かない?」

 金曜日の昼休みに声をかけてきたのは、川田真穂の方だった。

 一瞬躊躇と警戒の念が過る。

 が、「いいよ」と言う代わりに、尚美は笑顔で頷いた。

「洋服とか好き?」

 真穂は尚美の前の席に腰を下ろすと、黒々とした瞳を細めて笑う。

 それは親しげにも、怪しげにもとれる眼差しだった。

「あたし洋服買うの好き。雑貨屋さんとか見るのも好きでさ」

 ――やはり彼女は唇を読まれることを知っている。

 尚美も頷いた。

 もちろん、誰かと一緒にそういった店をぶらついた事はないけれど。

「友ちゃんとか、裕子も行くって」

 尚美を安心させるかのように、真穂は笑顔で言った。

 瞳の奥で、鉛のような深みの在る光が揺れていた。



「あら、朝からお出かけ?」

 キッチンへ下りて朝食のパンを口へ運ぶ尚美に、母親が話しかける。

『友達と買い物』

 口いっぱいに頬張っている最中でも平気で話せる手話は、こういう時便利だ。

「へえ、友達できたのね」

『とりあえずね』

 尚美は少し曖昧に笑う。

 友恵は友達かもしれないが、他の……特に真穂に対してはそうは思わない。

 今日の彼女の魂胆も、イマひとつ判らないでいる。

 どうして自分を誘ったのか……もしかして、友恵に何かを聞いて気持ちが変わったのかもしれない。

 普通にコミュニケーションを取れると知れば、案外気さくに接する娘なのかもしれない。

 出来るだけ良い方へ考えを巡らせて、ミルクのいっぱい入ったコーヒーを飲み干した。


 尚美はショートパンツの下にカラータイツを履き、白いパーカーを羽織って出かける。

 自転車で行けて沢山お店が見れる場所と言えば、この界隈ではジャスコしかない。

 昨年運河の向こうにできたイオンスーパーとジャスコが合体した大型ショッピングモールは、駅周辺の商店街をすっかり寂れさせてしまった。

 待ち合わせは10時半だった。

 尚美は10分前に集合場所である西側の出入口に着いていた。

 土曜日のせいか、開店時間直後から人の波は途絶えない。

 ――どこからこんなにいっぱい人が来るんだろう……

 ちょっと不思議に思う。

 しかしロードサイド型のショッピングモールは、隣町を含め周囲20キロ圏内は商圏に入っているのだろう。

 尚美はぼんやりと人の波を眺め、そして大型駐車場に忙しなく入って来る車の列を眺めた。

 入り口近くの街路灯に陽射しが白く反射して、少しだけ目を細める。

 自動ドアが開閉するたびに、甘い香りの風が身体をくすぐった。





お読みいただき有難うございます。

全体の構成からいくと、まだまだ序盤です。

時間の都合で少しだけ更新ペースが落ちますが、できるだけ早い更新を心がけております。

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