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【5】雑音の群れ

「ここ?」

 二人が足を止めると、友恵が言った。

 通学路の国道を横切って運河の橋を渡る。

 左へ行くと河口に開けた昔からの住宅街が広がって、右へ曲がると新しい住宅街へ入る。

 そこを抜けると新開拓地であるロードサイド型の大型店舗が立ち並ぶような、ここ数年で発展した土地だ。

 尚美が小学校へ入ったばかりの頃は、このあたりは全て畑か空き地だった記憶がある。

 橋を渡って真っ直ぐ抜けると最寄駅に着くが、周辺の商店街は閉めきったシャッターばかりが目立つ。

 住宅街の路地を一本入った角地に、真新しい蒼い屋根の白い家があった。

 庭を囲う格子には、いばらが絡みついて周囲を敬遠しているようにも見える。

 友恵が門扉の横に付いているインターホンのボタンを押した。

 まったく躊躇がないのは、彼女の性格なのだろうか。

 インターホンのスピーカーからチャイムの音がゆっくりと3回流れる。

 しかし、応答する気配は無かった。

「留守かな?」

 友恵が振り返った。

 尚美が相手の唇を読むと知ってからの彼女は、終始尚美に顔を向けてから喋る。

「うん……」

 尚美が曖昧に頷くと、友恵は門扉に手をかけた。

「入ってみる?」

「うん……」

 この時も、友恵はまったく躊躇することなく白い門扉を開けた。

「誰だ?」

 その声は、二人の背後から聞こえた。

 ほぼ同時に、尚美と友恵は振り返る。

 そこに立っていたのは、今朝、上級生ともみ合っていた茶髪の少年だった。

 路地の日陰で見た時よりも、彼の髪の毛はだいぶ明るい茶色に見える。

 ボウス頭が伸びたような少しボサボサで短い前髪はオデコを少しだけ隠していた。

「あの……」

 友恵もさすがに言葉が詰った。

 彼の今朝の乱闘振りを思い出すと、どれだけ乱暴者なのかと逡巡してしまう。

 尚美は紙に書いた転校生の名前を、友恵に見せる。

 目で合図する尚美に促されて、友恵は小さく息を飲んでから

「こちら、舘内圭吾くんの御宅ですよね」

 メモの名前を見た彼女が、棒読みに言う。

「圭吾はオレだけど」

 少年の喋りはぶっきら棒だった。

 細い眉が少し動いて、眉間に浅いシワがよる。

 二重だけど、どこか涼しい切れ長の目はチラチラと二人を見比べている。

 上級生に囲まれていた彼は小柄に見えたが、近くで見ると尚美や友恵よりも明らかに背は高い。

 圭吾はハッと眉間のシワをとくと

「あぁ、もしかして学校の?」

「ええ……はい。私たち南陽中学の者です。こんど同じクラスになるはすで……」

 この地域は陽とか鳳とかを付けた地名や学校名が多い。

「それで、なんの用?」

「今日から学校に来る予定なのに、どうして来ないのかなって……」

 友恵は担任教師に頼まれた事を、尚美の代わりに説明した。

「気が向いたら、明日行くよ」

 圭吾は二人の間を割るようにして通り抜けると、半分開いた門扉を開けた。

「あの……気が向いたらって?」

 友恵の問いに圭吾は歩きながら

「気が向いたらって言ったら、気が向いたら。先生によろしく言っといて」

 そのまま彼は玄関の扉の中に消えた。



「何あれ? ツッパリとかってやつ? 学ラン短かったよね。今時流行んなくない?」

 友恵が言った。

 二人は仕方なく圭吾の家を後にする。

「なんか、クラスで浮きそうだね。あの錆アタマ」

「……」

 尚美は黙って笑顔を見せる。

 少し困惑し、少し遠慮がちな笑みを、ただ相づちを打つたびに友恵に送った。

 クラスで浮いた存在が自分だけではなくなる。

 何処かで同類意識を感じる。

 でもそれは、彼を自分と照らし合わせる事で、充分に身につまされた。

 だから友恵の彼を非難する言葉にも、素直に同意できない。

 話題は何時の間にかテレビや洋服の話しに変わって尚美はホッとした。

 といっても、相変わらず尚美は聞き役で時折頷きを繰り返す。

 何となく友恵とのコミュニケーションはそれで充分に感じた。

 国道まで戻ると、二人は手を振って別れる。

 尚美にとって、学校帰りに誰かに向って手を振るのは初めての事だった。

 離れてゆく友恵に手を振るだけで気持ちは高揚し、明日からの学校が少しだけ楽しみになった。



 家に帰ると、尚美は母親に買い物を頼まれた。

 着替えを済ませると、自転車に乗って家を出る。

 国道を越えて、再び橋を渡って新しいバイパス通りにできたイオンスーパーに向った。

 何台並ぶのか想像がつかないような大型駐車場を自転車で横切る。

 耳の不自由な尚美にとって、実は自転車はかなり危険な乗り物だ。

 周囲の音を聞き分けられないと、危険を察知して回避行動が取れない。

 だから彼女は、普通の人よりも先を、周囲を覗う事を忘れない。

 小さい頃から父親、母親に何度も注意されて習慣ついたものだった。

 駐輪場に自転車を置くと、尚美は歩道に沿って歩いた。

 前方に高校生くらいの男女の集団がいる。

 尚美の耳には複数の雑音が聞こえていた。

 彼女は後から集団の様子を覗いながら歩く。

 5、6人の集団は大きな口を開けて笑ったり叩き合ったりして歩道いっぱいに広がってじゃれ合っていた。

「ふざけんなよ」

「バカじゃん?」

「ヤダ、オサム超笑えるぅ」

 ダラダラと左右に広がる集団は、尚美の行き先をふさいでいた。

 早く買い物を済ませたい気持ちが、彼女を急かす。

 尚美は車道との境目ギリギリに、彼らを追い越そうとした。

 控えめに暮らしてきた彼女に、集団の真っ只中を抜ける勇気はない。

 男女の集団は、不必要な大声で叫ぶように会話と笑いを繰り返す。

 それは、周囲の雑音を巻き込んでざらついたノイズとなり、尚美の中耳に響くのだ。

 後からワゴン車が近づいていた。

 尚美の耳には大きなノイズの和音が聞こえて、その音の方角を聞き分ける事はできない。

 前方の集団が発する大きな雑音に、車の走るノイズは完全にかき消されていた。

 彼女は集団を追い越そうと歩道の端に寄った。

 集団の外れにいた長髪の男が、何かを叫んで笑いながら尚美の身体にぶつかった。

 尚美は咄嗟に歩道からはみ出る形で車道によろける。

 後方から来たワゴン車は彼女の直ぐ後ろに迫っていた。

 しかし尚美はそれに気付く事は無い。

 彼女にぶつかった男は尚美を振り返りもせずにダラダラと歩き続け、仲間の集団も何事も無いように相変わらず不快なノイズを発していた。

 尚美は車道に半身を置いたまま集団を見つめ、そのまま歩き出す。

 後から来たワゴン車はまだヘッドライトを燈してはいなかった。

 車のノイズが騒ぎ立てる集団にかき消されても、ヘッドライトの明かりがあれば尚美も自ら気付いたはずだ。

 しかし、彼女の視界に車の影は入らない。

 集団のノイズが耳障りだった。

 そのせいで、尚美は何時もの注意力を無くしていた。

 尚美の身体が、車道に大きくはみ出ようとする。

 車道を歩くつもりは無いが、歩道に戻る気持ちが多少なりとも失せたのだろう。

 後方のワゴン車との距離は1メートルを切っていた。

 ワゴン車を運転している若者はカーオーディオの操作に夢中で、車道の隅にいる人影には気付かない。

 夕暮れの陽射しに伸びた尚美の影が、ワゴン車に触れた。

 刹那、彼女は誰かに腕を掴まれて引っ張られる。

「危ねぇぞ」

 咄嗟に振り返った尚美の直ぐ後ろを、黒いワゴン車がゴッと音を立てて通過した。

 彼女は自分の腕を掴んで引き寄せた相手を、息を飲みながら見上げた。






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