【58】兄妹
だいぶ日数が開いてしまい、申し訳御座いません。
書いたものを推敲して修正しないと、どうしてもUPする勇気がでないのです。
一時的に、少しスローペースですが、宜しくお願いいたします。
「サンキュウな」
彼はトイザらスの出口で再び僕に言った。
「あ、ああ。咄嗟の事だったから、別にいいよ」
僕は救護室へは行かずに、少女とその兄と一緒に店を出た。
黒縁のメガネをかけた店長と売り場にいた女性店員が何度も頭を下げたけれど、怪我はないし足止めを喰うのもなんだか嫌だった。
手に握られたエルモの人形は、お詫びのつもりなのかタダで貰った。
僕は店を出た所でその人形を妹の方に差し出す。
彼女は笑みを浮かべ、細く澄んだ瞳で僕を見上げた。
茶髪の兄が、彼女の肩を軽く叩いて振り向かせると、両手で何かを伝えた。
妹は僕に向き直り
「あ・り・が・とう」
ぎこちなくて、途切れた抑揚の声……節々が潰れたような発音。
それが何を意味しているのか、僕は直ぐに解った。
切なくて、でも優しい気持ちになる。
「わるいな、これでも精一杯なんだ」
兄が彼女の後ろから言う。
「いや……どういたしまして」
僕の声はきっと聴こえない。
彼女には聴こえないだろう。
僕たちの横を、小さな娘を連れた親子が通り過ぎてゆく。
彼と少しだけ話しをした。
聴覚に障害を持つ妹も一緒に。
ちょうど僕と同い年の彼自身は東京に住んでおり、妹に逢うため少しの間この町へ来ているらしい。
あか抜けた表情で笑う彼の名前を、僕は訊いておくべきだったんだ。
「手話、上手いんだな」
「妹とのコミュニケーションだから」
僕たちは外に設置された蒼いベンチへ腰を下ろして、缶ジュースを飲む。
「実は俺、手話を勉強してるんだ」
どうして彼にそんな事を言ったのだろう。
きっと僕の気持ちの欠片ひとつ、彼には解ってもらえるような気がしたのかもしれない。
遠くの雲をぬう様に西日が降り注いで、彼の茶色の髪を鮮やかに照らし出す。
「そう……上手くなった?」
「まだ使った事なくてさ」
彼は、旻天を見上げて缶ジュースを口に着ける妹の肩をそっと叩く。
「話しかけてみなよ」
実験台のようで申し訳ない。
「助けてもらったお礼さ」
彼は妹に小さな手話で伝える『彼が、話してみたいって』
妹は小さく何度も頷いて、僕に視線を向けた。
ひと懐っこい、丸々としたキレイな瞳だ。
その瞳はキラキラと好奇に満ちて輝いている。それとも西日のせいだろうか。
僕は両手をそっと動かした。
『名前は?』
『ミカ』
『いくつ?』
『もう直ぐ、15』
僕と妹の会話に、彼はクスクスと声を立てる。
「なんだよ」
「だって、片言すぎねぇ? まるで中学で習う英語の教科書のような会話だよ」
「仕方ないだろ。初心者だ」
彼は頭をクシャクシャとかき上げて
「わりい、そうだな」
切れ長の一重の目は、笑うと人懐っこく緩い弧を描く。
「でも、ちゃんと伝わるだろ?」
「ああ、意外と伝わるな」
「耳の聴こえない連中は、相手から他の何かも一緒に感じ取って会話をするんだ」
彼は妹と僕を交互に見る。
「何かって?」僕は、『何か』が知りたかった。
「それは俺にもわかんねぇ」
再び彼は目を細めた。
西陽が彼の瞳の中ではじける。
「じゃぁ」と別れる間際、彼は少しだけ躊躇して僕を呼び止めた。
「隣町から来たって言ったよね」
「ああ」
僕は返そうとした踵を戻す。
「もし……」
彼は言葉を飲み込む。
「もし?」
「もしも、耳の聴こえない娘で……」
彼は再び髪の毛をクシャクシャとかきむしる。
「いや……やっぱいいや。なんでもない」
吐き出しかけた言葉を、彼はバラバラに崩す。
それでも何かを僕に伝たがっていた。
「何? なんだよ」
「いや……以前親しかった娘が、隣の町に住んでるかも」
「耳が不自由なのか?」
「ああ……でも、強い娘なんだ」
「名前は? なんて娘?」
「うん……やっぱいい」
彼はやけに吹っ切れた表情で言った。
何処かで暮らすその娘を、彼は探しているのだろうか――いや、きっと心のどこかでずっと見守っているんだ。
「そう……じゃぁ」
深く追求する気はなかった。
いくらなんでも、その人に出会う確立が低すぎる。
僕は再び踵を返して、バイクのカギをポケットから抜き出した。
「なぁ」
後ろから彼が呼んだ。
「優しい声は、届くらしいぜ」
意味深に微笑んだ彼は、妹を促して国道の歩道へ向って歩き出した。