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【55】陽だまりの娘

実は、今回より実質上の【第三章】に入ります。

そして、これが最終章です。

 僕が彼女に出逢ったのは高校3年の初夏、夏雲が青空にせり出す頃だった。

 僕は高3の春から、河沿いから国道へ出る角に在って地元ではちょっと有名な進学塾に通っていた。

 何度か塾の入り口で会い、何度目かに思わず首だけの会釈を送ったら彼女も小さくはにかんで会釈を返してくれた。

 ただそれだけなのに、何故か僕は心の隅に小さな火種を感じたのだ。

 それは真冬の暖炉の前で感じるような、あるいは春の肌寒い中で見つけた陽だまりのような穂のかで優しい温かみだったと思う。



「お前、紫里ちゃんに手話教えてくれるよう頼んでくれよ」

 僕は教室の隅で、友人のとおるに声をかけた。

 彼女が春先から付き合っているカノジョは好聖館学園高校の生徒で、確か手話が出来ると聞いていた。

「できねぇ」

「お前ら付き合ってんだろ?」

「付き合ってねぇよ」

「別れたのか?」

「違う。初めか付き合ってねぇんだよ」

 とおるは自嘲するように強い口調で言うと、悔しそうに笑う。

「どういう事だよ」

「どうでもいいさ。俺たちは付き合っていない。ただ、それだけさ」

 彼は自分の話しを避けるように

「ていうか、何で手話なんだよ」

「実はゼミで仲良くなった娘がちょっとな」

 僕は鼻の頭を指でかいた。

 仲良くなって――それはウソだ。

 まだ会話を交わしたことも無い。

 それ以前に、彼女とどうやって会話を交わせばいいのか困惑している最中だった。



 初めて彼女に気付いたのは1ヶ月も前の事で、かなり控えめに振舞う姿が逆に僕の目を惹いた。

 清楚な黒髪のお下げと衿にノリの効いたブラウスは、いかにも好聖館の生徒らしい身なりだった。

 彼女は、まるでウサギか何か小動物のように周囲から目立たぬよう、あえて存在を消しているようにも見えた。

 以前付き合っていた娘はやたらと今時で派手な娘だった。

 一緒にいて楽しいし、何時も華やいだような喧騒に満ちていたが、その娘の遊び癖は留まりを知らず、他の男まで手を伸ばしていた。

 そんな彼女に見切りをつけたのは、まだ桜が咲き始めたばかりの頃だったが、とにかく僕は、お下げの控えめな彼女が気になって仕方がなかった。


 そんな時、同じ学校の娘たちと僅かに会話をしているのを見たんだ。

 いや、あれは会話と呼べるのだろうか?

 常に聞き耳を立てる僕に、彼女の声は何時まで経っても認識できなかった。

 彼女達は微かなジェスチャーで何かを伝え合っていた。

 お下げの娘は相手の話しを聞く時、懸命に顔の一部に視線を固定する。

 相手の唇を一心に見つめるのだ。

 その仕草で僕は気付いた――彼女は耳が聞こえないのだと。

 明らかに彼女は話しを聞くのではなく、読み取っている。

 友人が行ったジェスチャーは、僅かな手話ではないのだろうか。

 声を聞いたことが無いのは、きっとそれが要因なのだ。

 

「なんだよ、ちょっとって?」

 哲は怪訝そうに訊き返す。

「ちょっとはちょっとさ」

「幸彦は気が多いからな」彼はそう言って皮肉めいた笑いを浮かべる。

 僕はそれ以上何も言わなかった。

 今の哲は、こういう相談には向いていない状況らしい。


 彼女は耳が不自由だ――どれほど聴こえるのか判らない。

 人伝にやっと得た情報では、微かな音以外は聴こえないという。

 そもそもそんな娘と会話なんて交わせるのだろうか……?

 コミュニケーションをとる事ができるか?

 行き着いたのは、手話だった。

 彼女が同じ学校の娘と僅かに手話を交えて、コミュニケーションをとっているのを見た。

 自分もそれを覚えて、さり気なく話しかけよう。そう思って友人の伝を頼ったのだけれど、彼は彼で何か複雑な事情が在るようだ。


「俺、ちょっと腹減った。幸彦も行くか?」

 哲はそう言って売店へ行こうと僕を誘う。

「いや、俺はいいよ」

 僕は教室を出てゆく哲の背中を見つめた後、財布を取り出して中身を確認した。





 僕は何時も、塾の手前で時間を見計らい入り口へ向う。

 彼女が来る時間に、自分も入り口へ向う為だ。

 同学年の進学コース――――好聖館高校のお下げの娘。しかし彼女は、聴覚に障害を持っている。

 どうやって声をかけようか、僕はそればかり考えていた。

 夏休みには大学受験の為の夏期講習がある。

 普段、塾は火曜日と金曜日の週に2回。

 臨時の模擬試験がある場合もあるが、それさえも僕は時折サボっていた。

 しかし、ここ一月は一度もサボってはいない。

 全ては彼女の姿を見るため。

 未だに声は掛けられないけれど、その姿をひと目見るだけで熱い太陽に照らされたように心は躍る。

 入り口で顔を合わせると彼女は、遠慮気味でいささか曖昧だけれど、必ず小さな会釈と笑顔をくれる。

 それだけでも胸の奥から暖かな何かが湧き出るのだ。

 それは日を追うごとに、彼女と会うたびに大きさを増して僕の心の中を満たしてゆく。

 それまで何処か空虚でいい加減に過ごしていた日常が、その笑顔ひとつで充実してゆくのが解る。


 クラスが違うから、行きと帰りと僅かな休憩時間にしか目に留める事は出来ないのに、その僅かな時間が僕の全てのような気がした。

 夏期講習は5日間連日で行われる。それは5日間、彼女の姿を見る事ができるという事だ。

 何処かでコミュニケーションのキッカケを掴んで、心を打ち溶け合おう――そんな目論見は、哲に頼れなくなった事で見事に瓦解したかに思えた。

 それでもやっぱり彼女に近づきたい。

 彼女は僕にとって、陽だまりの娘なのだ……。

 なんとか自力で手話を覚えられるだろうか?

 僕は彼女に少しでも近づきたくて、学校の帰り道、独り大型書店へと足を運んだ。






お読み頂き有難う御座います。

混乱しないで下さい(^^;

ちゃんと軸は合っています…。

どうか最後まで、宜しくお願いいたします。

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