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【54】静寂と靴音

 8月にの初めには登校日がある。

 夏休み中の生徒が何事も無く無事に過ごしているかの確認の意味があるらしい。

 長期の休みになると髪を染めたりピアスをあけたりする生徒もいるから、そう言った校則違反のチェックの目的もあるのだろう。

 朝礼では舘内圭吾の名前が静かに呼ばれた。

 続いて武山。

 ふたりは溺れかけた釣り人の老人を助けた事で、表彰された。

 と言っても、小さな賞状と鉛筆1ダースを貰っただけで、武山はとりわけ「現金で誠意を見せろ」とぼやいていた。


 海へ飛び込んだ圭吾は、老人を掴んでテトラポットをよじ登ろうとした。

 武山はギリギリまでテトラ伝いに降りて、引き上げようとしたがなかなか旨く行かなかった。

 そのうちに海岸にいた数人が気付いて防波堤を走って来た。

 無事に釣り人の老人は救出され、圭吾も引き上げられた。

 ずぶ濡れの彼に、尚美はしがみ付いた。

 ――失うかと思った。彼が消えてしまうかと思った。

 その思いが溢れて、彼女の瞳を濡らした。

 圭吾はヤッパリ少しぶっきら棒に尚美の肩に手を当てると

「俺、泳ぎには自信あるからさ」


 朝礼で表彰を受けた圭吾と武山だったが、放課後は尚美と友恵と共に職員室へ呼ばれた。

 必然的に中学生だけで海に行ったこともばれて、4人は生徒指導と担任の二人に説教を受けた。

 しかも、圭吾にいたっては人助けの為とはいえ、服を着たまま海に飛び込んだ事は褒められた行為では無い。二次災害に発展した可能性がある。とまで言われた。

 尚美は初めて教師に対し理不尽さを感じ、少しだけふくれっ面を消す事ができなかった。





 職員室を出ると、武山は部活のバスケに直行し、友恵はその練習を見学に行った。

 尚美はふたりに手を振ると、圭吾と昇降口へ向う。

 途中の正面玄関は来客と職員用のもので、生徒が利用する事はめったに無かった。

 南向きの正面玄関の大窓から強い陽射しが注がれて、廊下のタイルが艶やかに白く波打つ。

 そこに黒い影が二つ見えて、通り過ぎるはずの場所で尚美も圭吾も脚を止めた。

「あたし、転校決まったからさ」

 陽射しがコントラストを強くして、陰になる彼女の唇は少し読み難かった。

 少し高い通る声は、圭吾の耳にだけ聴こえた。

「身体、大丈夫、なの?」

 尚美は目の前に佇む真穂に向って言った。

 夜気のように静寂した廊下に、途切れた声が響く。

 真穂は六月の中旬、尚美の前で倒れた日から学校を休んでいた。

 病院へ入って、クスリ漬の身体を治療しているという噂は聞いていた。

 真穂の身体は相変わらず折れそうに細かったが、頬は少しふっくらとして健康そうな白色に陽射しを受けていた。

 真穂は小さく頷くと「まあね」

 圭吾と尚美の姿を交互に見つめた。

 彼女の視線が圭吾に注がれると、何故か尚美は気恥ずかしさに駆られる。

 真夏の陽光は、外に立つ母親を白く浮き上がらせていた。

 尚美の視線が彼女を捕らえると、真穂の母親は小さな会釈をくれた。

 尚美も慌てて頭を下げる。

 真穂はチラリと後ろを見て、再び尚美を見た。

 以前の凛々しい視線だ。その虹彩の中に、闇は見えなかった。

「じゃぁ、元気でね……ナオ」

 真穂はそう言ってクルリと踵を返すと、先に玄関を出ていた母親の元へ去って行った。

 長い黒髪が風にそよいで揺れるのを、尚美は圭吾と並んで見送った。

「あいつ、顔色よくなってたな」

「うん……」

 圭吾は、どうして彼女が転校するのか、入院していたのは本当だったのか。なんて質問はしなかった。

 ただ彼女の、以前よりはずっと少女らしい笑みを見ていた。

 尚美も転校の理由は訊かなかった。

 1年の時だって親しかった訳ではない。むしろ皮肉を含んだ言葉を何度も浴びせられ困惑の根源となっていた。

 それでも何となく、何故だか解らないけれど寂しさが心の真ん中を過った。

 彼女の冷たい涙を思い出して、あんな涙はもう流して欲しくないと思った。

 溢れる光の中にふたりの姿が消えるのを確認してから、尚美と圭吾は再び歩き出した。

 尚美は歩き出して直ぐに、圭吾の腕を突く。

『ねぇ、チョビに逢いたいな』

『夏はヒィヒィしてるぞ』

『なんで?』

『ライオンラビットは暑さに弱いのさ』

『でも、ウサギってヒィヒィ言うの?』

『例えだよ……』

 ふたりの音の無い会話が、靴音だけの廊下を満たしていた。








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