【52】汐風
踏み切りを渡って駅の反対側へ行くと、古い住宅街が並んでいる。
家並みを突っ切って県道を渡ると、河口付近に50年以上の歴史在る造船所が見える。
何故か寂れた場所に建てられた真新しい文化会館を横目に再び低い家並みを抜けると、海岸線に沿って走る大通りへ交差する。
長く続く防波堤の向こうから、波の音が聞こえていた。
もちろん、尚美にはただのノイズにしか聞こえないのだけれど……。
工業港の海岸線には釣り人や、犬の散歩に来た若い夫婦、大人のカップルなど様々な姿があった。
「お前重いから、俺不利だよな」
防波堤沿いの駐車場に着いた時、友恵を後ろに乗せて来た武山が言った。
「うるさいなぁ、もう」
友恵ははしゃぐように彼の背中を叩くと、アスファルトに足を着いた。
「舘内はラクでいいよな」
尚美の細い脚を見つめて言う。
友恵は「まだ言うか」と言って、再び武山の背中を叩いた。
尚美が降りると、圭吾は自転車を隅に寄せる。
海風は思いの外熱くて、四人の髪を揺らした。
カラフルな落書きでいっぱいの防波堤を越えると、奥行きのない砂浜が細長く横に続いている。
片方は港の岸壁につながり、もう一方は縦にせり出した堤防に遮られる。
くの字にせり出した堤防は、湾を囲むようにくの字に曲がっていて先端には小さな灯台らしきものが建っている。
「なぁ、舘内は何時から織堂と親しいの?」
友恵と尚美がカモメの群れに近寄って行ったのを見て、武山が圭吾に耳打ちする。
友恵に持つように言われたジュースの入ったコンビ二袋を片手にぶらつかせている。
「さぁ……何時からだっけな」
圭吾ははぐらかすように遠くを見つめる。
波の音が風を叩くように響いていた。
「舘内は手話できんだろ? いいよな、そういうのって」
武山の言葉に、圭吾が振り返る。
「いいもんか。手話を使わないで済むヤツに、そんな事言われたくねぇよ」
圭吾はぎっと鋭い視線を武山に向けると、直ぐに遠くの水平線を見つめる。
「そ、そういうつもりじゃないんだけど……」
武山は頭をボリボリとかいて
「織堂と自由に話せる舘内がさ、すげぇなって。そう思ったんだよ」
鳥の羽ばたく音が聞こえてふたりが振り返ると、尚美と友恵に追われる様に飛び立ったカモメの群れが堤防の先へ飛んで行った。
尚美にはそれらの音全てがただのノイズにしか聞こえない。
波のノイズに交えるカモメの鳴き声は、虚空に響く不思議な小波だ。
森の中で聴く小鳥のさえずりとは違って、何か機械音のノイズに似ていた。
尚美は遠くの防波堤に再び着地したカモメの群れを見つめる。
テトラポットにぶつかる波が、白い飛沫を登らせて汐風に滲んで消えた。
「ねぇ、あの防波堤の先でお昼食べよう」
友恵が言った。
「あそこ行けんの?」
武山が防波堤を眺めた。
「だって、釣りの人いるじゃん」
友恵が指差した先には、確かに釣り人が小さく見える。防波堤のふもとを辿ると、左手の大分先の砂浜からそれは伸びていた。
大きな石がゴロゴロと防波堤の根元を囲んでいる。その先に伸びる堤防沿いに、テトラポットが海へ向って積み上げられている。
「あれじゃ、船とか着けないよね」
友恵が首を傾げる。
「防波堤は船着場とは違うよ」
圭吾が言った「余計な波を遮って、湾を作ってるんだぜ」
「ああ、なるほど」
友恵が納得した傍らで、思わず尚美も頷いていた。
最初の直線部分は幅が5メートルほどあって、横たえたビルのように長く続いていた。
コンクリートの地面を良く見ると、あちらこちらに釣り糸のついた小さな錘や浮きが転がっている。
カラカラに乾いた小さな魚の残骸は、何時の物なのか判らない。
くの字に曲がっている部分から先は、幅が3メートルほどに狭まって、湾の内側に向って伸びていた。
「せまっ」
友恵は少し段差のある3メートルの堤防に脚を乗せて、横に連なるテトラポットを見下ろした。
「なんか、落ちたら上がって来れないね」
積みあがったテトラポットは複雑に重なり合って、深い空洞を内側に秘めていた。
しかし、その先のテトラポットの上には、ひとりの釣り人が立っている。
「あっ、人が立ってるよ。大丈夫なのかな?」
「大丈夫だろ。けっこう足場はあるよ」
友恵の問い掛けに武山は応えて、片手に持ったコンビ二袋をぶらつかせながら自分の片脚をテトラポットに乗せた。
「危ないから止めなって」
友恵が武山の腕を掴む。
尚美と圭吾は一歩下がった位置で、ふたりを眺めていた。
強くは無い汐風が、海面を這うように通り過ぎてゆく。
テトラポットは何重にも並べられている為、波がぶつかって潮が飛び跳ねても防波堤までは届かなかった。
積み上げられた奥の空洞で、海水は黒く跳ね返りゴーゴーと音を立てた。