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【47】電話ボックス

 病院を出ると、辺りは見知らぬ薄闇に包まれていた。

 広い駐車場の敷地に植えられた並木を、水銀灯が静かに照らしている。

 救急車に乗って来てしまった為、尚美にはどっちの方角から来たかも判らなかった。

 大きな駐車場から出ると、見た事も無い大通りが続いている。

 時計は7時をまわっていた。

 ――どうしよう……。

 とりあえずバス停を探す。

 暫く歩くと屋根付きのバス停が見えた。

 人影はひとり見えるだけで、誰もいない。

 不安に駆られながら尚美はバス停に近づく。

「やっぱりキミか」

 街路灯に照らされた男の顔が見えた。

 先に病院を後にした高木だった。

「なんか気になって、一本乗り過ごした所さ」

 高木は少し薄くなりかけの頭をポリポリとかいてみせる。

 尚美は安堵が込み上げて、足を速めた。

 時刻表を覗くと、前のバスは6時45分……次は7時18分だった。

 彼は直ぐに乗れたバスを乗り過ごして、尚美が来るのを待っていたらしい。

 教師らしいと言えばそれまでだが、それだったら一緒に病院を出ればいいのに……。

 教師にもいろいろいるのかしら? 尚美は薄闇に浮かぶオジサンの顔を見上げた。



 バスで駅まで行くのは意外と時間はかからなかったが、家の最寄駅に着いたのはもう8時半を過ぎていた。

 もう圭吾に会うのは、今日は無理だろうか……。

 尚美は改札を抜けると、駅前商店街を前に佇んだ。

 会社帰りのサラリーマンやOLが数人、自分の両脇を追い越して夜の路地へ消えてゆく。

 学生の姿も僅かに見えて、迎えの車に乗り込んだりしていた。

 目の前に公衆電話がある……でも電話は……。

 尚美は生まれてから電話で会話した経験が無い。

 当然のように誰でも使える電話機は、尚美には無用の長物にすぎないのだ。

 ――ケイタイなら、メールが出来るのに……。

 尚美は公衆電話に近づいて、扉を開けた。

 薄汚れた狭い空間が、彼女を飲み込む。

 受話器を手に取る……思った以上に重い。

 手帳を開いた――前に冗談で教えてくれた圭吾の携帯電話の番号が書き記されている。

 小銭を探して10円玉を数枚いれると、番号をプッシュした。

 何かのノイズ……そして違うノイズ……コール音は判らない。

 ただ、単調なノイズが耳に当てた受話器から聞こえてくる。

 気持ちが吸い込まれそうになって、思わず受話器を置いてしまった。

 息をついて周囲を見渡すと、汚れたガラス越しにぼんやりと商店街の街灯が見える。

 深呼吸をした。

 再び受話器を掴んで、再度プッシュボタンを押す。090…… ……。

 耳の奥にノイズが流れ込んでくる。

 静かに息を整えた。

 鼓動が内側から胸を激しく叩いた――喉の奥から何かが競りあがってきそうで、唾を飲み込む。

 長いノイズの後に、音調が切り替わった。

 音――やさしい音が聴こえる。彼が電話に出たのだ。

「あたし……です。尚美……です」

 途切れ途切れだった。

「駅前に、いるの……」電話の向こう側と会話をする事はできない。

 尚美は自分の居場所だけを伝えた。

 やさしい音は忙しなくつづく。

 きっと彼は何かを伝えようと喋っているのかもしれない。

「誕生日……今日、誕生日だよね。おめで、とう……」尚美の声は、そこで遮られた。

 携帯電話にかけると、10円での通話時間はごくわずかだった。

 100円玉も使えたのだと気付くが、もう遅い。

 尚美が話しだすのも遅れたから、10円玉数枚で会話が出来たのは、いや話せたのはほんのごく僅かだ。

 小銭はもう無かった……あっても、一方的に話すしかない電話はやっぱり虚しい。

 話した言葉は彼に届いたのだろうか。

 ――家に帰ろうか……それとも藤河の家に戻ろうか……。

 でも、駅前にいる事は伝えた。と、思う。

 尚美は近くの自販機でジュースを買うと、プルタブを引いた。

 小銭はできたけれど、もう電話ボックスに入る気力は無かった。


 尚美はジュースを口にすると、ホッと息を吐いた。

 もう父が帰って来る時間だった。

 尚美が家に帰っているかどうか、母親は心配して確認するだろう。

 姉のほうも、まさか妹がまだ圭吾にも会えずに外をウロウロしているとは思ってもいないだろう。

 時計は9時になるところだ。

 尚美は飲みきったジュースの缶をゴミ箱に入れると、気持ちを切り替えた。


 ――帰ろう……今日は諦めよう。うん……それでいい。

 自転車の車輪が激しく廻るシャーっという音が近づいて来て、スザザっと止まった。

 自転車の音とは判らないけれど、尚美はノイズの聴こえる方向を振り返る。

 圭吾が、薄闇に浮かんでいた。

「ようっ」と口が動いて、手を上げる姿がある。

 何時ものぶっきら棒な感じでなくて、何処か気さくで何処か照れくさそうに。

 よほど必死で自転車をこいできたのか、肩で激しく息をしていた。

 薄闇の街路灯に照らされた彼は、やけに眩しく見えた。

 尚美は胸の奥から、熱い何かが競り返して来るような感覚を覚えた。

 今日は逢えないと思っていた。

 明日になれば学校で逢えるのに、今日逢え無い事が無性に悲しかった。


 バレンタインはとうとう渡せなかった。

 友恵は、軽い気持ちで渡せばいいんだよ。と、言ったけれど、せっかく買った瀟洒な包み紙のチョコレートを結局渡せずにその日は終わってしまった。

 今でも机の引き出しの一番下の奥に仕舞い込んで在る……。

 今度こそ……その想いも遂げられないと覚悟を決めた矢先に、彼が自分の傍にいる。

 胸の奥から湧き出た熱い何かは、途端に目頭を熱くさせた。


『よく判ったね』

 尚美はくちゃくちゃな笑顔を作って小走りに彼に近づく。

『だって、駅だってナオが言ったんだろ』

『ちゃんと伝わったんだね』

『やけに聞き取りにくかったけど、とりあえず俺には通じるってことか』

 圭吾はそう言ってから鼻の頭をかいて

『俺、思わずお前に必死で応えてたよ。なんか判んないけど、受話器に向って喋ってたよ。聴こえないのにさ』


 尚美はカバンの端をキュッと握り締めた。

 ――聴こえてたよ。ずっと聴こえてた。やさしい音がちゃんと聴こえてたよ。





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