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【43】週末

 止め処ない雫が細く降り注いでいた。

 細い雨がアスファルトを叩く音はあまりにも静かで、彼女の耳にはそのノイズさえ聞こえない。

 週末、尚美は独りイオンのショッピングモールへ再び買い物へやって来た。

 圭吾の誕生日プレゼントを買おうと思っているが、何を買ったら彼が喜ぶか具体的に浮かばない。

 ――やっぱり友恵に相談するべきだっただろうか。

 尚美は友恵がカレに買った財布を一度手にとって、棚へ戻した。

 フウッと溜息が零れる。

 直ぐ近くで女子高生が戯れる。

 土曜日の制服は、部活かなにかだろうか。

 尚美は甲高いノイズに呑み込まれそうになって、店を出た。

 吹き抜けの通路を見渡したときに目に入って来たのは、遠く突き当たりにある書店のテナントだった。

 彼女はふと何かに吸い寄せられるように、歩き出した。

 林完二のそらの本を買った。

 圭吾にはお似合いだと思う。

 彼の部屋には何度か行ったけれど、たぶんこれは無かったはずだ。

 出版されたばかりだから、きっと無いだろう。

 尚美は頬を膨らませてふくみ笑いを浮かべながら、両手で書籍の入った袋を抱かかえるように持つと、書店を出た。

 二階のフロアには下着専門店が在る。

 色鮮やかな女性用下着はイヤラシさは無くて、寧ろ可愛いものばかりだ。

 尚美は思わず足を止める。

 頬が赤くなった。

 可愛らしい下着を着けたいと思うのは、別に見て欲しいからではない。

 可愛らしい下着に包まれた自分そのものを見て欲しいのだ。

 その感覚は一種のラッピングのような物かもしれない。

 誰に見て欲しいのかが瞬時に頭に浮かんだとき、頬が熱くなって紅潮した。

 再び歩き出した足取りは心なしか速くなって、一番近いエスカレーターに飛び乗った。



 1階の出口を抜けると、雨は上がっていた。

 どんよりと低い雲は相変わらずで、夕方の4時過ぎだと言うのに、やたらと外は暗かった。

 濡れた駐車場のアスファルトに、水銀灯の明かりが流れるように映りこんでいる。

 自転車置き場は歩道の遥か向こうに在る。

 入った時と出る場所を間違えてしまった。

 心が高揚して、ウッカリ自転車置き場から離れた場所へ出てしまった。

 仕方なく尚美はそのまま歩道を歩き出すが、停車したばかりの車から降りてきた人影に目が停まった。

 彼女から車数台分しか離れていなかった。

 ――川田真穂……。

 スウェードのショートパンツにヒョウ柄のジャケットを羽織って、この前見た時よりも、ずっと大人びた服装に包まれていた。





 一緒に車から降りて来たのは誰だろう……。

 真穂の反対側から車を降りてきたのは、どう見ても高校生などではない。

 大人だ。若く見て大学生だろう。

 尚美は目を凝らして、ふたりの会話を見つめる。

 水銀灯の明かりに浮かんだ唇が、楽しげに動く。

「今夜は遅くていいんだろ?」

「うん。いいよ」

「俺ん家来る?」

「ダメ。遅くなっても帰らなくちゃ」

 甘えるような笑みで、真穂は男を見上げる。

 瞳に映る街路灯の光が、哀しげに煌く。

「ちょっとトイレ行ってくる」

 真穂は駐車場と建物を仕切る道路を渡ると、男より先にイオンへ入った。

 尚美は何だか胸騒ぎがして、真穂の後を追う。

 ――援交? それって本当だったのだろうか? テレビの報道だけの世界だと思っていた。

 会話の中で、ふたりは兄弟などではない事は明らかだ。ましてやどう見ても親子でもない。

 尚美が入口の二重扉を抜けた時、真穂はトイレに通じる通路に入ってゆくところだった。

 どうして後を追ったのか判らない。

 もし……援交だったら止めさせる?――そんな権限は自分に無いのも承知している。

 女性用トイレのドアを開けた。

 広々とした間口の先に洗面台がある。

 ビクッと振り返った真穂が、大きな洗面台の前にいた。

 彼女は少しの間尚美を見つめると、再び手元に視線を戻す。

 尚美は彼女の手元を見つめた。

 真穂が小さなピルケースから取り出したのは銀色の薬のシートだ。

 彼女はシートから一粒、白い錠剤を抜き出す。

「ナニ? なに見てんの?」

 こちらを見ない、いらだたしい口の動きを尚美は読んだ。

 微かに唇が震えていた。

「どこか、悪いの?」

 尚美は彼女に近づく。

 銀色のシートに書かれた文字が見えた――Ritalin

「こっち来ないでくれる」

 視線を向けずに発した真穂の言葉に、尚美は思わず足を止めた。

 あっと言う間に彼女の息が荒くなるのを感じた。

 彼女は何かに急かされるようにクスリを口へ入れると、バックからミニペットの飲料水を取り出して慌しく口へ流し込む。

 半分入っていた水が、あっと言う間に空になった。

 真穂は洗面台に両手を着いて、息を吐き出す。

「それ、何の、クスリ?」

 尚美の問いに、真穂は応えなかった。

 その代わりに、慌てて薬のシートをピルケースへ戻すと、それをバックに放り込んだ。

 少しの間彼女は俯いて息を整えていた。

 心配そうに見つめる尚美は、その場から動けなかった。

 売り場に流れる賑やかな音楽が、ノイズとなってドアから染み込んでくる。

 呼吸を整えた真穂は、尚美を肩で交わしてトイレを出て行く。

 振り返った尚美には、揺れるドアしか映らなかった。





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