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【33】覚悟

 今期一番の寒さが朝の大氣を凍えさせた。

 外へでると、息が凍るように白く煙って宙に消える。

 真冬の気温に比べればまだまだ序の口だが、秋が深まった冷え込みは特に冷たさが身体を突く。

 尚美は首に巻いたマフラーをPコートの合わせに押し込んで歩き出した。

 圭吾とのコミュニケーションが途絶えて3日が経っていた。

 今までだって3日くらい言葉を交わさなかった事はいくらでもある。

 夏休みなんて、1ヶ月半の中で逢ったのは僅かだ。

 それなのに果てしなく空虚な気持ちになるのはどうしてだろう。

 朝の足取りは重かった。

 声をかけなくたって、教室で彼の姿が視界に入るだけで何故か安堵した。

 でも今は、幼い子供が母親とはぐれた様な不安がある。

 圭吾は相変わらず誰とも親しい交流を望んでいない。

 なのに自分は友絵や由加子、最近では男子の久壁もよく話しかけてくる。

 もちろん会話と言うよりは、彼が一方的に話し、つまらないギャグを連発したりする。

 それを見て笑う友絵や由加子の姿を見るのは好きだった。

 暖かい笑いに囲まれる自分の姿は、幸福を感じる。

 それでも圭吾と会話を交わせない3日間は、彼女の胸に開いた小さな風穴を押し広げてゆく。

 教室で彼の姿を視界に入れるたびに、ギイギイと音を立ててその穴が大きく広がる気がした。

 ――もっと旨く喋れたら……もっと上手に説明できる。言い訳できるのに。

 彼に伝わらない言葉のもどかさは、何時の間にか尚美の心を苛立たせて自分を罵倒してゆく。



 日曜日、尚美は友恵とイオンへ買い物に行った。

 尚美は圭吾との間に起きた気まずい出来事を誰にも話していない。

 友恵とふたりで毛糸の手袋を買いに、雑貨屋に立ち寄った。

 回転式のリングハンガーに吊り下げられた色とりどりの手袋に、ふたりはそれぞれ手を伸ばして物色した。

 白いウサギの絵柄が編みこまれた手袋に尚美の手が止まる。

 ライオンラビットのチョビは元気にしているだろうか……。

「どうした? ナオ」

 友恵の声に、尚美は首を振って無理に笑った。



 マックでお昼を食べて、その後に友恵がトイレに立っている時だった。

 オープンになった客席から、ショッピングモールの通路は丸見えだ。

 そこに圭吾の義母ははおやが通りかかる。

「あら?」

 彼女も直ぐに気付いて、尚美の席に近づいて来た。

「尚美ちゃんよね。こんにちは」

 彼女の笑みに尚美も声を出す。

「こ、んにち、は」

 尚美の声に、彼女は少し驚いて、しかし再び笑う。

『手話で話そうか?』

 圭吾の義母は少しぎこちなく、それでも確かに手を動かした。

 今度は尚美が驚く。

『手話が、出来るんですか?』

 ゆっくりと丁寧に意識して、彼女も手を動かした。

『それなりにね』

 彼女は尚美が聴覚障害である事を、初めて逢った時に気づいていた。

 だから、話し声を聞いて少し驚いたのだ。

 しかし、尚美の驚きは消えない――どうして彼女は手話ができるのだろう……。

 確か圭吾は、現在の両親共に手話が出来ないと言っていた。


『どうして手話が?』

 尚美の問い掛けに彼女は優しく笑うと、丸テーブルの四方に置かれた椅子のひとつにそっと腰をおろした。

『ここ、座って大丈夫』

 尚美は二度頷く。

 圭吾の母親は何かを戸惑っていた。

 一瞬視線が宙をさ迷って、そして決意したように手を動かす。


『圭吾は、あたしが手話を出来ないと思ってるわ。きっと』

 尚美は再び頷く。ゆっくりと一度だけ。

 圭吾の母親は少しだけ間を置いて辺りを見渡す。

 僅かな逡巡を感じ、尚美は小さく息を飲んだ。

『あたしは、圭吾と共に美圭とも暮らしたかったのよ』

 思い出すかのように途切れ途切れに、彼女は手話を繰り出す。

『だって、兄妹は一緒にいるべきでしょ』

 尚美は気を使って彼女に言う『言葉で話してください』

「そう……唇が読めるのね」

 彼女は出来るだけ短く話しを切り出した。

 圭吾の父親と結婚する際、妹が聴覚障害だとう事は既に知っていた。

 だから、ふたりの子供を共に受け入れるには手話が出来る必要があると思ったそうだ。

 前妻が連れ去った妹は、何時か連れ戻すと聞かされた上での再婚だったから。

 彼女は圭吾と共に妹の美圭を受け入れる準備を怠らなかったのだ。

 しかし、結果的には妹の美圭は前妻が連れて行ったまま戻っては来ない。

 未だにその話が進展している様子は無く、おそらくこのまま妹は戻って来ないだろうとも彼女は言った。

 それについて何も言う事は無いとも付け加える。

 その言葉は弱々しかった。

「でも……それ、って……」

 尚美は飲もうとしていたコーラの紙コップを手に持ったまま、彼女の話しに聞き入った。

 圭吾は知らない。

 義母ははにそれだけの愛がある事を。

 全てを受け入れる覚悟で、家族の一員になろうとした決意を。

「いいのよ。圭吾には言わないでね」

 彼女はフッと笑うと「尚美ちゃんに言うほどの事でもないのにね」

 尚美は大きく首を振った。

 肩に付きかけた黒髪が、パラパラと揺れる。


「今日は誰かと買い物?」

 尚美は頷いて『クラスの友達と』

「そう」義母の笑顔は穏やかで優しい。

 年はたぶん自分の母親より若いだろうと思った。

 若々しい服装は、年の離れた姉弟と言っても通用するかもしれない。

 通路の向こう側に友恵の姿が見えると、圭吾の母親は立ち上がった。

『最近はウチに遊びに来ないの?』

 尚美は少し俯いて、苦笑を浮かべる。

 母親は何かを察したように笑顔を浮かべた。

 ただ、優しく微笑む。

『また遊びに来てね。じゃあ、また。』

 尚美は首だけの会釈をした。

 圭吾の義母ははおやが明るく手を振ってくれたから、思わず彼女も手を振り返す。

 ほっそりと背の高い彼女の後姿は、何処か淋しそうにも見えた。


「誰? いまの」

 入れ替わりに戻って来た友恵が、椅子に腰掛けて訊いた。

「圭吾、の、お母さん」

「へぇ、若いんだね」

 友恵も彼女の後姿を視線で追う。

 人混みに紛れて直ぐに見えなくなったけれど。





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