【29】悪だくみ
スカートを揺らす風が、素足にはかなり冷たく感じた。
そろそろストッキングかな。と、思いながら、尚美は家を出る。
しかし、登校中に見かける中学生は、まだみんな素足をさらして平気な顔でいた。
既にマフラーを巻いている娘も、脚は素足のままだった。
そう言えば途中で見かける高校生も、短いスカートから覗く脚はまだまだ素足ばかりだった。
自転車をこぐ白い生脚が、寒々と風にさらされていた。
校庭の道路に並ぶ銀杏並木は、いつの間にかだいぶ色を落として、きみどり色から黄色に変わろうとしていた。
尚美は昇降口を入って下駄箱を開ける。
何でもないいつもの行動だった。
何時ものように無造作に上履きを取り出すと、ポトリと何かが足元へ落ちた。
きみどり色の小さな封筒だった。
――何かしら?
尚美は拾い上げてみる。
キレイなきみどり色をした無地の封筒で、中には確かに何かが入っている。
自分の下駄箱に入っているという事は、やはり自分宛なのだろう……。
突然誰かが肩に触れてきたので、彼女は慌ててポケットに小さな封筒を押し込んだ。
「おはよう」
友恵だった。
彼女とはよく一緒に学校へ来るが、待ち合わせをしているわけではないので、途中で出会わなければ別々に登校する。
今日は尚美の方が少しだけ早かったのだ。
「お、おはよう」
この言葉は大分言いなれてきた。
「どうしたの? ボケッとしちゃって」
「う、ううん。別に」
ふたりは一緒に階段を上がった。
教室へ入ると、まだクラスの半分は来ていない。
友恵は尚美の席の横で少しだけ話しをした。
小さな声で、片言で会話を交わす事に抵抗を感じないのは友恵が一番だった。
きっと入学当初の印象から、自然に平気になったのだろう。
由加子はクラスで2、3番目に学校へ来る。
週番がサボった黒板の掃除などを何時の間にかこなしている。
尚美が来る頃には何時も読書をしているが、最近は尚美に話しかけて来る事も多い。
独学で手話を勉強しているらしく、尚美は少しだけ手話を取り混ぜる。
ただ、やっぱり圭吾のように自然に会話を行き来させるのは難しかった。
それでも、空き時間を使って片言のお喋りをするのは、尚美にとって心地よい行為だった。
《今日の放課後、屋上へ出る西階段の踊場で待っています。
伊藤 》
1時間目の国語の授業中、尚美はポケットから朝の封筒を取り出して封を開けた。
思わず息を呑む。
中からは折りたたまれた白い便箋が出てきた。広げてみると、B5サイズの小さめな便箋だった。
文字はワープロで打たれている。
伊藤と言えば、この前久壁が言っていた伊藤誠だろうか……?
尚美がまず頭に浮かんだのはそれだった。
全校集会の時に何度か見かけた事はあるが、もちろん言葉を交わした事は無い。
周囲をチラ見する。
このクラスにも伊藤という男子はいるが、太って髪はボサボサ、何だか他の仲間とアニメの話しばかりしている。
どう考えても自分に興味をもっているとは思えない。
ふと気付くと、友恵が心配そうにこちらを見ていた。
「やっぱり……」
友恵が呟くように言った。
呟くような口の動きは、非常に読み難い。
トイレに入ったふたりはB5の紙を眺めていた。
小窓から入り込んだ陽射しが、ピンク色のタイルを淡く照らす。
「ナオ、これ真穂たちの仕業だよ」
「なんで……?」
「ナオを困らせる嫌がらせよ」
友恵は前に聞いた真穂たちの企みを、尚美に話して聞かせた。
きっと伊藤誠の下駄箱にも似たものが入れられている事も。
「じゃあ、教え、ないと」
「何を?」
尚美は長い言葉がまだ苦手だ。
「伊藤くん……」
「伊藤はいいよ。どうせ来ないって。あんたが気付けばそれでいいじゃん」
尚美は曖昧に頷いて、困惑した笑みを浮かべた。
「とりあえず、あたしトイレ」
個室へ入る友恵を、尚美はただ見送った。
「へえ、ナオもモテルじゃん」
圭吾の一言目はそれだった。
『真面目に聞いて』
昼休みの屋上で、尚美は頬を膨らました。
もう「俺にかまうな」なんて、圭吾は言わなかった。ただ蒼い空を時折見上げて、彼女の話しを聞き入った。
正確には、手話に見入ったのだけれど。
尚美は4組の伊藤誠の話しをして、何とか彼に悪戯の手紙の事を伝えて欲しいと言った。
「でも、そいつがナオの事を好きなのは確かなんだろ?」
『知らないよ、そんなの……』
彼女はゆるゆると手を動かす。
「それでふたりがいい仲になるかもしれないぜ」
圭吾の笑いを初めて憎たらしいと思った。
『圭吾は、あたしと伊藤君がいい仲になった方がいいの?』
「さぁね。俺、伊藤誠なんてしらねぇし」
『あたしだってほとんどしらないよ』
「せっかくだから、逢って話してみれば?」
『ヤダよ。ひと事だと思って。話せるわけないじゃん』
「なんで?」
『ムリ。声がうまく出せない』
校内でも、尚美が声をだして話す相手はほぼ決まっている。
それでさえ、できるだけ片言にしているのだ。
「ちゃんと出るよ」
『でもムリ』
いくら他人に言われも、自分で確認する術がない。
もちろん、発声訓練用の器機があれば、音量とか発音とかをコンピュータで表示してくれるのだろうけれど。
尚美の困惑する眼差しに、圭吾は肩をすくめた。
作中の誤字・脱字を少し手直ししましたが、時間が足りなく完全ではありません。
何卒、ご了承ください……(^^;