【27】季節はめぐる
空が高く果てしない。
ガラス細工のような蒼に、白い満月が浮かんでいる。
雲は光を浴びて白く長く尾を引くようにかすれていた。乾いた風に乗って、赤とんぼが宙を滑っては立ち止まる。
秋の強い陽射しは、切なげに頬を白く照らす。
夏休みは追い風に煽られるように駆け足で過ぎた。
1学期、知り合いは増えた気がする。
でも友達は……。
電話で誘えない尚美を、夏休み中に誘う者はいなかった。
駅前で2回ほど圭吾に偶然逢い、一緒にお昼を食べたのが最大のイベントだった。
ケイタイ電話が欲しい……。
尚美はこの頃無性に携帯電話に焦がれ始める。
ケイタイがあればメールで連絡を取り合える。
友恵や由加子とだってきっとメールできる。そして圭吾とも……もっと言葉のコミュニケーションを取れる気がした。
姉の志美は何時もケイタイを持ち歩いていた。
ふと気付くと誰かとメールをしている姿が目につく。
それでも中学生の自分がケイタイを持つ事に、あまり望みはない。
クラスでも携帯電話を持っている生徒は半分もいないし、バイトが出来ない中学生にはまだまだ高値の華だった。
相変わらず圭吾はクラスではほとんど口を開かない。
由加子と友恵が時折声をかけているようだが、そんなに楽しそうにも見えない。
男子さへ、滅多に彼には声をかけないし、一緒に談笑している姿もみかけない。
尚美は時折、圭吾と一緒に帰る事もあった。
一緒といっても、学校を出て暫く行ってから農協倉庫の前あたりで、先を歩く彼に何時も尚美が追いつく。
駆け足だから何時も彼女は息を切らしていた。
圭吾は彼女の気配を後ろで感じると振り返って「よお」と言う。
別に喜ぶ素振りも鬱陶しい感じも無い。
ただ、尚美が容易に追いつけるのはきっと、彼が歩くスピードを緩めているからに違いない。
どうして学校ではあまり話しをしないのか訊いた事はない。
以前屋上で交わした会話の意味も、尚美には未だによく判らなかった。
彼の学校でのスタイルそのものがそうだし、逆に自分とだけ親しげに会話を交わしたらクラス中で何を言われるか判った物ではない。
それでなくても、手話が出来る圭吾は尚美と怪しい関係に在ると、陰で囁く者がいる。
まったく無意味な流布だ。
手話が出来る事を賞賛するならともかく、それをネタに色眼鏡で見る事は非常に低俗で無意味な感情だ。
圭吾は学校で手話を見せる事は無いし、尚美もあえてみんなの前で彼に手話で話しかけたりもしない。
「舘内、手話教えろよ」
誰かが悪戯半分に圭吾に近づいた。
彼はフッと静かに声を立て、一笑に付した。
「なぁ、織堂もブログとかやれば?」
久壁純が尚美の席の前に立って笑う。
あさのあつこの小説をパタリと机に置いて、彼女は彼を見上げた。
「もしかして、お前もネットとかやってんの?」
昨夜のテレビで、聴覚障害を持つネットアイドルの特集が流れたのだ。
17歳の少女は妹系のなかなか可愛らしい風貌で、とあるサイトで人気上昇中なのだとか。
尚美も少しだけその番組を観た。
観たけれど、直ぐに違うチャンネルに変えてしまった。
少しだけ羨ましく思ったけれど、ネットの社会に浸る事は、今の自分の環境では不可能だ。
それに、知らない誰かと交流を深めるなんて、逡巡する気持ちの方が勝るだろう。
「織堂もネットなら普通じゃん?」
久壁は一方的に話す。
尚美は困惑した笑みを浮かべて、彼の唇を読んだ。
どう応えていいか、正直困る……。
「今だって、別に普通じゃん」
由加子が近づいてくる。
「ねえ」
由加子の言い方が嬉しくて、尚美の顔がほころんだ。
「別にそうだけどさ……」
久壁はそのまま尚美の前の席に腰掛ける。
「ケイタイブログとかやってみれば?」
彼は自分のケイタイのカメラレンズを彼女に向ける。
「だってナオはケイタイ持ってないから」
由加子が久壁と尚美の間に掌を差し出す。
勝手に写メなんてとんでもない。
「じゃまじゃま」
「何言ってんの。勝手にナオの写メ撮らないでよね」
「ちぇっ。4組の伊藤に頼まれたのに」
久壁が手元をズラして、由加子に向けてシャッターボタンを押した。
由加子は咄嗟に顔を手で遮りながら「ちょっと!」
しかし、彼の言った伊藤に興味が移る。
「誰よ伊藤って。伊藤誠?」
伊藤誠は、陽鳳小学校6年生の時の生徒会長だ。
由加子は隣の小学校から来たが、実は小6の時に生徒会長を勤めていたので、伊藤誠を少しだけ知っていた。
「アタリっ!」
久壁が笑う。
「なんで伊藤が?」
「しらねぇよ。でも……まぁいいか」
彼が意味深に口を噤む。
「何よ、でも、ナンなの?」
「織堂のこと気になってるヤツ、他にもいるぜ」
由加子が思わず尚美を見ると、尚美も由加子を見ていた。
困惑の笑みがぶつかる。
「じゃあ、自分でナオに声かければいいじゃん」
由加子が眉を寄せて笑う。
「それがなかなかねぇ」
久壁は眉を動かして外を眺めると
「手話の出来るヤツに敵うかどうかってさ」
わざと圭吾に背を向けた。
尚美がピクリと動く。
由加子が圭吾を盗み見た。
尚美は顔の前で手を左右に振った。彼とは何でもないというゼスチャーだ。
顔は紅潮しなかったが、髪の毛で隠れた耳は熱くなっていた。