【18】途中下車
晴天の下、バスで国道を2時間半。
県道へ逸れて小高い山間を抜けると、古城跡が在る。
江戸時代に築かれた城の跡が、周囲の丘ごと自然公園になった場所だった。
城自体は土台である石垣だけが残って、その周辺に緑地がもうけて在る。
緑に生い茂る桜並木と雑木林に囲まれた長閑な場所で、ペットを連れてくる人も多い。
尚美も小学校の頃、一度家族で来ている。
国道から県道にそれると、大きなお土産屋が見えた。
尚美は丁度真ん中辺りの窓際に座っていたので、それを視線で追う。
隣には由加子が座っていたが、彼女も実際尚美とどうやって接するのがいいのか判らなかった。
声が聞こえないし、話す事もしない。
自分の話す言葉は通じるが、尚美からのコミュニケーションは些細なジェスチャーと相槌。
それと笑顔だった。
多少の善意と義務感から誘ってみたものの、やっぱり交流には難儀する。
声が出せる事は既に知っている。
でも彼女は喋らない。
時折片言を喋ってくれるものの、会話には至らないのだ。
時折そんな尚美に苛立ちもする。
もっと意思表示すればいいのに……。
由加子は出来るだけそんな素振りを見せないように、少し眠そうなのを装って大人しくしていた。
沈黙するする理由が、他にも在るのは確かだったが……
道なりに20分も走れば、もう古城公園に着く。
しかしそこから先の道路は右に左に曲がりくねっていた。
視線を巡らせるフリをして、尚美は一番後ろの席の圭吾をチラリと見た。
つまらなそうに窓の外を見ている。
どこか遠く、景色より空を見ている感じだった。
尚美も同じ空を見つめてみる。
丘の向こうにはホイップクリークのような雲が固まって群れを成していた。
県道の曲がりくねった道を10分ほど走ると、隣の席にいる由加子の様子がおかしい事に尚美は気づく。
静に長い呼吸を繰り返していた。
尚美は彼女の肩をポンポンと叩く。
弱々しく振り返った由加子の顔は、ひと目見て青ざめていた。
「バス、弱いんだ……」
彼女が呟く。
尚美は「大丈夫?」と口を動かす。
ゆっくりした口の動きに、由加子は読み取れたようだ。
「大丈夫。少し気持ち悪いけど……大丈夫」
全席の背もたれの後ろにはバックポケットが付いていて、そこには紙袋に包まれたビニール袋が折りたたまれていた。
尚美は自分の目の前にあるそれをそっと取り出して、両手に掴んだ。
反対側の列席では、数人がおやつを分け合って楽しく食べている。
酢イカの匂いが微かに漂う。
「普通、よっちゃんイカとか持ってこねぇって」
「じゃぁお前、食うなよ」
笑声がバスの中を満たした。
そんな中で、由加子は何かを堪えている。
尚美は由加子を窓際に促して、自分が通路側へ移る。
彼女は僅かに開いた窓の隙間から風を求めるように、顔を近づけた。
由加子の背中を、尚美はゆっくりとさすった。
「ありがとう……」
俯いた彼女の横顔が呟く。
新鮮な空気を吸いたいが、顔を起こしていられない感じだ。
尚美は何度も頷いて、由加子の背中をさする。
「ごめん……ダメだ。あたし降りる」
由加子の眉間に細いシワが寄る。
彼女は先生に気付かれないように、前席の背もたれに隠れるように身をかがめていた。
「すいません、先生……」
ざわめきが、一瞬静まった。
尚美が声を出したから。
「どうしたの? 織堂さん」
尚美は周囲の静まりに、続きが話せない。
視線を微かに窓際に向ける。
由加子が小さく手を上げて
「すいません。あたし一度降ります」
バスは待避所を見つけて直ぐに停車した。
「あと5分か10分くらいで着くけど、我慢できない?」
担任の七瀬は、心配そうに確認する。
「ダメです……降ります」
由加子は尚美の手から袋を鷲掴みにすると、よろめきながら小走りに通路に出た。
尚美は立ち上がって後を追う。
由加子はそのままバスの外へ出ると、後ろの死角へ回り込んでしゃがみ込む。
紙袋を口にあてがった。
尚美は彼女に追いついて背中をさする。
硬直した背中が、冷たく感じた。
由加子のメガネの奥で閉じた瞳から、小さな雫が零れ落ちた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
尚美は声を殺すように静かに口を動かして、彼女の背中をさすり続けた。