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【16】静けさの中

 雪が降っていた。

 窓から眺める外の景色は音も無く、ただ降りしきる雪に白く覆われていた。

 庭木にこんもりと積もった雪が、何処か現実感を遠ざける。

 妹と同じ境遇になった気分だった。

 降り注ぐ雪が大氣の音を吸収する。

 声を出せば、それは果てしなく届くような気もした。

 窓を開けて真っ白な静寂に耳を澄ますと、遠くから車の走る音が微かに聞こえる。

 ――やっぱり美圭とは違うんだな。ここは無音の世界なんかじゃない。

 どれだけ静寂の中にいても、彼女の世界を味わい理解する事は健常者にはできない。

 圭吾は茶の間の窓辺に腰を下ろして、しばらくの間降り注ぐ雪を見上げていた。


 小学校4年生の冬、年が明けて間もない1月中旬の日曜日だった。

 その頃舘内家は千葉にある松戸の住宅街の一軒家を借りて住んでいた。

 古い住宅街だったが、次々とワンルームマンションが増え続けるような栄えた街だ。

 転校して来て3ヶ月が過ぎた頃だった。

 朝起きた圭吾は、家の静けさを奇妙に思いながら階段を下りる。

 昨夜は家族4人で夕飯の食卓を囲んだ。

 父と母は相変わらず会話は少なかったが、何時も通りの食事だった。

 しかし……。

 何か判らない不安で満たされて、心は僅かに焦燥していた。

 何時も聞こえるはずの、台所で食器を洗う音。

 朝食のトーストと卵焼きのニオイ。

 母親と美圭の気配。

 そのどれもが、家の中から消えていた。

 この建物には自分以外のひと気がしない。

 もちろん父親は朝早く仕事で既に出かけている事は判っている。

 階段を踏み下ろす足が、次第に速くなる。

 階段途中の窓から見える景色が、圭吾の視界に入った。

 低い雲からヒラヒラと雪が舞い降り始めていた。



 雪は降り止む気配はない。

 銀世界はまるで、この世の終焉をむかえた世紀末のようだ。

 くぐもった世界に降り積もる雪が、まるで死の灰のようにも見える。

 圭吾の目にはそう映った。

 凍て雲は低く圧し掛かり、世界を圧迫していた。

 涙なんて出ない。

 凍りつく大氣が、それを留めてくれているようでもある。

 暖かい場所に行けば、それが解かれてしまうような気がした。

 彼は窓を開けたまま冷たい風に触れ、遠くに霞む雪の帳を見つめていた。

 

 

 その夜遅く、仕事から帰った父が圭吾に言った。

「母さんと美圭は暫く実家で暮らすそうだ」

「なんで?」

「その方が、美圭の環境にいい」

 ――ウソだ。そんなのウソだ。

 直感でそう思った。

 今までの会話の無いふたりを見ていたから。

 父親が自分からはあまり美圭に話しかけなかったから。

「何時帰るの?」

「それはまだ分からない。このままこの家……いや、俺たちの暮らしにはもう戻って来ないかもしれない」

 圭吾は俯いたまま、上目遣いで父の顔を見ていた。

 父は圭吾を見ていない。

 テレビのブラウン管の一点だけを何故か見つめていた。

 バラエティーの特番が、ただ滑稽に映し出されている。

 蒼い光が父の瞳の奥で揺れ動く。

 そのまま黙って缶ビールのプルタブを開けると、勢いよく口へ運んだ。

「それが二人の選んだ結果だ」

 父は履き捨てるように言った。

 圭吾はそれ以上何も訊かなかった。

 ただこの家にも孤独が訪れた事を悟った。

 自分が信頼する人は、自分から遠ざかって行くのだと思った。

 ――俺には何も選ぶ権利はないのだろうか……?

 10歳の心は激しく傷つく。

 それは学校での些細な軽蔑やいざこざとは比べ物にならない。

 自分ではどうにも出来ない境遇に、未だかつて無いジレンマを感じた。

 子供は自分が思う通りには生きる事はできない。

 保護者の都合で、それは左右されるのだ。

 それはきっと、美圭みかも同じだろう。

 窓の外は月に照らされた銀世界が闇の中に浮かんでいる。

 取り残されたようにライオンラビットのチョビが、小屋の中でカタカタと小さな音を立てていた。





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